ミロ法師  その2

アイオリアの用意してくれた針の刀を腰に指し、 魔鈴が用意してくれたお椀の舟に飛び乗ったミロ法師は、心配そうに見送ってくれる二人に笑顔で手を降るとまだ見ぬ冒険に胸を躍らせた。
「京の都ってどんなところだろう?」
箸の櫂で舟を漕ぎながらミロは小川を下って行った。
「お椀の舟に箸の櫂  京へはるばるの〜ぼりゆく」
川の流れに身を任せてお椀の舟の上で機嫌よく歌っていると、この先の冒険に心が弾む。川岸の見知らぬ景色を見ながら魔鈴の持たせてくれたお弁当を楽しんでいると、不意にドンッと何かにぶつかった。お椀の舟がぐらぐらと揺れてミロは思わず身構える。
「なにごとだっ!?」
見渡回しても川の流れは変わりなく緩やかで、ミロ法師の乗っているお椀の舟だけが激しく揺れるのは摩可不思議なことだった。
「面妖な!」
不審に思ったミロ法師が舟の縁に手をつきそっと水底を覗いてみると、これは何としたことだろう! 何やらヌメヌメとしてイボがついた醜い奴がニタニタと笑いながらミロ法師の乗っているお椀の舟底に取り付いているではなかったか!
「おのれ!奇っ怪なやつ!貴様はなにものだっ!」
「俺様はフログのゼーロス様だ!この俺様を知らんとは、貴様、よそ者だな!」
ミロ法師はまったく知らなかったが、その生き物は蟇蛙だった。村には小さなアマガエルとトノサマガエルしかいなかったのでミロが知らないのも無理はない。たいていの蟇蛙は善良な生き物だというのに、フログのゼーロスといえば強いものにはゴマを擦って取り入ろうとし、弱いものには虎の威を借りた狐と云わんばかりに威張り散らし嫌がらせをする、 この辺りの森では一番の嫌われ者なのである。
そこへなにやら声が聞こえてきた。
「ミロ法師!そいつは森の嫌われものだよ!」
「ミロ法師!フログのゼーロスは皆に嫌がらせをする意地の悪い奴だよ!」
頭上から聞こえるその声におもわず上を見上げると、若い白鳥が二羽仲良く飛んでいる。
「こいつがどんな悪いことをしたというんだ?」
愛刀の針の刀に手を掛けながらミロ法師は問いかけた。 フログのゼーロスがミロ法師のお椀の舟を揺らしたくらいの悪さなら許してやってもよいと思ったからだ。すると二羽の白鳥は悔しそうに口々にこう言った。
「この性根の醜い奴は私たちの先生が旅の途中で怪我をして身体を癒そうと横たわり休んでいるのに遭遇するや、いきなり先生を…」
二羽のうちの幼い方の白鳥はこれ以上口に出来ないとばかりに声を震わせた。
「この卑劣で醜い蟇蛙は、初対面の先生の痛めてしまった翼を何度も何度も足蹴にして…!」
少し年上の白鳥も怒りと悔しさに声を震わせるのだ。
「な、なんと!そんなひどいことを!」
生き物の大好きなミロ法師は思わず叫んだ。 こんなに残酷で卑劣な悪漢に遭遇したのは生まれて初めてだったのだ。
「その傷付いた白鳥がいったいなにをしたというのだ!?」
善良で優しい白鳥が翼を何度も足蹴にされて苦しみもがく痛ましい姿が頭に浮かんだミロ法師は何とも悲しくやるせない怒りがこみあげてきた。
「フログのゼーロス!卑怯なやつめ!このミロが相手になってやる!」
すると鞘から抜き放った針の刀がミロ法師の怒りに呼応するかのように紅く光り輝きはじめたのだ。
「降伏か死か!このミロの真紅の衝撃スカーレットニードル受けてみよ!」
ミロ法師は叫ぶや否や 紅く光り輝く針の刀をプスリとゼーロスに突き刺した。
「うぎゃぴぃ〜〜っ!」
たまぎるような絶叫があがった。いままでゼーロスはこのような攻撃を受けたことがない。水辺から離れたことのないゼーロスは危ない敵に遇うとさっさと水に飛び込んでしまうのでいつも難を逃れていたのである。けれどもミロ法師のあまりの小ささにカブトムシやクワガタ程度の無力な生き物と侮っていたのが運のつきだった。
ミロ法師の鋭い針の剣が狙いあやまたず喉をついたのでゼーロスは慌てふためいた。
「なにをしやがる!ちびのくせに生意気なやつめ!このゼーロス様が一口に飲み込んでやろうか!」
しかしこの脅しは逆効果だった。ミロ法師はちびと言われるのがなにより嫌いなのだ。
「無礼者め!俺は小さくとも貴様のように醜悪な風体ではないぞ!貴様こそ身の程を知るがいい!」
かっと頭に血がのぼったミロ法師はこんどはゼーロスの目を突いた。
「げぇぇっっ!」
しわがれた声でわめき立てたゼーロスが逃げようと背を向けたところをなおも針の剣で刺したとたん、ああ、これはなんとしたことだ! 背中の醜いイボからぱっと油のようなものが飛び散り、ミロ法師に降りかかった。
「うわっ!」
いやな匂いの油が目に入ってひどく痛んで目が開けられず、身体もひりひりとして気分が悪くなったミロ法師はお椀の舟の底に倒れて気を失ってしまったのである。
これを見て驚いたのは上から見ていた二羽の白鳥だ。
「たいへんだ!ゼーロスのやつをやっつけてくれた人が死んじゃうよ!早く誰かを呼んでこよう!」
若い白鳥に見張りをさせて、年上の白鳥が助けを求めにいっさんに飛んでゆく。 ああ、勇敢なミロ法師の運命や、いかに!

「うぅ…ん… はぁ、はぁ……苦しい…」
お椀の舟の底でミロ法師は燃えるような身体の熱さと痛みに苦しんでいた。 あの心根も醜いゼーロスの体から飛び出た油は黄金の林檎から生まれた清らかなミロには猛毒にも匹敵するような穢れだったのだ。
蒼く輝いていた瞳も高熱で力を失って涙で潤み、 白い頬は真っ赤な林檎のように燃えていた。 小さなミロは為すすべもなく、ただただお椀の底で苦しむばかり。
ミロ法師が倒れたことを知り、助けを求めに飛び去った白鳥のみが頼みの綱だ! なんと哀れなミロ法師!