秋の日差しの中、宝瓶宮のベランダでミロがのんびりとアフタヌーンティーを楽しんでいたときだ、カミュがこう言った。
「昨日、老師が若い聖闘士の訓練の相手をしていたときに腰を痛められたらしい。」
「ふうん、老師もお年だからな、ちょっと無理だったんじゃないのか?」
「天秤宮で一人で過ごされるのはご不便なようで、誰かお世話をする者が必要だが、適当な者が見当たらぬ。
そこで、老師に宝瓶宮においでいただくことにした。」
「なにッッッ!!!!」
ミロは耳を疑った。
今、カミュはなんと言った?
老師を宝瓶宮にだと??!!
それって、いわゆる老人介護じゃないのか???
黄金聖闘士ともあろうものが、なぜ、そんなことをせねばならんのだっ!
「な、なぜ、お前なんだっ???老師に名指しされたのかっ??!!」
口角泡を飛ばして、ほとんど抗議といってもよいほどの声を上げたミロである。
「いや、そうではない。貴鬼がふさわしいのではと思い、ムウに聞いてみたのだが、
聖衣の修復に取り掛かっていて、どうしても貴鬼の手が必要なのだそうだ。
他にできそうな者がいないので、私が名乗りを上げたら老師もたいそうお喜びだった。」
「そ、そんな………もう決まったのか??」
「うむ、このあと天秤宮にお迎えに行ってくる。」
「え………このあとって……すると今夜は………?」
「むろん、老師の腰が全快するまでお泊りいただき、身の回りのことは私がすることになる。
ミロもここしばらくは天蠍宮に帰っていなかったから、たまには自宮に滞在するのもよかろう。
黄金聖闘士があまり長い間留守にしているのは褒められたことではないからな。」
ミロは呆然とした。
老師の腰が直るまでって、いったいどれくらいかかるんだ?
その間、俺はカミュと夜を過ごせないってことじゃないのか? 冗談じゃないぜ!
たとえ宝瓶宮の両端の部屋に分かれていても、
老師が同じ屋根の下にいるのにカミュと寝るわけにはいかん!そんなことができるかっ!
知らぬふりをしてこっそりカミュを抱いたとしても、
あの老師のことだ、きっと俺たちの小宇宙を感知するに違いないっ!
「お前も一緒に天秤宮へ来ぬか?」
「い、いや、俺はいい……天蠍宮に戻ることにするから、お前一人で行ってくれ。」
「そうか。 しばらくは忙しくなるだろうから、お前にも迷惑をかけてすまぬ。」
ミロの動揺も知らぬげに、ティーを飲み終わったカミュは天秤宮へと出かけて行き、ミロは悄然として宝瓶宮をあとにした。
それからの日々は、ミロにとっては面白くないことこの上ない。
宝瓶宮にも行きにくく、なんとか理由をつけて天蠍宮にカミュを呼ぶのだが、来て30分もしないうちに、
「夕食の用意をせねば」 だの 「リハビリの散歩の付き添いをする時間だ」 だの、そわそわし出して、ミロが引き止めるのもきかず、帰ってしまうのである。
先日は、やっとの思いで夜更けに呼び出し、渋るカミュを天蠍宮に連れ込んでそれなりに雰囲気を盛り上げ、さあこれから、という段になって、ふと時計を見たカミュが、
「 そろそろ腰をおさすりせねば。いつもこの時間にお呼びになることが多いのだ。」
と、立ち上がるではないか。
「老師の腰より、俺の腰をどうしてくれるんだ!」
と、思わず叫んだら、永久氷壁よりも冷たい目線が飛んできた。
「この際言わせてもらうが、俺と老師と、どっちが大切なんだ!」 と、つい口走ると、 「目上の人を尊敬し、大事にもてなすのは人の道であろう! 老師は先の聖戦を切り抜けてきたお方だ。
お前のこともむろん大事だが、やはり次元が違う。同列には論じられぬ!」 と、ミロには太刀打ちできない理論で切り返してきた。
憤懣やるかたないミロだが、誰にもこの鬱憤をぶつけることができずイライラは募るばかりである。
そのあたりの事情を察したデスやアフロが面白がって 「やあ、ミロ!たいへんそうだな、元気でやってるか?」
と声をかけた時には、思わずスカーレットニードルを放ちそうになりぐっとこらえたものである。
ただならぬ雰囲気を悟った二人が、二度と声をかけなくなったのが唯一の収穫といえたかもしれない。
老師は、そんな事情を知ってか知らずか、
「ほっほっほっ、長い間世話になり、すまんのぅ、カミュ。」
「いえ、これしきのことでお礼を言われては恐縮いたします。」
「どれ、暇じゃから中国史の講義でもしてやろうかの?」
「それは楽しみな!こちらからお願いしたいと思っておりました。
ミロも呼んでやりましょう、きっと喜ぶことでしょう。」
さあ、ミロの面白くないことは限りがない。
「なんで、俺がそんなものに行かなくてはならんのだっっ!!」
「お前も中国史には興味があるではないか。 それとも今までの興味関心は作り事なのか??」
「しかし………」
「見損なったぞ、ミロ!」
「えっ?!いきなりそれはないだろう、カミュっ!」
「では、来るか? 来るのだな? 老師に、そう返事をしてもよいな?!」
「………ああ……行くよ、行くとも。行けばいいんだろう……」
くそっ!!!!なんだって俺が、こともあろうに宝瓶宮で老師の話なんぞ聞かなきゃならんのだっ!
俺は宝瓶宮では、カミュと二人だけでいたいんだよッッッ!!!
もう二週間もカミュとは、なにもないんだぜっ!
比翼の鳥よりも親密だった俺たちは、どこに行ったんだ??
だいたいカミュもカミュだ、どうして俺と過ごせなくても平気なんだ??
それは、シベリアに行っていたときはもっと長期間逢えなかったが、
あれは長距離恋愛だから、それなりにドキドキ楽しんだものだった。
しかし、今はこんなに近くにいるんだぜ、なんで逢えないんだッ!!
俺は、お前を、抱きたいんだよッッッ!!!!!!
ミロの不満のボルテージが上がるのにもかかわらず、 カミュの中国熱は高まり、ついには中国語を習い始めた気配である。
老師も久しぶりに出来のよい弟子に恵まれたのが嬉しいらしく、講義に熱が入っているらしい。
これでは老師の体調が戻っても、しばらくは宝瓶宮に居座るのではないかと、 心中密かにそれを恐れるミロなのであった。
やがて三週間ののち、老師は宝瓶宮を引き払い、天秤宮に戻っていった。
その夜、ミロが久しぶりの逢瀬を満喫したのはいうまでもない。
その三日後、老師がミロと行き会った。
「おお、ミロではないか!」
「これは老師、お元気になられてなによりです。」
「うむ、年甲斐もなく若い者の相手をしたのが間違いじゃった。
やはり若い者は若い者同士がよいのぅ、そうは思わんか?」
「は。それは訓練の折には互いに小宇宙を極限にまで高めることもありますので、やはりそれがよろしいかと。」
「そうではない。わしが言っているのは他のことじゃが、わからぬかな?」
「………は?……こ、このミロ、なんのことやら一向に………」
「ほっほっほっ、まあよい。 この間は長々と邪魔してすまなかったの。 さぞかし気を揉んだであろう。
若い者は若い者同士、うまくやるがよい。」
「…………」
「では、カミュにもよろしく伝えてくれ。またな。」
「は…………」
いかに全ての聖闘士の頂点に立つ黄金聖闘士といえども、年の功には勝てるものではない。
かくて、老人介護はミロには鬼門となったのである。
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