「 比翼の鳥


ミロが五日ぶりに訪れた宝瓶宮はひっそりと静まり返っていた。
カミュの小宇宙は感じられるものの、やや安定を欠いたそれは、日頃のカミュには似つかわしくないものである。
もっともその変化は、ミロでなければわからぬほどの微細なものではあったのだが。

「カミュ………入るぜ……」
返事があるとは期待もせずにそっと声をかけると、声の代わりにかすかな身じろぎの気配が伝わってきた。
音を立てぬように静かにノブを回して入った部屋は灯りもつけられておらず、物の形を見極めるのも難しい。
そんな中、、カミュの影は窓際に見出された。
何も見えないはずの外の闇を見つめて動かないカミュに近寄ったミロが、そっと肩を抱く。
ミロが近づくのはわかっていたはずなのに、大きく肩を震わせたのがいつものカミュらしくなかった。
「………ミロ……私は…………」
「何も言うな………言わなくていい……わかっているから………」
ミロの肩に頭をもたせかけたカミュに囁きかける。
重い吐息を耳元に聞きながら、ミロはカミュを長椅子にいざなった。
そのまま無言の身体を抱きしめると、心なしかカミュの緊張がほぐれたようだった。
「ミロ……すまぬ………気をつかわせる……」
「気にするな……聖闘士には誰しもあることだ…」
押し殺したため息が漏れ、少し冷たい身体が力を抜いてしなだれかかってくる。
久しぶりに想い人に触れた安堵感といとおしさが、そのまま唇を交わさせたのも無理からぬことであったろう。

先日与えられた任務はカミュに苛酷な闘いを強いた。 小さな分岐点から思いもよらぬ経緯を辿ったそれは、およそカミュの性格に合わぬ凄惨な結果を招くことになったのだ。
単独の任務に守秘義務は付物でミロもあえて問うことはしなかったが、その闘いがカミュに及ぼした影響については薄々察してはいた。 カミュが任務を完遂するだろうことにいささかの疑念もなかったが、それと、心に背負う重荷とは、また別の話である。
それにしても、聖域に帰還してきたときのカミュの小宇宙はひどく不安定なものに思われた。
ミロが案じるだろうと、極力平静を保とうとしたはずのカミュに違いないのだが、その結果がこの有様では、ミロが胸をつかれたのも当然だったのだ。 元の自分に戻ろうとカミュが焦れば焦るほど、動揺した小宇宙がミロを不安にさせたのである。

「カミュ……あまり眠ってないんじゃないのか? すこし休んだほうがいい。」
「そうだな………お前の顔を見ていたら元の自分に戻れそうな気がする。」
「こんなに暗くては俺の顔は見えまい。 素直に 『 お前に抱かれていたら 』 って言えば?」
「ミロ………」
闇の中でもカミュの口元がほころんだ気配が感じられ、ミロをほっとさせる。 今のカミュには笑いが必要だ。
「休むのにはやはり寝室がふさわしい。 ベッドに行こうって、俺が誘ったら……お前、怒る?」
「怒りはしないが………早目に寝かせてくれるか?」
「いいぜ、ちょっと残念だが。 なんなら子守唄でも歌ってやろうか?」
「いや、遠慮しておこう、かえって目が冴えてしまうかもしれぬからな。」
「それならそれで、お前が眠るまで抱いててやるさ。」
「そんなことを………ミロ……」
口ごもったところをみると、顔を赤くしたのは間違いのないところだったろう。

   よし! 小宇宙もだいたい元に戻ってきたようだ
   そう来なくちゃな

「疲れてるなら抱いていってやろうか?」
真顔で言うと、カミュがくすっと笑うのが聞こえた。
「気持ちだけもらっておこう、自分で歩いていく。」
「そいつは残念だな、いい機会だと思ったのに………」
耳元でささやいて、軽く頬にキスをすると、血の気が上ってきたのだろう、その暖かさがミロをほっとさせた。
「でも、ベッドの中では、気持ち以外のものも受け取ってもらえるかな?」
「え………」
絶句したカミュの唇はすぐにミロにふさがれて、ついにその返事は聞かれぬままになった。