ミロ法師 その11
決闘の余韻冷めやらぬミロ法師を再び懐に収めたロス大臣はシャカと何事か相談し、
「ではその様に。」
「どうかくれぐれもよしなに。」
にこやかな表情で言葉を交わすと右と左に別れてゆく。
シャカ達と一緒ではないのだなとミロ法師が思っていると、ロス大臣が小声で話しかけてきた。
「よいか、ミロ法師。今から我等が向かうは清涼殿じゃ。公の政務が行われる紫宸殿ほど格式ばってはおらぬから安心するがいい。これもみな畏れ多くも今上の篤きご配慮である。」
もったいぶってそう言われてもミロ法師にはあまりよくわからない。わからないながらもそっと頷いてそのままロス大臣の歩むままに懐で揺られている。
御年二十八歳、人並み優れた長身の嵯峨帝はたいそう教養深く、銀糸のようにも見える髪を持つ美しい顔立ちの青年で慈悲深く柔らかな笑みを絶やすことがない。貧し
い民草の暮らしにも心を砕き、この国の繁栄を祈りつつ真摯に政(まつりごと)を執り行っている若き帝である。
今は、政治の表舞台から退かれた先帝シオン、すなわち太羊院の嫡男として生まれた嵯峨帝は、内裏の奥で大勢の女房達に真綿にくるまれた珠の様に大切に育てられたので
、万事に鷹揚で他の者を気遣われる優しい心にお育ちになられたのである。
今回のミロ法師との出会いの場を清涼殿になさったのも、ミロ法師が見世物になることを避け、また、ロス大臣の一の姫であり帝の寵愛深いアフロディーテ中宮にもミロ法師の姿を見せてやろうとの意思の表れに違いない。
懐にミロ法師を忍ばせたロス大臣が清涼殿に伺候すると、昨日 ミロ法師を見せよと口々に囃し立てた公卿たちが顔を揃えている。
暇に飽かせて人の屋敷のことに首をつっこむとは困ったものだ
このうえはいきなりミロ法師を見せて驚かせてくれよう
素知らぬ顔をして広縁で裾を捌いたロス大臣が威儀をただして入ってゆくと一同が深く辞儀をする。正四位下の参議や正三位の大納言に比べると正二位の大臣は遥かに高位の存在だ。
それでもミロ法師を見せよと言えるのは、ひとえに帝にお目にかけぬのは不忠であるとの考え方であって、それは間違いではないので困るのだ。
「これはこれは、ロス大臣、まもなく帝がご出御なされましょう。」
果たして噂の小さい人を連れてきたのかどうかと探るような好奇の目が煩わしいが、帝より先にこの場でミロ法師を披露するつもりは微塵もない。文字通り掌中の玉のミロ法師の
存在は、帝に最初に見せてこそ価値がある。
そこへ新たに衣擦れの音がして現れたのはシャカとムウだ。
さきほどロス大臣と会っていたそぶりなど毛筋ほども見せずに座に着くと、陰陽寮の長官として一目置かれているので
自然と場が静まるのはたいしたものだ。 式神を自在に使い魑魅魍魎を退治する異能の噂は周りを畏れさせるに十分だった。
そのとき帝の出御を知らせる声がかかり、一同が平伏した。 御簾の向こうに嵯峨帝が着座した気配がし、御簾が巻き上げられる。
「みな、揃うておるか。」
「は、御前に。」
今日の嵯峨帝は蘇芳染めの袍も匂いやかにいつもに増して機嫌がよく思われる。 しばらくは政務の話が続き、いつミロ法師の話を持ち出されるかとロス大臣が気にかけていると、
「ときに例の小さき人はいかがあいなりましたかな? 」
と大納言が言った。小さく頷いた帝が扇を少し動かしたのはロス大臣の話を促す合図だ。
「その儀なれば、」
ロス大臣が静かに息を吸った。
「ここに居りますのがミロ法師で御座います」
ロス大臣は己の懐から慎重にミロ法師を取りだして嵯峨帝の真正面にそろりと置いた。
「今上におかれましては、お初に御目にかかりまする。 それがし、ミロと申します
。この度は御尊顔を拝する栄誉を頂きまして誠に有り難う存じます。」
見れば声も姿もたいそう小さいが礼儀も正しく立派な装束の人が嵯峨帝の目の前に座し手を付いていた。
その丈三寸、嵯峨帝の中指程も背丈が有るか無しかという小ささであった。
「なんと!?」
思わず嵯峨帝の口から驚愕の声が漏れる。 これ程小さく、けれど立派な人を見たことはなかったからである。
金糸の様に輝く美しい髪、大きく蒼い眼はまるで瑠璃のよう。 引き締めた表情は緊張していることが窺えるが、艶やかな白い顏は興奮からか林檎のように紅潮している。
ロス大臣に恥を掻かすまいとの見事な口上だが、端からみたら人形のような動きもたいそう可愛らしい。
思わず微笑んだ嵯峨帝は至極愉しげなご様子で思わず几帳から出ると、片膝をついてミロ法師の前に白磁のような手を差し出した。
「な、なんと!?」
御前に居並ぶ殿上人たちの押し殺した驚きの声などものともしない嵯峨帝がミロ法師をじっと見た。間近でみた嵯峨帝の姿にさすがにドキドキしたミロ法師だが、目の前に差し出された白い手と嵯峨帝の顔を何度か見比べたかと思うと、一つ頷きぴょんとその手のひらに飛び乗った。
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