第四章 サン・ドニ門
「宝石の半分は、この通り、取り返しました。」
言葉短く隊長に報告して革の袋に入れたそれを渡すと、カミュは銃士たちのたむろしている部屋を通り抜けて外に出た。
昨夜パリに戻ってきたときには夜も更けていて、一連の顛末を報告するすべもない。
翌朝一番に銃士隊の詰所に顔を出すと、すでに自室で執務していた隊長の物問いたげな視線を避けるようにして、心の中に用意していた無難な作り話をしてその場を切り抜けたのだ。
「無事でよかったな!
心配したぞ!」
馬に乗ろうと鞍に手を掛けたとき声を掛けてきたのはレオナールだ。
「ああ、心配をかけてすまない。
奪われた宝石の半分はなんとか取り戻せたが、惜しいことに逃げられた。」
「こっちも奴を追いかけはしたが、ブーローニュの先で見失った。 お互いついてなかったが、半分でも取り戻せただけで上出来だ。」
このごろのパリは治安が悪くなった、と言うレオナールとしばらく話をしてからカミュは詰所をあとにした。昨日のことがあったすぐあとに、追跡劇を共にした友人と一緒にいるのはどうにも面映いものがある。
あのときミロにされたことを思い出すと、どうしても赤面せざるを得ないのだ。
なぜもっと手厳しくはねつけられなかったのかと思うと口惜しくてならないのだが、その一方で抱きすくめられて唇を奪われたときの一種独特な恍惚感が忘れられぬのもまた事実だった。 「もっと俺を忘れられなくしてやるよ♪」
と言ったミロの言葉が心の奥底でささやきかける。
そして、それよりも重大なのは今夜のことだ。
「明日の夜10時にサン・ドニ門で会おう。」
去り際にミロの残した言葉が頭から離れない。
行けば宝石は取り戻せるだろう。 そんなことでミロが嘘をつくとは思えない。しかし、何事もなく宝石を手に入れられるとはカミュも思ってはいないのだ。
一人で行けばきっと………きっと、ミロは私を抱くだろう………
そしておそらく、昨夜のようなことではすまないに違いない…………
一日中そのことばかりを考えていると、自分が宝石を取り戻しに行くのか、それとも抱かれに行くのかだんだんわからなくなってくる。迷いを抱えたままのカミュがサン・ドニ門に着いたとき、近くの僧院の時計塔が10時を打った。
サン・ドニ通りとグラン・ブールヴァールがぶつかるところにあるサン・ドニ門はルイ14世のドイツでの戦勝記念に作られたもので、初代建築アカデミー学長ブロンデルの唯一の作品だ。夜のこの時刻ともなると人影もなく黒々とした影が夜空を背景に聳え立っているばかりなのだ。
治安がいいとは限らない。あたりを警戒しながら馬を進めていくと、門の左の陰から一騎現われてこちらを窺っているようだ。肩に波打つ金髪がちらと見えてミロだということがわかる。
「私だ。」
「待ってたぜ、そら!」
「……え?」
手渡された革袋はずしりと重い。
「約束の宝石だ。
来いよ。」
そう言うと馬首を返したミロはあとも見ないでフォブール・サン・ドニ通りに入ってゆく。 まさか、会ったとたんに宝石を渡してもらえるとは思わなかっただけに意表を衝かれたカミュが戸惑っていると、肩越しに振り向いたミロがにやりと笑ったようだ。
まるで、
「恐いのか?」 と言われたようで面白くないのだが、ついていってどうなることかと思うとそれもおおいに気になるのだ。
宝石を取り返せば今夜の目的は達した筈なのに、ミロの誘いを蹴ってここで戻れば、捕まるかもしれない危険を冒して単身やってきたミロの気持ちを裏切るような気もしてくる。
なおも逡巡していると通りを左に曲りかけたミロがこちらを見ているようだ。
ままよ、どうにでもなれ!
意を決したカミュがあとを追うと、少し行ったところでミロが馬を下りた。
「ここは?」
見上げた看板は色褪せて
「歌う小鳩亭」 という字がかろうじて読める。
「見ての通りの居酒屋だ。 まさか、深夜のサン・ドニ門に寄りかかって話をするわけにもいかんだろう。」
そう言ったミロがドアを開けて中に入ってゆく。 やむなくカミュもあとに続いた。
⇒