き り た ん ぽ

この宿では、はるばるギリシャからやってきて長期滞在している私たちのためにいろいろな郷土料理を供してくれる。 本来であれば宿泊客に昼食を用意することはないのだが、これほどの馴染みになると特別に用意してくれることが慣例になり、献立も私たちの希望に対応してくれるのがありがたい。
「今日はきりたんぽを頼んでおいたからな。」
「ほう!それは楽しみだ。」
秋田の郷土料理であるきりたんぽはテレビや雑誌で紹介されることも数多く、その名前のユニークさもあって以前から興味を惹かれていた料理の一つだ。
「なぜ、きりたんぽって言うんだ? 見かけはちくわと似てるが。」
「ちくわは白身魚の練り製品だが、きりたんぽは炊いた米を秋田杉の串の周りにつけて長細く成形したものだ。 綿を丸めて革や布で包んだ練習用の槍の穂先を 『 たんぽ 』 といい、それと形が似ているのでその名がついたという。 それを食べやすく切ったものがきりたんぽで、長いままのものはたんぽと言うそうだ。」
「ふ〜ん、たんぽを切るからきりたんぽなのか。 そいつは知らなかったな。」
日本料理には鍋物という一大ジャンルがあり、ここ北海道では鮭を入れた石狩鍋が有名だが、全国各地に自慢の鍋がある。
「鍋物だとどうしても飲みたくなるが、昼間っから赤い顔してちゃ、まずいかな?」
「一般家庭ではいかがなものかと思うが、ここは観光地ゆえ昼間から飲むことも不自然ではないだろう。 午後からチェックインする客も、よもや我々が住まい代わりにしているとは思うまい。」
「それじゃ、飲ませてもらおうかな。」
いつものミロは昼食どきから飲むことはないのだが、目の前に運ばれてきたきりたんぽ鍋を見てその気を起こしたらしい。
「それじゃ、お銚子一本ね。」
「かしこまりました。」
卓上のガスコンロに点火した美穂に頼むと、いつものようにミロの好みの大吟醸がほどよい澗で運ばれてくる。
「こちらは板前からでございます。」
「ああ、ありがとう。 すまない。」
昼間にミロが飲むときには気を効かせた板前が有り合わせのもので酒の肴を見繕ってくれるようになり、これがまたなかなかいけるとミロは喜んでいる。 むろん飲まない私にも同じものが運ばれてきて、これもまた楽しみの一つであることは言うまでもない。
「ああ、これはいいな! 紅たでをほんのちょっと散らしてあるところがまた可愛いじゃないか。」
萩焼の小鉢に入っているのはホタテと黄菊の和え物で、添えられているミョウガの仄かな赤が愛らしい。
二人で楽しんでいると鍋がふつふつと湯気を立ててきた。
「お野菜からお入れいたします。」
用意されている牛蒡やきのこを美穂が手際よく鍋に入れてゆき、葱と比内地鶏を入れたところで鍋奉行を自認するミロが続きをやりたくなったらしかった。
「このあとは自分でやるから大丈夫だ。」
「それではお任せいたします。 こちらのきりたんぽは温め過ぎるととろけてしまいますのでお気をつけください。」
「ふ〜ん、そうなんだ。」
ミロはなんとも思わなかったようだが、私はそうではなかった。

   温めすぎると、とろける?
   それって……

なんとしたことだろう!
脳裏にいきなり浮かんできたのは昨夜の自分の有様にほかならぬ。 打ち消そうと思ってもあらぬ情景が目に浮かび、顔がほてってくるのがわかるのだ。
いたたまれなくてうつむくと耳まで熱くなっているのを感じて顔をあげられなくなってどうしようもない。
「カミュ? どうかした?」
私の様子に不審を覚えたらしいミロがこっちを見ているのがわかり、ますます恥ずかしさが増してくる。

   頼むからこっちを見ないでくれ!
   この私がこんなことを連想したなどと知られたくない!

膝に置いた手が悔しくも震え、自分を律しようと思えば思うほど身体は言うことをきいてくれないのだ。
「……カミュ?」
かまわないで欲しいと思っているとミロが小さく息を飲み、くすりと笑ったようだった。 身体がかっと熱くなる。
「今日はカミュにも もらおうかな。」
盃をちょっと持ち上げたミロはたぶん美穂に合図をしたのだろうと思う。 すぐに私の前にも清水焼の美しい盃が置かれてミロが銚子を手に取った。
「ほら、少し飲んだほうがいい。」
「ん…そうだな…」
動揺がおさえきれなくて盃を持つ手が震えてしまう。 とてもではないがミロの顔が見られない。 きっと私の考えていることはミロに見抜かれているのだろうと思う。
「俺も飲むから、大丈夫だから。」
「ん…」
頬のほてりに酒の熱さが加わり顔が真っ赤になっているのがわかるが、酒のせいにできる安心感が次第に私を落ち着かせてくれた。
「皿を貸して。 取り分けてやるよ。」
「そうだな…頼もうか。」
ミロに取り分けてもらった葱や地鶏は熱々で、たぶん美味しかったのだと思う。 もちろんきりたんぽも。
「きりたんぽはいかがでした?」
鍋の中身があらかたなくなったころ、美穂が茶とデザートを持ってきた。
「うん、とてもよかった! 俺って鍋奉行になれるかな?」
「はい、ミロ様ならきっと。」
なにか言わなくてはと思い、
「では、私も修業に励ませてもらおう。」
と言ったとたん、

   修業って、いったい何の?
   励むって、なんとなく怪しくないだろうか?

予想もしない連想が働き、再び頭の中にあられもない情景が展開したのには驚いた。 必死でこらえて平静を保つ。 いや、保ったつもりだがミロにはわかったかもしれなかった。 なにしろミロはそういうことにかけては天性の勘を持っているらしいのだ。 また動揺した私をミロはどう思っているだろう。
「さ、行こうか。」
「あ……そうだな。」
上の空で食べていたデザートもいつの間にか空になり、ミロに誘われて席を立つ。
「大丈夫だ、気にするな。」
「ん…」
ミロの背中がいつになく大きく見えるような気がした。


                                   




          
読者様からメールで、
          中学の修学旅行で東北に行き、宿できりたんぽ鍋が出たときに板前さんが、
          「きりたんぽは温めすぎるととろけるから気をつけてください」 と注意してくれた、
          との思い出が寄せられました。
          それって、なにかみたい!と話が弾み、この見聞録に。

          え? このあとどうなったかですって?

          
「そんなことはここでは言えない。」  by ミロ