講習室では座学が続く。
交通法規や各種統計、路上での実際的な注意などを資料映像を見たり講師の話を聞いたりしてすごすのは単調と言えなくもないが、そんな経験をしたこと のない二人にとっては新鮮だ。

   こういうのを授業っていうんだな
   聖闘士になっていなかったら俺たちも大学までいってた可能性があるから授業を15年間受け続けてたってことか
   ふ〜ん………そいつは長すぎないか?

黄金になるのに十年はかからなかったことを思うと世間の学校教育にかける時間がやたらと長すぎるような気がするが、実際に経験していないミロにはいまいちわからない世界で ある。 なにしろ身近に普通の教育を受けた人間が誰一人おらず、実際の学校生活の話を聞く機会もなかったのだからこれはしかたがないだろう。 国語・社会・算数・理科などの教科の区分もぴんとこないし、ましてや各種委員会活動とか進路指導に至ってはまったくわからない分野で想像することさえできないのだからたしかに世間とは隔絶された人生を歩んできたといえる。
そんな特異な子供時代を経て成人したにしてはさして違和感もなく一般人に混じって暮らしている自分をたいしたものだとミロはいまさらながら感心する。

   今から思えば聖戦前は訓練に特化してたからな
   一般教養なんかはある程度は教えてもらった気がするが広く浅くって感じだし そのくせ現代では役に立たないラテン語は厳しかった
   あれならフランス語のほうが好きなんだが

授業に出席して講師の話を聞いて、終了時には各自の机の端に置いておく履修シートの該当する箇所に講師がはんこを押して回るという、ここだけはアナログな方式なのが面白い 。
「おい、はんこだぜ、やっぱり日本だな。」
「サインよりも伝統的なはんこのほうが納得感があるのだろう。いかにも日本らしくて私は好きだ。黒いフォントの中で鮮やかな朱色が美しい。」
「これは小山でこれが古谷だろ。で、これが塩沢でこれが玄田だ。フォントもいろいろで面白いな。」
ミロにはいろいろな名前のはんこが集まるのが楽しみでならない。すでに押印してあるのと同じ講師が出てくるとひそかにがっかりしているのだから目的がずれているような気が するが。 この履修シートが卒業と同時に回収されてしまうことを知ったらきっとミロは落胆することだろう。
初日に書いた入校申込書には氏名のあとにはんこの欄があり、この時とばかりに持参した本柘(ほんつげ)のはんこをドキドキしながら押したら受付の事務員が驚いたように見ていたのをミロは思い出す。 日本に暮らし始めてすぐにはんこの重要性を知ったミロとカミュは興味津々ではんこを作ったがなかなか使う機会は訪れず、やっと正々堂々と押印できたのが嬉しいのだ。 アナログなのはそこだけで、入退室時にはカードを読み取り機にかざして出欠をコンピュータに記録するので受講生の履修状況は正確に把握されている。

入校して数日が経ち、履修カードに幾つものはんこが並び始めた。
「あ〜、早く次の段階に進みたい!路上っていうのをやってみたくてたまらん!教室の授業なんて当たり前すぎる内容で退屈きわまりない。」
「基本をおろそかにしてはならない。どんなことにも学ぶべき点はあるものだ。それに路上というのは公道を走行することだ。来週には我々もこの学校構内の模擬道路でさま ざまな走行を学ぶことになる。」
「わかってるけどさ。授業でやってる、信号を守ろうとかスピードの出しすぎは危険だとかは常識だからな。それでも危険の予測なんていうのは聖闘士にも通じるところがあるな 。状況判断を怠ると重大な結果を招くのは実戦も運転も同じだ。」
もっとも車とは無関係なシーンで突然襲われることも多々ある聖闘士の日々は危険の予測をしている暇もなく瞬間で判断を求められるのだが。


                                            





         
はんこはまだまだ日本での必須アイテムです。
         柘植か象牙か迷ったけれど、やはり資源保護の観点から柘植がよかろうと。