「 しゃぶしゃぶ 」

                                               あさぎ & インファ   共作


先代の二人が来てからミロとカミュの二人だけで食事をするというのは珍しい。しかし今日は特別だ。カルディアの定期検診にデジェルが付き添うということで、先代二人して都内まで出掛けたからである。このごろ少しは日本語ができるようになったので例の翻訳機片手に自分たちでやってみたくなったらしかった。
「二人だけで大丈夫だと思う。検診はもう何度も経験しているから困ることもないだろう。」
「では気をつけて。」
「何かあったら、呼んでくれ。すぐに駆けつけるから。」
そんなふうにカルディアとデジェルを送り出した後の昼食は以前からのミロのたっての願いを美穂が厨房に伝える事で叶えられた。部屋でのしゃぶしゃぶである。
勿論、この旅館で出るものだから、そんじょそこらで気軽に食べられるしゃぶしゃぶとはわけが違う。
更に、ミロのたっての頼みとあらばと、平生から気取らない笑顔を浮かべる気さくなミロを気に入っている厨房の板前たちが腕をふるって最上の食材を用意したのは必然で。
よって、只の昼食とは思えぬ贅を尽くしたしゃぶしゃぶがミロとカミュの前に披露される事となったのである。

「御待たせ致しました。本日の昼食をお持ちいたしました。」
美穂の声が掛けられると同時に襖が左右に開けられた。お盆を持つ美穂に続いて入ってくる辰巳の後から料理長に板前に、総勢五人が運び込む昼食にミロとカミュはビックリである。
「ミ、ミロ、これは?」
「えっ、俺は部屋でしゃぶしゃぶが食べたいって伝えただけだが?」
あまりに豪勢な準備に二人は当惑する。
「本日はミロ様のご希望のしゃぶしゃぶをご用意させていただきました。」
誇らしげな辰巳の口上と共に二人の目の前に並べられた料理の数々は既にしゃぶしゃぶの範疇を越えている。むろんしゃぶしゃぶのほかの献立も気が利いており、並みの宿では夕食でもここまでのものが出ることはないだろう。しかしなんといってもメインはしゃぶしゃぶだ。
「どうもありがとう、あとは自分たちでやるから。」
「では終わりましたらフロントまでお電話をお願いいたします。」
美穂たちが下がっていって、さっそくしゃぶしゃぶが始まった。
最初こそさっと湯にくぐらせた柔らかい牛肉を普通に食べていたのだが、やがてミロがその気になってきた。そうなれば後は魚心に水心となるのは自明の理だ。
「はい、ア〜ン…」
「あっ…」
「すまん、カミュ!」
ミロの箸が少しそれてポン酢が滴る肉がカミュの唇の端に当たってしまった。
「いや、ミロ、大丈夫だから。」
赤い舌で唇に付いた肉の脂をそっと舐めとるカミュはなんともセクシーだ。
「では、ミロも…」
「ありがとう、カミュ。」
極上のとろけそうな肉を恋人に食べさせてもらう行為は本人にはその意図はないのだが究めて艶っぽい。

   これこれ! これがやりたかったんだよね!

双方とも、肉の脂でしっとりと濡れる唇がやけにセクシーに見える。どきどきしながら二人のしゃぶしゃぶは続いた。


カルディアとデジェルが東京から戻ってきたのは夕食時間に近かった。宿に帰ってほっとするのはもはや家の感覚に近い。
フロントの前を通り掛かったとき、事務室の奥から
「ミロ様とカミュ様はお昼はお部屋でしゃぶしゃぶをなさったので…」
という台詞が聞こえてきた。
「しゃぶしゃぶって、なんだ?」
だいぶ日本語がわかるようになってきたカルディアが首をかしげた。
「…さあ?」
デジェルも首をかしげる。
やっと言葉がわかりはじめたカルディアの乏しい日本語の知識によると、「しゃぶしゃぶ」 という響きからたったひとつ導き出されるイメージは動詞の 「しゃぶる」 である。
飴をしゃぶる、骨付きカルビをしゃぶる、などのテレビで見たシーンから 「しゃぶる」 の意味するところは明白だ。ほかに 「むしゃぶりつく」 というのも思い出す。

   離れで二人っきりでなにをしゃぶったんだ?
   ふ〜ん……もしかして………そういうことなら、ミロにはちょっと注文がある
   今夜が楽しみだ

カルディアの目が面白そうに輝いた。


「おい、ミロ、話がある。」
離れに入ってくるなりカルディアがミロを茶室に連れ込んだ。この離れには茶室があって、内緒話のときにはたいそう便利だ。
「話って?」
「お前ら、ほんとに昼間にあれをやったのか? 隅に置けないな。」
あらぬことを思い描いたカルディアがミロを小突いた。ここだけの話だが先代の二人はまだその域には達していない。そんなことをミロには言っていないが、やっかみと羨望がカルディアに焦燥の念を起こさせる。
「…え?なにを?」
「なにをって俺に言わせる気か?察しろよ。ほら、あれだ、しゃぶ……う〜ん、さすがに言いにくいが。」
にやにやして言葉を濁すカルディアに不審を覚えたミロだが、最近やっと日本語を覚えはじめたカルディアにはしゃぶしゃぶという発音は難しいのだろうと考えた。
「……ああ!しゃぶしゃぶのことか!よく知ってるな。どうしてわかった?」
「そりゃあ、蛇の道はへびだからな。しかし、よくもまあ昼間っからあんなことを……お前も好きだな〜!」
「俺も昼間からあんなに贅沢なものを食べるのはどうかなと思ったんだが、行きがかりじょう断るのも悪いし。有難くいただいた。」
「…食べる!言いえて妙だな。それにしてもずいぶんはっきりと……ふ〜ん……するとカミュの希望だったのか?ああみえても意外と積極的なんだな。」
「それはなんといってもしゃぶしゃぶだからな。俺もカミュも好きだから。いつもは夜にやるんだが、たまには昼間からでもいいかと思って。俺達だけで楽しんで悪かった。次の機会には四人でゆっくり楽しもう。」
「なにっ、あれを四人でか?いや、まさかそんな……ふうん、カミュは平気なのか………」

   あれを四人でって………ああ、だめだ、心臓がどきどきしてきた
   検診が終わったばかりなのにまずくないか? 落ち着け、カルディア!平常心だ、平常心!

「俺はいいけどデジェルがなんて言うかなぁ?う〜ん………よくわからんな?」
「デジェルもたぶん好きだと思うぜ、あの味は一度覚えたら忘れられないからな。カミュも最初から気に入ったし。」
「ほぅ……あのカミュがねぇ……人は見かけによらないな。だが、先代として忠告させてもらうが、あまりおおっぴらにするのはまずくないか?ここのスタッフが話題にしてたぜ。」

   あんなことをしているのを知られてるのにどうして平気なんだ?
   ミロってこんな性格だったか?

二人が世間的にはポーカーフェイスを貫いていることを知っているカルディアにはミロの落ち着きぶりが不思議でならない。
「だから連泊している他の泊まり客にわからないように離れで食べるようにした。長期滞在してるから特別に昼食を出してもらっているが、そんなことは他の客にはわからないからな。余計に気を回させる必要はないし。」
「…え?昼食って?なんの話だ?」
「だからしゃぶしゃぶだ。普通は夕食に出る献立だからな。昼間からあんなにたくさん牛肉を食べたら贅沢だよ。とりわけ今日は極上の霜降り肉で実に旨かった。明日では続きすぎるから、来週にでもまたしゃぶしゃぶを頼もう。こんどは四人で鍋を囲めばいい。きっとデジェルも喜ぶ。和食の醍醐味を知ってほしい。」
ここまで言われればカルディアも自分の間違いを悟らざるをえない。そうとなればみっともない間違いをミロに悟られないようにと心を砕く。
「え〜っと、牛肉……だったか?しゃぶしゃぶは。」
「豚肉でやるケースもあるが、ここで出すのは十勝牛か松阪牛だ。なんといっても牛肉は国産牛に限る。育て方が違うんだよ。松阪牛なんて、肉質を良くするためにビールを飲ませたり焼酎でマッサージしたりするっていうし。」
「えっ?!」
「日本人はともかく丁寧なんだよ、極上の牛は3000万円くらいするらしい。」
「ふ〜〜ん!」
「しゃぶしゃぶのたれはポン酢かごまだれだな、やっぱり。」
「ええっと……そうだな、デジェルはたぶんポン酢かな、あいつはさっぱりしたのが好きだから。」
「カミュもポン酢派だ。水瓶座だから同じなのかも。」
「かもな。」
「で、聞きたいことってそれ?わざわざ茶室で話さなくてもいいと思うが。」
「あ…え〜と、ほら、しゃぶしゃぶのことを内緒にしておいたほうがデジェルを驚かせられると思ってさ。」
「そりゃそうだ。しゃぶしゃぶは箸の使い方がポイントなんだぜ。鍋の形も特殊だし。」
「ほう、どんなだ?」
「鍋の中央が筒のように高くなっていて…」
「ふむふむ……」
危ういところで軌道修正したカルディアが茶室での料理談義に花を咲かせているころ、水瓶座の二人は座敷でカルディアの心臓の定期検診のことについて話し込んでいた。

幸いなことにカルディアの勘違いはミロに気付かれぬままで其の場はすぎた。
むろん、こんな美味しいネタをカルディアが黙って済ますはずはない。寝る前に露天風呂に行くときにデジェルの耳元でなにやらささやいて真っ赤にさせる。
「えっ……そうなのか?」
「ふふふ……まったく何をやっているんだかわからんな。まあ、いいけどさ。好きにしてくれってとこだ。」
にやりと笑ったカルディアがミロとともにタオルを持って出かけていった。ミロはカミュに対しては真摯な姿勢を貫くが、同じさそり座でもカルディアはデジェルをからかうのが面白くてたまらない。
いい迷惑である。