F1 グランプリ ( 韓 国 編 )      古典読本・144 「スキー」 の番外編になります。 全3ページ
                       ※ ミロとカミュは登別の宿の離れに長逗留しており、美穂が仲居をしています。


ヤルノとナノと知り合いになってから、F1にはなんの関心も持っていなかった俺たちもさすがにニュースを注目するようになっている。F1を知ったきっかけが今年の全19戦あるうちの初戦のバーレーンでのナノの優勝シーンだったので、その印象も鮮烈だ。
なにしろネットという強い味方のおかげで情報には事欠かないし、俺たちのF1熱を知った美穂が適宜に重要ニュースを教えてくれるのでバックアップも完璧だ。

毎年、世界各地を転戦するF1のスケジュールには、しばしば新規参入の国がある。今年は韓国があらたにサーキットを建設してその中に加わった。
そう書けば何のことはないが、問題はそのサーキットが未完成のままレースが開催されたことだった。むろん、マシンが走るコースが途中で野原に変わるというわけではない。コースの形自体はできている。ただ、それがあまりにも泥縄式に作られたものだったということだ。その話はホールで行き会った美穂から聞いた。
「ミロ様、たいへんなんですのよ。10月の日本GPの次に開催される韓国GPのサーキット建設が間に合いそうにないんです。」
「え? どうして? 今 建設中って、今年からF1を誘致するんだろ。サーキットができてなかったらマシンが走れるわけないし、普通は間に合うに決まってると思うけど。」
「それが、ずっと前からみんな心配してるんですけれど、本気で間に合わないみたいなんです。」
「なんで? オリンピックだってW杯だって、程度の差こそあれ、どこの国だって開会式までにちゃんと間に合わせるのが常識だ。この間の南アフリカのW杯だって、これで間に合うのか?なんて言われてたけど立派に開催してたし、まさか大丈夫だろう?」
「だとよろしいんですけれど……ともかくネットでお調べになってくださいましたらおわかりになりますわ。もしかしたら中止になるかもしれません。」
「ふ〜ん、わかった、調べてみるよ。」

という話があったのが3月のバーレーン戦のすぐあとだ。離れに戻った俺はカミュと一緒にパソコンであれこれ検索し、開催がかなり危ぶまれていることを知った。
「10月に開催するのに、この状態で間に合うのかと、素人の俺でも心配するね。あと半年だろ?」
「私の調べたところでは、レースが開催される予定の10月22日に間に合えばいいというものではない。
現地査察は必要に応じて、委員会派遣の委員により、少なくとも1回の予備査察および1回の最終査察が行われる。常設サーキットについては、最終査察は開催される最初の国際イベントの60日(FIAフォーミュラワン・ワールドチャンピオンシップ・イベントの場合は90日)前までに行われ、その査察の際にはトラック路面、常設主要部分および安全施設に関連する全ての工事が、FIAの満足を得られるように完了していなければならない。
という規約があり、簡単に言うと、F1のワールドチャンピオンシップのレースを開催しようとするサーキットは、開催日の90日前までに検査に合格しなければ開催できないということだ。」
「えっ? 10月22日の90日前って、ええと…」
「フリー走行 ( いわゆる練習 ) の前日からイベントが始まると考えれば、7月22日がその90日前に当たる。」
「7月22日っ! だって、今はもう4月末だぜ!あと3ヶ月で間に合うわけがなかろうっ?」」
パソコンの画面にはいかにも建設中です、という建設現場写真が大写しになっている。いくらこういったことには馴染みのない俺にも間に合うわけがないのがよくわかる。
「仮に百歩譲って、このレースをワールドチャンピオンシップではなく国際イベントだと言いくるめたとしても、最終査察は60日前の8月21日。あと4ヶ月未満だ。」
「百歩じゃなくて百億歩だろ?国際イベントっていうのがなにを指すのかは知らんが、このサーキットが開催するのは全19戦のうちの一つで、ワールドチャンピオンを決めるためのものなんだから、90日に決まってる。だめだ、とても間に合わん!いったいどうするんだ?中止ってできるのか?」
「できるも何も、未完成のサーキットでは走れないのだから、その場合は中止するしかなかろう。」
「う〜〜ん、それって恥だろ? 子供の夏休みの宿題なら、できませんでしたっていうものありだろうが、国の名前をつけた世界的なイベントが開催できないっていうのはまずくないか?」
「私もそう思うが、なにしろよその国のことだ。任せておくしかあるまい。」
「まあ、秋の話だからな。ヤルノとナノが無事に走れることを祈るよ。」

その後、どんどん時が経ち、いよいよ事態は切迫してきた。なんと、査察の日時が次から次へと先延ばしされたのだ。
「え? 締め切りの猶予か?まるで入稿が迫ってきた修羅場みたいだな。」
「え?」
「いや、なんでもない。で、そんなのって規約違反じゃないのか?」
「私もそう思うのだが主催するFIAの決定ゆえ、例外的に認めるということなのだろう。だが、問題はそのこと自体ではない。」
「例の、舗装の件だろ。」
「うむ。それを危惧する声が多い。」
サーキットの舗装はアスファルトだが、通常の道のアスファルト舗装とはわけが違う。 F1のマシンの最高速度は時速300kmを軽く越す。記録では2005年のイタリアGPでライコネンが出した時速370.1kmが最高で、むろんこれは瞬間的なものだろうが、平均時速でももっとも遅い市街地コースのモナコGPが時速150km、たいていのサーキットでは時速200kmを軽く越す。直線なら時速300kmは当たり前の世界だ。
今年参戦している24台のマシンがそれだけの荷重をかけて50数周、一時間半にわたって走り続けるというのは空恐ろしいほど負荷がかかるということだ。
基礎工事から舗装にいたるまできわめて慎重かつ特殊な施工が必要で、これを怠ると高速走行時に路面が剥がれたり陥没して凹凸ができることさえあって危険なことこの上ない。しかも、舗装直後の路面からは油分が浮き出るもので、それを落ち着かせるためにも舗装してからの90日の時間が必要なのだ。
「油があるとすべるって言うじゃないか。そんな危険なコースは願い下げだな。時速300kmじゃ、命が幾つあっても足りないぜ。」
「なのに、最終査察の日時が先延ばしされている。由々しき事態だ。ゴーサインが出たら、ドライバーは危険だとわかっているサーキットを走らなければならない。」
「冗談ごとじゃないぜ!」

ヤルノとナノのことを思って蒼ざめた。 死なせてはならない!絶対にだ!