ミロ法師  その3

苦しんでいるミロ法師のために助けを呼ぼうと人里のほうに飛んできた白鳥が見つけたのは、風雅な屋敷の庭で竹籠に若草を摘んでいる人影だった。
白鳥には人の善し悪しはわからなかったが、一刻も早く急を知らせなくてはという必死な気持ちが神仏に伝わったにちがいない。 竹籠を持ったその人は都から乳母の里に遊びに来ていた貴人の姫で心やさしい乙女であった。
「もしもし、お姫様、お願いです、助けてください!」
突然の羽音とともに舞い降りてきた白鳥に驚いた姫は、
「まあ!なんときれいな白鳥さん!いったいどうしたのですか?私にできることがあるのなら、なんなりと力を貸してあげましょう。」
と呼び掛けた。
「勇気のある立派な人が病気で苦しんでいます。どうか助けてください!」
「それはたいへん!その方のところへ案内してくださいな。」
姫が屋敷からお供の貴鬼を呼んで急ぎ足で白鳥の飛んでゆくほうに行ってみると、 川岸の芦の何本も生えているその根本に漂い着いているお椀の中に小さい人が倒れているではないか!すぐ近くにはもう一羽の白鳥が心配そうにしているのだ。
「まあ!これはいったいなんとしたことでしょう!」
驚いた姫はお椀の船を掬い上げると大事に懐に抱きながら急ぎ足で屋敷に戻って行った。

美しい面立ちに利発な眼差し、緑なす黒髪のこの姫は、これまでに何人も中宮、妃を入内させている都でも一、二を争う権門の三条の大臣家の二の姫で、名をカミュ姫と言い、宮中や貴族の間では 『 虫めづる姫君 』 の通り名で知られているのだった。
このくらいの身分の高い姫君ともなると年頃になれば入内の話が出てくるものだが、姫よりも三つ年上の一の姫がすでに帝の中宮となっているのに姫はいまだに独り身で、虫めづる姫君という呼び名も災いしてますます通う殿御もいるはずがなく、親を嘆かせているのである。
童の貴鬼を供に連れては、自邸の庭で小さい虫達を興味深く眺めたり、 空に瞬く星々の動きを飽かずに日記につけたり、なぜ雪は美しい六角の形をしているのかなど、身の回りのことから知る喜びを見つけるような利発な姫君だが、なぜか虫が好きとの噂ばかりが独り歩きしてしているのだ。けれども、 一門の頭領である三条の大臣が、
「この姫が男子で在ったならよかろうに。」
と笑いながら口にするほどに、才気にあふれ教養深く、優しい女性としての徳性と美しさも併せ持った姫なのである。
そんな姫君ゆえ小さい生き物にはことさらに愛情込めた世話をするのが常で、 水に漂うお椀の中の小さい人がひどく苦しそうにしているのを見ると、はっと胸をつかれてひたすらに哀れに思うのも無理はない。
「こんな小さい人を見たことがありませぬ。見ればたいそう弱っている様子。なんとかして助けまいらせましょう。」
いそぎ屋敷に戻った姫は乳母に頼んで盥 ( たらい ) に程よい湯加減の湯を入れさせるとお椀の中に横たわっている小さい人の身体をそっとすくい上げた。
「あっ!」
これはなんとしたことだろう。ぐったりとしている小さい人の背中が真っ赤に染まっているではないか。
大怪我をしていると思った姫はそんなにたくさん血を流している人を見たことがなかったので息が止まるほど驚いた。 それでもドキドキする胸を押さえながら背中の怪我を探ってみると、それは背中の包みの中にあった姫の小指の先ほどの野苺が潰れて赤い汁が滲み出ているのであった。
「ああ、怪我ではなかったのですね。」
ほっと胸を撫で下ろした姫は今度は落ち着いて小さい人の着物を脱がせることにした。身の丈が三寸ほどしかない人の着物はとても丁寧に仕立てられており、あまりの可愛いさについ感心してしまうのだが、今はそんなことよ り手当をするのが先である。 まるで縫い糸のような細い帯を解くだけで姫の額には汗が滲んでしまう。
姫君が細心の注意を払いながらやっとの思いで小さい人の表着を脱がせたその時、白い単衣に身を包んだ小さき人が苦し気に身を震わせた。 その拍子にハラリと緩んだ襟元から覗いたのは、まるで漆にかぶれでもしたかの様に毒々しく赤く腫れた肌だった。

   まあ!なんてかわいそうに!
   毒虫にでも刺されたのかしら? それとも漆にかぶれたとか?

ドキッとした姫は熱に苦しむ小さい人の痛々しい様子に 、どんなことをしても助けてあげたいと強く思うのだ。
すると心配してみていた乳母がよいことを言った。
「姫様、蓬の薬湯をためしてみたらいかがでしょう?きっと効き目がございます。」
「まあ!よもぎを?」
「はい。蓬ならさきほど摘んだばかりでございます。すぐに用意をいたしましょう。」
姫はぐったりした小さい人の身体をぬるま湯でそっと洗ってから、掌に乗せて柔らかく揉んだ蓬の葉を浸した湯に入れてやった。 普通ならやんごとない姫君が裸の若者を見たり、ましてや湯に入れたりなどということがあるはずはないのだが、なにしろ背丈が三寸ばかりの可愛らしさだ。小さい人形の世話をするのとたいして変わりがないように思われて、まったく恥ずかしくはないのだった。
そんなわけで姫が指先で首や胸の赤いところを優しく撫でていると小さい人が低く唸って目を開けた。
「気がつきましたか。気分はどうですか?」
「あっ、ここは?」
ミロ法師はいつも回りに大きい大人がいるのに慣れていたので、目を開けたときにすぐそばに人がいたことには驚かなかったが、自分が何も着ていないままに湯に浸かって いたことにはおおいに驚いた。 しかもいかにも身分の高いらしい姫の掌に乗っているではないか!