ミロ法師 その6
「さあ、お食事にいたしましょう。」
女房達が運んできた姫の御膳は普通だが、ミロ法師の食膳はまことに愛らしい。なにしろ身体が小さいので、お屋敷出入りの職人に食器を誂えさせるとたった一日でちょうどよい寸法の椀や皿ができてきた。塗り椀は仕上がるまでに時間がかかるので、とりあえずは木地のままの素朴な品だ。
飯椀はしじみ貝の半分ほどの大きさで、ミロ法師専用の小さいお櫃に盛られたご飯は自分でよそうことになる。
杓文字があまりに小さくてミロ法師のほかは誰も持てないのだ。そのご飯もお米粒の一粒がおにぎりくらいの大きさに見えるので、三粒もあれば十分なのだったた。
魚や菜は姫が自分のために用意されたものを箸の先でちょっと取りのけてミロ法師の膳の上の小さい折敷に置き、
汁物は耳かきのように小さい杓子で同じように分けてやる。
「遠慮なさらず、おかわりもどうぞ。」
「うん、遠慮はしない。」
よく動くミロ法師は小さいながら食欲が盛んでなかなかの食べっぷりを披露する。
「お食事のあとは手習いをいたしましょうね。」
「う〜ん、俺は手習いはどうにも苦手で。なにしろ俺が持てるような筆がなかったから、地面に魚の小骨で字を書いて学んでいただけだし。」
「今日はさきほど筆ができてまいりましたからぜひに。それとも、わたくしと一緒はおいやですか?」
「そんなことはない!」
きっぱりと言い切るところを見ると、ミロ法師、この屋敷での暮らしは満更でもないようである。
文机の前で手習いに余念のない姫の横でミロ法師が誂えられてきたばかりの小筆を持ち、見よう見まねで八枚目の紙と格闘していると、先触れの女房が現れて大臣の来訪を告げた。
「まあ、お父様が。なんの御用かしら?」
手習いの道具を急ぎ片付けていると、この邸の主であり姫の父君である三条の大臣がやってきた。
この方はまだ近衛府にいた若い時に、京の都に跳梁跋扈していた大妖怪の鵺 (ぬえ)
を先帝の命によりただの一矢で退治したことがある。その時に帝から、
「労する事なく、ようもかかる難事を成し遂げたものよ。」
とのありがたいお褒めのお言葉を頂戴したことから、親しい方々には縮められてロス大臣、ロス大臣と呼ばれているのだ。
おおらかでいつも笑顔を絶さぬこの大臣は、権門の頭領だとひけらかすことのない気さくな性格で、嫡子がいないせいか、ミロ法師を見かける度にあれこれと構いたがるのが常である。その大臣がいつになく厳しい顔で言う。
「ミロ法師よ、共に宮中へ上がらねばならぬことになった。先日、御前に召された折、後先を考えることが出来ぬ大納言が面白半分に小さき人の噂話を今上にお聞かせ申したのだ。今上は私が困っているのを畏れ多くもお察しになり聞こえぬふりをなされたのだが、他の公卿たちが、ぜひ伺候させよ、珍らかなる人をお目にかけぬのは不忠である、と口々に述べ立ててどうしても断りきれなくてのぅ。」
「なんと…なんと仰せになりました!?」
きょとんとしているミロ法師と違い、貴族の社会で育った姫はその言葉に哀れなほどに真っ青になった。
姫が一目で魅了され、父のロス大臣も宝のように大事に扱ってくれるこのミロ法師を帝が見たらそばにとどめ置こうとしても不思議はない。初めて見る小さい人に興味を持った帝がたった一言、ここに居れ、と言うだけでミロ法師は姫の手から引き離されて二度と会えなくなるかもしれないのだ。
「あ、あの……父上さま…ミロ法師は宮中の決まりごとには慣れておりませぬし、参内いたしましてもなにか不都合なことがあるやもしれませぬし…」
姫のおろおろ声がかわいそうでロス大臣も気の毒でならない。
ミロ法師のことは女房たちに固く口止めはしていたのだが、いつのまにか出入りの商人たちの目に留まったらしく、掌に乗るような小さい人が三条の大臣の屋敷の懸人 (かかりうど) になっているという噂が漏れて、権大納言だの近衛大将だのという身分高い人々から、ぜひ見せてもらいたいという申し入れがひっきりなしにあり、断るのに苦労していたのだ。
姫がミロ法師をいつくしみ傍らから離さぬ気持ちはロス大臣にもよくわかる。男のロス大臣にしてからが、姫が屋敷に連れ帰ってきたミロ法師を見たとたん、驚き、そして愛らしく思ったのだから。
こんなに小さい人が世の中にいようとは!
それも一人前に話ができて礼儀作法も心得ている
人形よりも美しい顔立ちで、しかも剣の腕も立つとはいやはや驚き入った!
こころみに掌に乗せてみると、ちょっと不満そうな顔をしたのは一瞬で、屋敷の懸人 ( かかりうど ) になっているおのれの立場はわきまえているものとみえ、きちんと座って、
「わたくしは信濃は天蠍村のミロと申します。姫君にはたいそうお世話になっております。」
というのも礼儀を弁えている。ただし声はたいそう小さくて、まわりがうるさければほとんど聞き取れぬことだろう。
よく見れば目鼻立ちも整って美しく、これでは姫でなくても愛でたくなるというものだ。
「これはこれは。よくぞ我が屋敷に来てくれた。そなたがいてくれれば目立たずに姫の警護もできよう。知っての通りカミュ姫は虫好きで、すぐに庭に出てあちこちの前栽の叢や木の梢に手を伸ばす。姫たる者がそのような端近に出て下賎な輩に姿を見られたらどうするのだ、といくら言ってもきかぬのだ。そうでなくても毒虫に指でも刺されたらと思うと気が気ではない。」
よほど姫の行状に手を焼いているらしく、男親の心配は尽きないようだ。宮中では豪胆にして太っ腹とのもっぱらの噂のロス大臣も姫の身を案ずることは一通りではない。
「姫の身でしたら、ご案じになることはございませぬ。このミロが必ずやお守りいたしましょう。」
「頼むぞ。」
警護の随人をつけようとしても姫がうるさがるので困っていたロス大臣としては、姫がミロ法師をそばに置きたがるのは願ってもないことだった。
男女の間柄とはいってもこの身体の小ささでは間違いの起こりようがないという安心感がある。歳を聞けばすでに十五だというが、この小ささなら大事にかしずかれた姫の顔を見られてもかまわぬという気にもなる。
そんなわけでカミュ姫とミロ法師がいつも一緒にいることは当たり前だと受け止められていたこの頃だったのに、今上帝からの突然の呼び出しはまさに晴天の霹靂だった。
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