ミロ法師  その4

さあ、パニックだ。 今まで病気の一つもしたことがなかったので、もの心ついてからというものは着替えもお風呂も一人で済ませていたのである。
「あ、あのっ、いったいどうして…っ」
あわてて立ち上がろうとしてあやうく転びかけ、驚いた姫が両手で包み込むようにしたので、身体が隠れたのはいいけれど小さいといえどもミロ法師も十五歳、ますますドキドキである。
「よかった!お話ができるのですね。わたくしはカミュと申します。貴方はお椀の舟の中で具合が悪くなって倒れていたのですよ。親切な白鳥さんが知らせてくれたので、お助けして蓬の薬湯にお入れしました。具合はいかが?」
言われて首に手をやると、あんなに熱をもって赤く腫れていたのにあのおぞましい蟇のゼーロスのいやな油の匂いもすっかり消えて、肌のかぶれもきれいになっているではないか。
「ああ!おかげさまで治っているようです、助かりました!」
「よかったわ。貴方のお名前はなんと申されます?」
「これは申し遅れました。俺はミロ。背丈こそ小さいが剣の腕は誰にも負けない自信があります。」
「まあ、それは頼もしいこと!ではこれから貴方をミロ法師とよびましょう。こうしてお目にかかったのも何かの縁、しばらくはこの屋敷にとどまってわたくしの話し相手になってもらえま せんか?」
やさしく言われてなぜか胸が高鳴るが、ミロ法師には大きな夢があるのだ。
「いいえ、せっかくですが、これから都に行くつもりなので。」
「それならわたくしもじきに都に戻るのです。ここは乳母の里、都の屋敷は三条にあります。もし、お嫌でなかったらわたくしの供をしてもらえませんか?」
ミロ法師の愛らしさ可愛らしさをいとおしく思った姫君は、この小さい人を手元において慈しみたいと考えたのだ。

   それにこんなに小さいのですもの 誰かが守ってあげないと危ないわ

剣に自信があると言ったミロ法師の本当の強さを知らない姫君は、母性本能を刺激されたのである。
思わぬ申し出にミロ法師は驚いたが、考えてみれば住んでいた村ならいざしらず、誰一人知る人のない都に上るのは危険がいっぱいだ。 蟇蛙に襲われたのも心外だが、道を歩いていて牛車に引かれそうになるとか烏の餌に間違われていきなりさらわれるとか、考えたらきりがない。もしかしたら悪党に捕まって見世物にされる恐れすらあるではないか。
生き馬の目を抜く、ということわざを思い出したミロ法師はいささか不安になった。ついでに井の中の蛙というのも脳裏に浮かんだが、あの嫌なゼーロスのことを連想してぶんぶんと首を振る。どうしたものかと考えていると、
「それにあのぅ……」
「え?」
「お着物を縫わないと外には出られませんわ。背中に背負っていらした野苺が潰れていてお着物が真っ赤に染まってしまったのですもの……」
「あ……そう…」
苺の色は洗っても落ちるものではない。むろん裸では都に行くことなど論外だ。
こうしてミロ法師は姫の元にとどまることになったのである。

カミュ姫に伴われて都に上ることになったミロ法師は、縫い物の好きな姫がちくちくと楽しげに新しい着物を仕立てている間、不本意ながら雛人形の衣装を着て過ごすことになった。人形の衣装といえどもそこは権門の姫君のために特別に誂えられた品なので、布地も丹後の荘園から献納された最高級の絹だし仕立てもよくできていて申し分ない着心地である。
「ミロ法師の住まいにちょうど良いものを思いつきました。」
しばらくして都の屋敷に戻った姫が塗籠から女房たちに出させたのは雛の節句のために特別に誂えられた立派な御殿である。総蒔絵の御殿は きざはしに高欄までついた本格的な寝殿造りで、几帳や御簾まできちんと整っているのにはミロ法師も驚いた。育った村では雛遊びといってもほんの手慰みだったし、そもそも女の子がいない家だったので雛人形もありはしなかった。
それでもさすがに寝具までは揃っていなかったので、ミロ法師の可愛さに夢中になった女房達があっというまに綿入れ布団を仕立てたものである。姫が連れ帰ってきたミロ法師は屋敷内でまたたくまに人気者となったのだ。
「カミュ姫様、ご覧くださいませ。このような可愛い枕ができました。」
「姫様、わたくしは円座を編んでみましたの。色糸を編み込んできれいな仕上がりですわ。」
「冬に備えて綿入れを作ってみました。青がお似合いかと存じます。」
だんだんと衣装が増えてきたので、幾つもある姫の手文庫のうちの一つをミロ法師の専用衣装箱にするという騒ぎでである。これでは毎日二度は着替えないととても着尽くせるものではないだろう。
「男にはそんなに衣装はいらぬと思うのだが。」
「いいえ、都の殿方はたくさん衣装をお持ちと聞いております。父上も毎年、それはそれはたくさんの衣装を仕立てさせますし。」
裁縫の得意な姫は染色の段階から好みの色に染めさせるほどの腕前だ。
「ミロ法師には赤も青も似合いそう。茜と藍を用意させましょう。」
「そんな贅沢は…!」
「いえいえ、ちっとも贅沢ではありません。残りの布地でわたくしの着物も仕立てましょう。」
姫の手のひらほどの布地があれば直衣の縫えそうなほどミロ法師は小さい背格好だ。ミロ法師の使う布の残りというよりは、姫の衣装を仕立てた余り布でミロ法師の衣裳を仕立てるというほうがより事実に近いだろう。
こうしてミロ法師は瞬く間に十数枚の色とりどりの衣裳持ちとなった。