ミロ法師 その8
「周りが見えなくてさぞかし窮屈だろうが、ここからは私の懐に入っているがよかろう。御前に参るより前に余人にみつかってはなにかとうるさい。」
頷いて掌に乗ったミロ法師をゆったりとした懐の中に入れるとロス大臣は牛車から降りた。
ミロ法師の噂がどこまで広がっているのか想像もつかないが、人の口に戸は立てられぬものである。
下手に女房などに姿を見られようものなら、悲鳴があがる、卒倒する、ほんとに生きているかさわろうとする、異変を聞き付けた検非違使がわらわらと駆け付ける。ろくなことは
ないに決まっているのだ。
ミロ法師を無事に屋敷に連れ帰る方法をあれこれと思案しながら春興殿 (しゅんきょうでん)
の長い廊下を進んで行くと、向こうからやって来るのは都にその人ありと知られた陰陽師のシャカである。いつも影のように付き従っている友人のムウ
の姿も見えた。
シャカ殿か……
陰陽道に通じ、あの世とこの世を自在に行き来するという噂のシャカ殿が
ミロ法師を見たらなんと思うことやら……
珍しいと思うだけでは済まぬだろうな
あやかしの者ではないかと考えて、帝以上に手元に置きたがり、
いろいろなことを問いただすに違いない
ミロ法師はけっしてそのような者ではないのだが
そんなことを考えながら懐のミロ法師を衣の上からそっと撫でたとたん、ロス大臣の脳裏によい考えがひらめいた。
このまま帝にミロ法師をお目にかければ宮中に留め置かれるのは必定!
下手をすれば二度と屋敷に連れ帰ることは叶わぬ
ここは一つ先手を打つに限る!
「これはシャカ殿、よいところでお目にかかる。」
「これはこれは、ロス大臣には本日も御精勤ですな。」
「なにかと政務がありましてな。ときにシャカ殿には先日も宣耀殿 (ぎようでん)
に現れて恐れ多くも宸衿を悩ませ奉った鵺を調伏なされたとか。立派なお働きには実に感服いたしておりますぞ。帝にもさぞやご安堵なさっておられましょう。」
「お役に立ちましてなによりです。」
「ときに都の辻にはいまだ百鬼夜行が横行し困ったものですな。」
「あれは追い払っても追い払っても、ほとぼりが冷めるとまたぞろ姿を現し人心を騒がせる。なかなか手を焼いております。」
シャカが悔しそうに眉をひそめた。 百鬼夜行というものは傘やら臼やら牛やらの様々な器物や生き物が年経て妖怪に変じたもので、次から次へと現れるため根絶するのは容易ではない。
「そこでシャカ殿に引き合わせたい者がおります。しばし、そこの細殿でお話し申し上げたいが、よろしいか?」
「ほう?それはどのような?」
「ここでは人目がある。さ、こちらへ。ムウ殿も参られよ。」
二人を脇の細殿へ誘ったロス大臣は周りを見渡し、他の人の気配が無いのを確かめると形を改めた。
「天下の陰陽師であるシャカ殿に曲げてご承諾いただきたき儀が」
真摯な眼差しで話始めたロス大臣がそっと懐に手を差し入れ、慎重に何かを取り出してそっとシャカとムウの前に置いた。
「何はともあれ、この者をご覧いただきましょう。」
そう言ってロス大臣が手を開いた中から現れたのは、丈はわずかに三寸ばかり、手の平で隠れてしまう程に小さい人が緊張した面持ちで床に座りシャカとムウを見上げていた。
「な、なんと!?」
「このような事が!?」
天下の陰陽師と云えども思わず声をあげ驚いてしまうのは仕方がない事であった。
「これはいったい…!」
「有り得ない!ほんとに人ですか!?」
身を屈めてまじまじとミロ法師を見つめる二人は息を呑む。
「これは先月我が屋敷に参った者で、小さいということを除けば我等となにも変わることがない。話もすれば字も書ける。」
「まことですか!ぜひ話すところを見たいものです!」
シャカが勢い込んだ。話のできる妖怪と相対したことはあるが、いずれも深更の夜中のことで、このような明るい昼時に面と向かって会ったことはない。 妖かしの者は闇の中に居ると相場が決まっているものだ。
それがどうだろう。 いま目の前にいる小さい人はたしかにロス大臣が懐から出したのであって夢幻ではありえない。式神でもないことは陰陽師のシャカには明らかで、位こそ高いが只人と思っていたロス大臣にこれまでの知識を見事にくつがえされたのには嫉妬さえ覚えてしまう。
シャカのそばにいると驚かされっぱなしのムウも、たいていのことにはもう慣れたと思っていたが、この小さい人には度肝を抜かれた。都一の人形師でもこれほど細やかな細工はできぬだろうと思うが、それがまことに生きている人だというのには呆れるばかりなのだ。
シャカとムウの驚きを知ってか知らずか、目の前の小さい人は生き生きとした表情でこちらを見ている。
これは妖怪か? それとも人の形をした精霊か?
まがまがしい気配はなにも感じられないが、それにしても……
シャカが波立つ心を抑えかねていると、
「こちらにおわすは中務省 (なかつかさしょう) 陰陽寮の陰陽師、安倍シャカ殿。もうおひとかたは皇后宮権大夫 源ムウ殿であられる。挨拶を。」
ロス大臣に促されたミロ法師がきちんと姿勢をただして二人を見上げた。
「初めてお目にかかります。それがしはミロと申します。縁あって大臣の屋敷に寄食いたす者にございます。以後お見知りおきください。」
きわめて小さい声だが言語明瞭で礼儀も弁えているのは一目瞭然で、シャカもムウもあっけにとられた。
→