第二章 過去
ミロの身体の重さを全身で感じながらカミュは思い出す。
ミロの屋敷が隣りにあって小さいときからよく遊びに行ったこと。
両親ともミロと同じに美しい金髪でやさしい人たちだったこと。
五年前のある日、突然隣りの屋敷から人の姿が消えてもぬけの殻になったこと。
そしてしばらくして、風の噂に隣り屋敷の人々が宮廷のとある筋から睨まれて追われるようにパリを去っていったらしいことを知ったのだ。
そうだ! ミロのご両親はどうしたろう?
あのやさしかった夫人は、今どこに?
「ミロ!
待ってくれ、ミロ! ご両親はどうしておられる?
ミロの母上はご健勝か?」
懐かしい人たちの消息を知りたくなったのと、性急なミロの想いを少しでもとどめたい気持ちとがカミュの口を開かせ、はたしてミロの手が止まった。
「母上か………母上は…」
かすれた声に苦痛が滲む。
「………すでに亡くなられた。」
「……え?」
思わぬ返事にカミュは愕然とする。
「な、なぜっ?
病を得られたか?」
「そうとも言えるが………」
顔をそむけた拍子に豊かな金髪がさらりと揺れた。 ミロが重い口を開く。
その語るところによると、王妃に取り入るポリニャック伯夫人のあまりの専横にいきどおりを覚えたミロの父は国王に諫言し、それを王妃の口から聞かされたポリニャック伯夫人が激怒した挙句に手を回してミロの父を宮廷から追放したというのである。宮廷を牛耳る影の実力者に睨まれてはひとたまりもなく、パリにいられなくなった一家は屋敷を引き払い、逃げるように出てゆくしかなかったのだ。
「そんな………そんなこと!」
抱きしめられていることも忘れてカミュは怒りに身を震わせた。
「パリを出ていったいどこへ?
急にいなくなったので、あのときどんなに心配したことか!」
「持てるだけの宝石類を持って母の実家のある田舎へ身を寄せたが、慣れぬ暮らしに母上の嘆きは深く、やがて気鬱になり半年ほどして亡くなった。父にはそれが大きな打撃となり後を追うようにして………」
「なんと………なぜ……なぜ、うちを頼ってはくれなかったのだ! ミロの父上とも親しかったはずなのに……!」
華やかなパリの生活から一転して先に光の見えぬ寂しい境遇に陥ったら、どれほどつらいことだろう。 そのときの一家の不安と絶望を思い、カミュは暗澹とした思いにとらわれた。
「父は人に頼ることを潔しとしなかった。
それでも家族のために助力を乞おうとも考えたらしいが、はやり誇りは捨てられなかったし母もそんな父を愛していたのだったから。」
「でも…」
「それに手を差し延べれば、きっとポリニャック伯夫人に同類とみなされて同じ憂き目に遭うかも知れぬ。父上はそれを心配なさったのに違いないのだ。」
「ミロ………」
カミュはやさしく美しかった夫人の非運に涙した。
豪壮な屋敷で優雅に暮らしていた身が片田舎の病床で夫と子供に囲まれて寂しく生涯を終えるなどとは思いもしなかったことだろう。
「そういえば………ロザリーはっ?ミロの姉上は?………まさかっ?」
蒼ざめたカミュがミロの腕を痛いほど掴んだ。
「姉のことなら心配は要らぬ。
母の実家の隣り屋敷の豪農の息子に見初められ、どうしてもと望まれて嫁いでいった。貴族ではないが、これからの時代はむしろその方が生きやすいかも知れぬ。 貴族なんて弊害の多い特権階級はやがて倒れるしかないのさ。」
ミロの頬に自嘲の笑いが浮かぶ。
当たり前のように思っていた貴族の優雅で贅沢な暮らしは、額に汗して働く幾百万の農民と市民の血と汗の労働の結晶でまかなわれているのだったから。
「ロザリーが………そうか、よかった………」
カミュの覚えているロザリーはミロより二つ年上で、ミロとよく似た美しい金髪と母親譲りのやさしい声を持っている。誰にでも好かれる穏やかな性格ゆえに妻にと望まれたのだろうと思われた。
「当初、姉は母の世話をするから結婚などはしないと断ったのだが、花嫁姿を見たいという母のたっての願いもありついに結婚をした。その半月後に母は逝ったのだから、あれでよかったのだと思っている。じきに二人目の子も生まれるはずだ。」
五年ぶりに巡り会ったミロから悲喜こもごもの話を聞いてカミュは感慨にふける。希望通りに銃士隊に入り国王に忠誠を捧げることを目的に順調に歩んできた自分に比べ、ミロの生きてきた五年間の波乱に満ちていることはどうだろう!
しかし、その思いはミロの言葉で断ち切られた。
「身の上話はここまでだ、姉のことより、カミュ、俺に抱かれている自分のことを考えたほうがいいんじゃないのか? 俺はお前が好きだ、そう、ずっと前からそう思っていた。お前はどうなんだ?
返事を聞きたいね。」
組み敷かれたまま見上げるミロの顔が月の光を後光のように受けて輝く金髪に縁取られ、真摯な青い目に見詰められる眩しさにカミュは思わず目を閉じた。
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