道後温泉                 〜温泉占いの場合〜

 「ずいぶんと立派な建物だな!風呂屋というのは、なんかの間違いじゃないのか?」
 「明治27年に建てられたもので、平成6年には国の重要文化財に指定されている。」
 「ふうん、あれっ?料金がいろいろあるぜ?」
 「湯上りの休憩に個室を借りることもでき、その場合は一番高い。」
 「ふうん、俺たちは当然個室だな!」

 「ほぅ、えらく風情があるな!窓から顔を出せば、下をうっかり八兵衛が歩いていそうじゃないか♪」
 「では、湯に行ってくるといい、私はここで待っていよう。」
 「ああ、残念だが俺だけで体験してこよう。」

 「いま帰った。」
 「どうだった?」
 「歴史があるっていうのはいいぜ、ともかく古めかしくてなんともいえん味わいがある。」
 「ぼっちゃん団子と茶のサービスもあるぞ。」
 「ふふふ、ますます水戸黄門並みだな♪」
 「楽しくてよい♪」
 「なんならここで抱いてやろうか♪」
 「ばかものっ!」


「ここがあの有名な道後温泉か! 去年の大晦日にテレビで見て憧れていたんだが、やっと来られたな!」
「うむ、狭い日本とはいえ北海道から四国まではやはり遠いものだ。 千歳空港と松山空港間の直行便はないので、羽田もしくは伊丹空港で乗り継がねばならず、4時間弱かかる。」
「でも、来た甲斐があったぜ! この見事な建築はどうだ!」
四国、愛媛県の松山といえば、なんといっても道後温泉である。 他に松山は夏目漱石の 「 坊っちゃん 」 の舞台になったことや俳人正岡子規の生誕の地であることでも有名なのだが、あいにくミロの辞書にはそっちのほうは載ってはいない。

「ここは旅館ではなく銭湯なのだが、明治27年に松山藩お抱えの城大工だった坂本又八郎が城造りの技術を生かして建てたという経緯があり、現存する唯一の明治時代の温泉施設だ。 平成6年には国の重要文化財に指定されている。」
「ふうん、どうりで立派だと思ったぜ! あれっ、周りの柵に白い鳥の飾りがたくさんついてるが?」
「あれは白鷺で、柵も玉垣と呼ばれている。 白鷺が道後温泉を発見したと伝えられており、この建物の最上階の塔屋にあたる部分を振鷺閣 ( しんろかく ) といって、その上にも羽根を広げた白鷺が飾られている。ここからも、見えているだろう。」
「ああ、ほんとだ!……あれっ、その振鷺閣の中で……太鼓を叩いてないか??」
「あそこでは毎朝6時、正午、夕方6時に太鼓を打って街の人々に時を知らせるのだ。 今でこそ人々は時計を持っているが、この建物ができた昔は時計など贅沢品ゆえ、公共のために時を知らせる必要があったのだろう。」
「なるほど、ちょうど12時だ。 さあ、もう講釈はいいから中に入ろうぜ!」
道の向かい側に立って全体を眺めていた二人は正面入り口に近付いた。
「どうする?いろいろとコースがあるが?」
「え?温泉に浸かるのに種類があるのか?」
首をかしげたミロが窓口の上に掲示してある料金表を見上げると、なるほど漢字は読めないものの、かなり細かく料金が分かれているではないか。
「ここには浴槽が数種類あり、一番安い湯は町の銭湯と変わらぬ値段だ。 その上だと浴室が異なり、入浴後には55畳の畳敷きの広間で休憩でき、茶と煎餅が供される。 さらに上になると、上級の浴室での入浴と三階の個室での80分の休憩ができ、茶と和菓子が供される。 使う休憩室により浴衣の柄も異なるそうだ。」
「そういうことなら俺たちはもちろん一番高いコースにしようぜ、はるばる北海道から来たんだからな!」
「では、わしもそれで頼もうかの。」
「えっ…?!」
はっとしたミロが振り向くと、そこに立っているのは老師ではなかったか!
「あ……」
「これは老師、お待ちしておりました。」
「待たせたのぅ。 なにしろ中国からでは、いささか時間がかかる。 二人とも元気そうで何よりじゃ。」
突然の闖入者にミロが唖然としているうちに、入浴券を買ったカミュは老師より一歩さがってあとに続くのを待っているのだ。。
「さあ、ミロも参れ、この中は複雑な作りらしい、迷わぬように気をつけたがいい。」
率先して入ってゆく老師に続きながら、いっそのことカミュと二人で積極的に迷ってしまおうか、と思うミロなのだ。

中の作りはたしかに複雑で、ひとまず三階の休憩室まで行くのだが、廊下を通り二階への階段を上るとあちこちに廊下が伸びて、あれっ?という方向に幅の狭い階段があったりする。
「ミロ、ここは狭い。 頭をぶつけぬようにな。」
「もう南禅寺の轍は踏まないぜ、大丈夫だ!」
従業員に案内されながらアルデバランにはとても通れそうにない急勾配の細階段をやっと上ると、廊下の両側は全面の障子になっており、そこに並んでいる六畳の一間に通された。
「ほぅ、テレビで見た江戸時代の旅籠の造りと同じではないか!」
満足げなカミュがまず老師を中に通し、上座に座らせる。
昔ながらの和室には小さいながら床の間があり、掛け軸と花がいけてあるところなどは、さすがは日本なのだ。 ミロが外に面した障子を開けてみると、水紋を透かし彫りにした欄干がついている時代がかった吹き抜けの小廊下が左右に通っており、実に眺めがいい。
あいにくまわりは近代的なビルなのだが、なにしろこちらは110年前の城大工の建てた木造建築である。気分のいいのは当然だ。
テレビで見た水戸黄門御一行になったような気がしたミロが感心しながら道を見下ろせば、まるでうっかり八兵衛がそのあたりの小路から出てきそうな気がするほどだ。
「この部屋を80分借りられるので、その間に入浴を済ませることになる。 ここでまず浴衣に着替えるそうだが、上級の浴室のほかに安価な浴室にも入れるということだ。」
「俺はぜひ両方に入ってみたいね、え〜と、老師は…」
「わしも一緒がよいのぅ、というより温泉漫遊記のご老公役じゃから、ミロがお供の助三郎になるかのぅ。」
「えっっ?俺が…?」
思わぬ配役に意表をつかれたミロがカミュを見ると、
「なるほど、では、わたくしは格之進になりますか。」
あっさりと納得しながら老師に浴衣を着せ掛けている。

   お前ね………ものわかりがよすぎないか?
   そりゃまあ、俺が助さんでお前が格さんの方が性格的に似合ってるとは思うが…

「では、わたくしは銭湯は不得手ですので、ここでお待ちしております。 ミロ、老師をよろしく頼む。」
「ああ、わかってる。 お前もゆっくりしててくれ。」
タオルを持ち老師と連れ立って二階に降り、まず上級の浴室に入る。
「今回はご老公役じゃから童虎の姿になれんのが惜しいのぅ。」
「しかたございませんな、さ、ご隠居、まずお背中をお流しいたしましょう。」
あきらめて口調も助さん風になったミロが背中を流すと、老師はいかにも気持ちよさそうである。
「ほぅ、この浴室の壁は大理石じゃし、浴槽は大島石と庵治石 ( あじいし ) か、なかなか贅沢な作りじゃな♪」
「いえ、贅沢なら十二宮も負けませぬ!」
考えたこともなかったが各宮の延べ床面積は日本式にいえば500坪をはるかに越えるに違いない。 それだけの広さの大理石の建造物に一人で住んでいるのだから、贅沢もここに極まれリというものではないか。
「我々黄金聖闘士は遥か神話の時代より今日に至るまで大理石に囲まれておりますゆえ。」
張り合う気になったミロがますます時代劇調になってゆくのが妙におかしいのだ。
次の湯があるのでさっと上がり、再び複雑な階段を上がり降りしてもう一つの湯に入ると、こちらのほうの料金は大衆的なので観光客以外にこの近辺の住民がかなり入っているようだ。
といっても正午を過ぎたばかりの今は年配者の姿ばかりが目立ち、若く、おまけに金髪のミロはどうにも居心地が悪い。 あちこちから驚きの視線が投げかけられる。
「これは……いささか目立ちますな…」
「その金髪に加えて見事な体躯をしているからのぅ。 若さが輝いておるのじゃよ、年寄りにはなんとも羨ましくてならんのじゃ。 カミュの気持ちもわからんでもないが。」
「……は?」

   ……い、今、老師はなんと言った???
   酸いも甘いも噛み分けた、というより、老獪といったほうがいいのでは?
   人をからかって面白がっているんじゃないのか??
   あまりにも目上過ぎて言い返せんっっ!!!

「どれ、おぬし一人が注目されるのも面映かろう。 いっそのことわしも童虎になったほうがよいかの? 」
「……えっ!」
面白そうに目を輝かせる老師は半分は本気らしくて、ミロをおおいに慌てさせるのだ。
「ご隠居、おやめくださいませっ、このような人前で! ここの年寄りが心臓麻痺を起こしたらなんとなされますっ!」
「ほっほっほっ、冗談じゃよ、おぬしもまだまだ可愛いのぅ♪これならカミュも飽きんじゃろうて。」
「は……」

からかわれて赤面したものの、澄んだ湯に浸かりながら壁面のタイルに焼き付けてある唐や漢の漢詩の解説など聞いているとなにやら現実離れした気分になってくる。
「どうじゃ、これほど日本におると少しは日本語を話せるようになったかな?」
「は……簡単な挨拶くらいは。 それから料理の名前もずいぶんと覚えました。」
「ふむ……カミュ、あれはかなり覚えとるようじゃ。 そのうちに日本語をしゃべりだすからみているがいい。」
「えっ、そうでしょうか?」
「カミュほどの者が1年半も滞在しておれば十分に語彙の蓄積もできとるはずじゃ、或る日突然しゃべりだすかもしれんぞ♪」
ただでさえ英語で遅れをとっているのである。これ以上差をつけられるのはどう考えても望ましくはない。

   ううむ、そうと聞いたら安閑とはしておれんっ!
   よし、誕生日を過ぎたらカミュを手本に特訓だ!

湯に浸かっているにしては妙に気合の入った結論になったものだ。

「待たせたな、今あがった。」
「ちょうどよい。 たった今、坊っちゃん団子と茶が届いたところだ。」
「坊っちゃん団子? それはなんだ?」
みると座卓の上に小ぶりな三色団子と輪島塗の天目台に載った茶碗が置いてある。
「ここ松山は明治の文豪夏目漱石の書いた 「 坊っちゃん 」 という小説で有名だ。 漱石が道後温泉に来たのは明治28年、すなわちこの建物ができて一年後の、まだ木の香も新しい建物だった頃だ。」
「ふうん、ここがね!」
ミロは思わず天井など見上げてしまう。 年代がかった建物で、木の部分はすべて黒ずんでいるのだ。 まあ100年以上も経っているのだから無理もない。
「漱石は、 『 道後温泉はよほど立派なる建物にて、八銭出すと三階に上り、茶を飲み、菓子を食い、湯に入れば石鹸で洗ってくれるような始末、随分結構に御座候 』 と手紙に書いているほどだ。 そしてこの近所で食べた団子が美味だったので、作品中にも登場させ、それがこの坊っちゃん団子に姿を変えて残っているのだ。」
「ほぅ、さすがに詳しいのぅ!」
「いえ、お待ちしている間、ここの奥に 『 坊っちゃんの間 』 というのがありましたので、そこで英語の説明文を読んでおりました。」
褒められて顔を赤らめたカミュが老師に茶をすすめる。
「そういえばこの中には皇族専用の浴室もありますが、見学なさいますか?」

   ふうん! ってことは昭王になぞらえられるんじゃないのか?
   かねてから王侯貴顕の入浴には興味があったのだ、ぜひ見せてもらおうじゃないか♪

老師も興味深そうに頷き、二人が服装を整えたあと三人は二階へと降りた。
「ああ、ここだ、係員が案内してくれるらしい。」
皇族専用の風呂は 「 又新殿 ( ゆうしんでん ) 」 といい、皇族を迎えるために明治32年に増築されたもので、天皇・皇族が入浴したのはこれまでに10回を数え、昭和25年に昭和天皇が入浴されたのが最後なのだった。
「ふうん、もうずっと使われていないのか、もったいないな!」
「長年使っていなかったため、もうこの浴槽の源泉は枯れてしまって湯は出ぬそうだ。 」
「えっ?そうなのか?」
「うむ、天皇のための浴槽では、用もないのに勝手に湯を張るわけにもいかなかったのだろう。 ここが公開されたのは去年からだというから私たちは運が良かったのだ。 最後の天皇の入浴から55年が経ち、もう入浴は望めないことから一般人への公開に踏み切ったのだろう。」
天皇・皇族専用というだけあって、休息の間の襖も天井も実に豪華で目をみはらせる。 とくに奥の玉座の間は天皇だけが座る椅子が置いてあり、今までに使われたのは二回だけというのだった。
「天皇以外の皇族、親王・内親王などはこの手前の部屋までしか立ち入れぬ。 玉座の間の左手の襖の向こうには武者隠しがあり万が一のときに備えて警護の者が控えていたという。」
「ほぅ、江戸城と同じじゃな!」
「教皇の間にもそういうのがあったらサガの乱も早期にその芽を摘むことができただろうし、シャカとアイオリアの千日戦争もなかったんじゃないのか? ……いかんっ、幻朧魔皇拳なんぞ思い出してしまった!せっかく温泉気分にひたっていたのに!」
「それはいかんのぅ、今夜カミュに癒してもらうが良い。」
「は……?」
「いや、年寄りの独り言じゃ、気にせんでよい。」
説明の係員になにか質問しているカミュには聞こえなかったらしいが、どうも老師はミロだけに聞こえるタイミングを見計らっているようにみえるのだ。
「この浴槽は回りがすべて石造りのため湯を張ってもなかなか温まらない。 そこで皇族の入浴する何日も前から湯を張って暖めねばならなかったそうだ。 また、皇族が入浴するときは肌の上に白い単衣をはおって湯に身体をひたしたのだという。 肌は見せなかったらしい。」
服を脱いだところから石段を何段も降りていったそこは、湯船というよりも、床からかなり掘り下げた石造りの区画とでもいうような場所で、ミロの見たところ、あまりくつろげそうにはないのだった。
「俺はあっちの普通の浴槽の方がいいな、ここでは落ち着けん。」

   昭王はどんな入浴をしていたのだろう? なんといっても2300年前では推測すら難しい……
   王の入浴方法が記録に残されるとは思えんからな

石造りの浴室に比べると、休息の間の贅を尽くしたことはどうだろう!金泥銀泥の襖絵に漆塗りの脇息なのだ。

   やはり人間、裸になると贅沢は難しいということか!
   その点、俺は………ふふふ……毎晩この世の最高の贅沢を味わわせてもらっているからな♪

ほくそ笑むミロは、まだ今宵の宿に老師が同宿することなど考えてもいないのであった。


                                   ← 果実 ( 本格黄表紙 )



                
道後温泉、とても有名なこの温泉は毎年大晦日のニュースに登場します。
                由緒ありそうなあの建物は宿泊できる旅館などではなく、普通の街の銭湯!
                ただし、浴室や入浴後の休憩の有無などにより料金は5コースほどに分かれるのでした。
                名前も 「 道後温泉本館 」 といって、由緒と風情100%のお風呂屋さんなのです。

                先日の旅行で行ったのはここで、長年の憧れがついに現実になりました。
                期待にたがわずいい建物だったし、驚いたのは 「 千と千尋の神隠し 」 に出てくる銭湯を思わせたこと!
                混雑し人が行き交う様子や何階もの建築、廊下の様子がどうにも映画の雰囲気を思い出させます。
                なるほど! ここをモデルにしたという説はどうやら間違いではなさそうでした。
                夏目漱石とスタジオジブリ、ますます華やかな話題に彩られる道後温泉は、
                一度は行くべき名湯なのでした。

                え? 老師と川の字で寝たのかどうかですって???
                さあ、どうなんでしょう??
                ミロ様、それで納得するかしら♪

                ※ 道後温泉本館 ⇒ こちら