峩 峩 温 泉 (ががおんせん)・食 事 篇 |
この宿の食事は別棟の食堂に用意される。 あらかじめ浴衣と半纏に着替えた二人が予約しておいた6時に出かけると、すでに何組か食事をしているのは5時半に予約した客だと思われた。 「楓ですが。」 ミロがキーを見せると窓際の席に案内された。 すでに暗くなっていて外の様子はわからないが、どうやら雪はやんでいるようだ。 「朝食も同じ席なら雪景色がよく見えるぜ。 よかったじゃないか。」 「ん……そうだな。」 ちらと外に目を走らせたカミュが黙って席に着く。 「お飲み物はいかがなさいますか?」 「今日は飲まないから。」 「では、すぐにご飯をお持ちしてよろしいですか?」 「お願いします。」 いつもなら、こうした応対はすべてカミュに任せて景色を見たりしているミロなのだが、きょうのカミュはそんなことには気が回らないらしい。 さりげないふうを装いながら、他の客の様子を観察しているのがミロにはよくわかる。 「俺から見える男の客は、みんな飲んでるぜ。」 「私の方は……右手奥の二人が飲んでいない。」 「ふうん……どんな二人? 若いのか?」 「………うむ、若い。」 ミロの眉が上がる。 カミュが心静かに湯に浸かるために すべての可能性を排除しておきたいが、 何人かと風呂場で遭遇するのはやむを得まい まさかリストリクションをかけるわけにはいかないからな この平和日本でそいつは不穏当に過ぎる それにしても、若い男にカミュの身体を見られるのは面白くない! あまりの美しさに目がくらんで、ろくでもない妄想にかられたらどうするんだ?? 俺の希望としては70過ぎが望ましい いや、待てよ? 老いらくの恋というのも否定できんな! う〜〜ん、ここはいっそのこと、老師においでいただいたほうが安心じゃないのか? ほっほっほっ、若い者はいいのぅ、とか言って笑って見てるだけで、さすがに余計な手出しはなさらんからな 「しかし、多少の危険は仕方がないだろう。 万が一、あの二人に浴室で遭遇しても気にしないことにする。」 剣呑な空気を察したのか、カミュが押し殺した声で言う。 「お前の方を妙に見てるようなら、俺が盾になるから安心してくれ!」 ここで、一応その二人を確認しておこうと考えたミロがさりげなく肩越しに後ろを振り返った。 「………どの二人だ?」 「出入り口近くの……雪山の油彩画の掛かっている席の四人組のうちの二人だ。」 「……え?」 ミロの見たところ、そのテーブルにいるのは明らかに家族連れで、父親はすでに銚子を二本空けており、母親はお櫃のご飯をよそっている。 そして、あとの二人は……。 「おいっ、お前の言っているのはあの二人のことか?! あれはどう見ても3歳と5歳くらいの子供だろうが!」 「子供でも、男は男だ。」 「しかしなぁ………」 確かに人類学的には男だ、それは俺も認める! しかし、俺たちが気にしてるのはもっと成熟した男だぜ? 3歳と5歳が、お前に色目を使うはずがなかろう? お前も、まさか恥ずかしくはあるまい? 酒を飲まないのは当たり前だし、だいいちあの年なら、日本じゃ母親と一緒に女性用の風呂に入るんだよっ! どっと疲れたミロが卓上に目をやると、とりどりの前菜と一緒に小ぶりな足高の陶器の杯があり、どうやら梅酒が入っているようだ。 「このくらいなら平気だな、お前も少し飲む?」 「いや、のぼせるといけないので遠慮する。」 「じゃあ、俺がもらっておくぜ。」 「けっして酔ってくれるな。」 「大丈夫だよ、食事の途中でゆっくりと飲むようにするから。」 ここの料理は手をかけて工夫はしてあるものの、けっして凝りすぎてはいない。 量も多からず少なからずでほどよいのだった。 そしてご飯と一緒に出てきたのは、大ぶりの木の椀に入った芋煮汁だ。 「ほぅ、これは!」 「美味そうだな!」 北海道の名物といえば鮭の入った石狩汁だが、このあたりでは里芋を入れた芋煮汁が有名だ。 「凝った料理ばかりでは文字通り肩が凝る。 こういう気取らないのも好きだな♪」 「うむ、まったく♪」 デザートには完熟柿のゼリーが出て、初めて食べる二人を感心させる。 白磁の器にのっている量はごく少なめで、初めて日本に来たときはそのあまりの少量主義に唖然としたものだが、このごろではなんの疑問もいだかない。 「柿羊羹は食べたことがあるが、ゼリーは初めてだな。 ふうん、わりと固めだ。」 黒文字でつついたミロが小さな矩形を半分に切って口に入れる。 「西洋料理のデザートは量も多ければ、飾りつけも華やかだが、日本食のデザートはほんの少しを品良く添えてくる。 東西の感覚の違いだが、それまでの料理の印象を壊さずに全体を締めくくるにはこのほうがよかろうと思う。」 「俺は洋の東西の文化論に踏み込む気はないが、このほんのちょっぴりの量をおしまいに添えてくるのがなんだか俳句みたいで面白くて好きだな。 柿食えば 次は入浴 峩峩温泉、ってどう?」 「それは川柳の部類だろう。」 「いいんだよ、楽しければ♪」 笑いあった二人が食事を終えて立ち上がる。 ほかにも酒を飲んでいない男客がいたようなのだが、気にしないことにした。 廊下の空気は冷たくて、外の寒さを思わせる。 これからの予定を考えているカミュは緊張しているに違いないが、それを努めて表には出さないようにしているらしい。 当たって砕けろ、だ! いや、砕けちゃ困るんだが…… 昔ながらの峩峩温泉には、家族風呂も部屋付きの風呂もない。 初めてカミュとともに向う大浴室にミロの胸は高鳴るのだった。 ⇒ |
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