◆ アイザックが離れを訪ねたら   その2


「レモンとミルクと用意してありますので、お好きなほうをどうぞ。」
「ありがとう、あとは自分でやるから。」
ミロがめいめいのザッハ・トルテに生クリームを乗せる。 御辞儀をした美穂が出てゆき、あとは三人でのお茶の時間だ。
「こいつは絶品だ! 海底ではちょっと無理じゃないか? カノンのやつが羨ましがるだろうよ。」
「たまにはサガの訪問はないのか?」
「いえ、それは……」
先生の質問は平和すぎて答えに窮してしまう。 いくら平時とはいえ、かつてアテナを捕らえて葬り去ろうとした海底神殿に黄金聖闘士がそうそう気楽にケーキを持って訪問できる筈もない。
「サガが行くくらいなら、カノンが時々聖域に来るほうが有り得るんじゃないのか? 現にアイザックはここに来てる。 うん、やっぱり美味い!」
ミロの言うとおりで、コクのあるチョコレートが最初はサクッと来てその後でなめらかにとろけるのがなんともいえないのだ。
「サガみたいに小宇宙の強大な聖闘士がいきなり海底神殿の領域に降り立ったら、そこらじゅうから色めきたった海闘士やら海将軍が駆けつけてきて一触即発の睨み合いになるんじゃないかと思うぜ。 それじゃ、アイザックもカノンも困るだろう?」
「はい、それはちょっとまずいです。」
「ああ、それもそうか。」
「そうさ! シベリアみたいに親密な師弟の修行時代に俺がケーキを持っていったのとは、わけが違うんだぜ。」
「あれは本当に嬉しかったものだ。 お前が帰っていったあとも戸外で冷凍しておいたケーキを少しずつ大事に食べたのを思い出す。」
懐かしそうに話す先生は昔となにも変わっていない。 俺が海将軍になっていたことも素直に受け取って、こうして再会できたことを喜んでくれるのだ。
こうして和気藹々と海底や聖域のことについて話しているうちに俺の気持ちもだんだんとほぐれてくる。 ミロが先生にべたべたくっついているようには見えないし、先生もきわめてあっさりとしていてミロのほうを親しげに見るわけでもない。

   なんてことないのかな………恋人……とかじゃないのか?
   俺の考えすぎか?

内心で判断がつかないでいると、ミロに露天風呂に誘われた。
「露天風呂………ですか?」
「ああ、そりゃぁ気持ちがいいぜ! ぜひ入るべきだ!日本に来たからには露天風呂は欠かせない。」
自信たっぷりに言ったミロが立ち上がり、戸棚を開けてバスタオルや浴衣を出し始めた。
「食事前の入浴は心身を活性化し食欲を増進させる。 私は家族風呂に入るので入浴の作法はミロに教えてもらうとよい。 サガが来たときもミロが日本の風呂のことをいろいろと教えていたものだ。 一人だけで入るのは不安だろうが、ミロと一緒ならなにも困ることはない。」

   入浴の作法って………………フィンランドサウナみたいなものかな?
   ミロがサガに教えたのか?
   サガといえばカノンの双子の兄で、聖域では大物の筈だろう  ふうん………

東京に滞在していたときは普通のバスタブに入ったので、温泉というのは初めてなのだ。 どんな違いがあるのだろう?
故郷のフィンランドサウナにさえ数回しか入った記憶がない俺には入浴方法のことはよくわからない。

「日本人は他人と一緒に入浴するのが平気な民族だ。 最初は俺も驚いたが、慣れればなんてこともない。 裸の付き合いっていうのも悪くないぜ。」
そういいながら脱衣所にはいったミロがさっさと服を脱ぎ始めたのでさすがに驚いた。
「えっ! ほんとに全部脱ぐんですか?」
「当たり前だろ、服を着て風呂に入る奴はいない。 気にしないで脱いだ、脱いだ! それとも俺には裸を見せられないってか?」
にやりと笑ったミロに挑発されたような気がして腹をくくって脱ぎ始めたが、本当に裸に?

   ………ほんとに全部?
   ………あ……全部だ………

「よしっ、それでこそ男だ! 行こうぜ♪」
俺を見たミロが破顔する。

   ははは………ほんとに裸だ………俺、ミロの裸なんて初めて見た!
   それはミロに限ったことじゃないけど………
   まさか、こんな日が来ようとは!

ミロの均整の取れたたくましい後ろ姿に嫉妬を覚えながら後についていくと、ドアの向こうにはなんと庭があった。
「わっ!」
さすがに驚いて立ち止まる。

   だって、外で風呂に入るなんて有り得るのか??
   ベランダのジャグジーならわかるが、どう見てもここは庭だろう!
   有り得ない〜〜っ!!

「日本じゃ、この入り方が最高なんだよ。 自然の懐に深くいだかれて人間も自然になれる。 日本に来て本当によかったよ、お前にもこの良さをぜひわかってほしいね♪」
自慢げなミロが低い木製の椅子を取って手近の蛇口の前に腰掛ける。
「まず最初にここで身体の汚れをきれいに洗う。 それから湯に入ればいつでも清潔な入浴が楽しめる。 実に論理的だ。 これに慣れたら西洋式の入浴なんて御免だね、きれいな湯に浸かってこそ寛げるんだよ。」
そもそもこんな広いところで身体を洗ったことなんてないので勝手が違う。 頭の上には青空が広がり周りは木や石で囲まれていて、自分がとても信じられない世界にいることを実感させる。
「夏はいいとして、秋から冬になったらここは無理でしょう?」
裸の気恥ずかしさを紛らわせようと身体を洗いながら話題をひねり出した。
「それがそうでもないんだな。 真冬に雪が積ってるときに入るのも最高だ!」
「えっ?!」
そんな寒いときにここで裸にっ?
シベリアでの厳しい修行中にもそういう過酷すぎるメニューはなかったのに?
「このあたりは一番寒いときでもマイナス10度くらいのものだ。 シベリアに比べれば可愛いものだろう。」
たしかにそのくらいなら先生も俺もTシャツ一枚で修行したこともある。 しかし、裸っていうのは違うだろう!
「雪見酒っていうのがまたいいんだよ。 ここの湯に酒の盆を浮かべて雪景色を眺めながら飲む。 これは最高だな。 気温が低いから湯気がもうもうと上がってひときわ風情が出る♪ そら、背中を洗ってやろう。」
「えっ!」
俺の後ろに回ったミロが背中を洗ってくれるのだ。 

   え? え? どうしてっ?!

「裸で湯に入って背中を流し合うのが日本人の典型的入浴法だ。 これは他人とはやらない。 親しい仲だけだ。 親子なんてのはよくやってるな。 そら、今度は俺の背中を頼む。」
恐る恐る洗うミロの背中は大きくて肩の筋肉がきれいに盛り上がってる。 3年もここでのんびりしてるから身体がなまってるんじゃないかと思ったが、とてもそうは見えない。 今すぐにでも最高のコンディションで闘えそうだ。
「OK! 湯に入ろう!」
回りを石で囲まれた池のような広い場所が浴槽なのだ。 あまりの広さに圧倒されていると、後ろの方でドアの開く音がしてほんとうにほかの客が入ってきた。 慌てて湯に入ってほっとする。
「なっ、日本人は他人と一緒に裸で湯に入る。 昔からの習慣だ、面白いじゃないか!」
「面白いというより俺には驚きですが。」
「そりゃそうだ、俺も最初は驚いた。」
次の客が湯に入ってきたところでミロがざぶりと湯を割って立ち上がった。
「ついて来い、打たせ湯をやろう。」
「え? 打たせ湯………ですか?」
そのまま奥の方に歩いていくミロの背がきれいな紅に染まっている。 悔しいくらいに腰が引き締まった見事な筋肉質の体躯はギリシャ彫刻のようで俺を唸らせた。
「もしかして、俺に見せつけてません?」
「え? そんなつもりはないが、どこを見てもらってもかまわないぜ。 ダヴィデのポーズでもするか? 風呂だから裸なのは当たり前だし、小さいときには風呂に入れてやったからな、初めてじゃない。」
そういえばそうだった。 ミロがシベリアに来たときは一緒に入るとねだって、狭い浴槽にぎゅうぎゅうになって氷河と一緒に入った覚えがあるのだ。
「すると、とっくに裸の付き合いをしてたんですね、俺たち。」
「そういうこと♪ ほら、これが打たせ湯! ここに座って肩や背中に湯を当てると気持ちがいいぜ、やってみるといい。」
先に丸っこい石の上に腰掛けたミロが気持ち良さそうに目を閉じる。 細かい飛沫が霧のようになってミロの金髪を包みやわらかく輝かせた。
ミロに倣って肩に湯を当ててみた。 なるほどいい気持ちだ。
「露天風呂が気に入ったら夜中に来るのも静かでいいぜ、運よく一人きりなら素晴らしい内省の時が持てる。 耳に入るものは虫の声だけで、空には銀色の月が輝いている。 そしてさらにいいのは明け方だ。 夜の帳が徐々に開けて東に黎明の光がさしてくる。 早く目が覚めたら来るといい。 生きている幸せを実感できる。」
「はい、そうします。」
ミロと過ごす時間はとても自然で気持ちがいいことに気がついた。
小さいころからよく知っているということも確かにあるが、事実ミロはいい人間なのだ。

   要するにミロはとってもいい男で………
   これなら俺の先生にふさわしいかもしれないな

細かい湯しぶきの中で俺はいつの間にか頷いていた。


                                       
            





               
寝室でのミロ様の裸の描写なんて恥ずかしくてとてもできないのですが、
               お風呂だとまったく平気です、だって、お風呂だから当たり前ですもの。
               日本人って小さいときから他人の裸を自然に見る訓練ができてるんですね、きっと。

               恥ずかしがるほうがよっぽど恥ずかしい、ということをミロ様は体得したように思えます。
               順応性の高さもセブンセンシズ級のようです。


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                  そして ⇒ こちら   目次の2と3をどうぞ。 ちょっと驚きです!
                                この日経の記事は私も読みました、
                                信じがたいですけど事実なのでしょう。