招涼伝第三十七回


玲霄殿から昭王様のお住まいの紅綾殿までは、長い回廊や渡殿 ( わたどの ) を幾曲がりもしていくのだけれど、その途中に広い蓮の池があって、池の方に少し張り出して觀蓮亭 ( かんれんてい ) が作ってある。 反り返った軒先と丹塗りの柱がよく目立つ六角形の觀蓮亭には小卓と椅子が置かれていて、貴い御身分の方々がここで花をご覧になりながらお休みになれるようになっているのだ。
水の上を渡ってくる風が涼しいので、太后様も昭王様もこの場所をお好みで、先日は太后様が奥絵師の御進講をかねて蓮の絵を手ずからお描きになっておられたのだった。
今年初めて蓮の花が咲いた日には、太后様が昭王様をお誘いになられ、御二方お揃いで觀蓮亭にお越しになられた。 その時に太后様が詩をお作りになられたので、昭王様も少し時間をおかけになって蓮の花の詩を詠んでおられたのだ。

その觀蓮亭で立ち止まられた昭王様は、手燭台を捧げていた侍僕たちを先に行かせると、高欄に身をお寄せになり、蓮池をご覧になられた。
玲霄殿を御退出になるときには既に先触れが回っているので、お通りになる道筋の所々には篝火が焚かれていたけれど、まさか夜中に觀蓮亭にお立ち寄りになるとは思わなかったのだろうか、この辺りは暗いままになっている。 それでも大きな月が昇っているので、明りがなくとも池の様子がよく分かり、まだ夜中だというのに気の早い蓮の花が幾つか咲いているのが見えた。 日暮れ時に夕立があったので、どの葉の真ん中にも銀色の大きな丸い水の玉ができていて、それに月の光が映ってきらきらと光って見える。
天勝宮の奥にあるこの蓮池は、燕で一番偉いお坊様のシャカ様が、先王様のお許しを得てお作りになったもので、夏になると水の中から真っ直ぐに伸びた茎の先に大きな桃色や白の花が咲くのがとてもきれいなのだ。 それに、傘の代わりになるくらい大きな蓮の葉に水をこぼすと、透きとおっていたはずの水が銀色の丸い粒になってころころ転がるのがとても面白い。
どこか遠くから風に乗って管弦の音が聞こえてくるのは、宴のあとで座を移してお楽しみになる方々がおいでなのだろうけれど、このあたりは静まりかえって何の物音もしない。
あまり長い間そうしていらっしゃるので、お声をおかけしようかと迷っていると、高欄近くの大きな蓮の葉がゆっくり傾いて、溜まっていた水がこぼれ落ちた。 その音にお気付きになられた昭王様が高欄から少し身を離されて小さく溜め息をつかれたのが聞こえてきたけれど、やはり何も仰せにはなられなかった。

きっと、昭王様は蓮をご覧になっていたのではなく、あの日のカミュ様のお姿を思い出しておられたのだろうと思う。


                                   ⇒続く