明 治 村

明治村は愛知県犬山市にある。
「なぜ、犬? 南総里見八犬伝に関係あるのか?」
ミロの連想は面白い。 しかし、あの話は房総半島の南部が舞台ゆえ、そうではなかろうと思う。
「いや、あれは…」
私にそう聞いたミロが返事を待たずに 『 大井牛肉店 』 に歩み寄った。 正門を入ってすぐ右側にあるこの店は和洋折衷の外観でコリント式の柱が正面を飾っている。 今から130年前の明治20年ごろに神戸に建てられたとは思えないほど保存状態がよく、木造に白漆喰の仕上げが美しい。
「ふ〜ん、見てみろよ。 ここの二階でほんとにすき焼きが食べられるんだぜ。 牛鍋ってすき焼きのことだろう? ちょっといいな!」
「しかし、そんな立派なものを食べては、ほかのものに手が回らぬかもしれぬ。 見たいものが多すぎて、すき焼きをゆっくり食べていては回りきれぬだろう。」
「それもそうか。 う〜ん、惜しいな。 文明開化のころと同じに炭火と鉄鍋で食べるらしい。」
そう言いながら店の内部を覗き込んで納得したミロと次の建物に向かって坂道を降りる。 ほどよく自然を残した起伏のある土地に点在するのは、どれも明治時代に日本各地に建てられた建築物で、大規模なものから小さな商家まで様々だ。
「あの大きいのは?」
「三重県庁舎だ。 重要文化財になっている。」
二階正面に二重のバルコニーを持つ洋風のこの建物は、左右の翼が手前に張り出し、全体がコの字型をしている。大井牛肉店と同じく、ここでもギリシャ・ローマ様式の円柱や基壇が取り入れられていて、当時の日本人の好みを教えてくれる。
「この高さで二階建てとはね。 おおらかにして豪快!気分がいいじゃないか。」
ミロの言う通りで、国家をあげて西洋に追いつき追い越せをスローガンにしていた明治時代の役所や銀行には大きな西洋建築が数多い。

この明治村は、経済成長の波に乗った開発の陰で消えて行こうとしている明治の貴重な建築を後世に残そうと、愛知県を地盤とする名鉄、すなわち名古屋鉄道株式会社が昭和37年に着工し昭和40年に開村したもので、当初は15件に過ぎなかった施設は現在では67件に達している。 昨今のテーマパーク建設ブームの潮流にのって日本各地に出現したものとは設立主旨がまったく違い、高邁な理想に基づくものだ。
口で言うのは簡単だが、古い建築物を移築するにはたいへんな手間と費用がかかるのは言うまでもない。 今でこそ歴史的建築物の保存の重要性は広く一般に理解されているが、40年以上前にそれを実行に移した見識の高さに感嘆せざるを得ない。
「古いものを愛し、いとおしむ心がこの明治村を作らせたのだ。」
「これだけの建築物をばりばりと壊して廃棄するなんて、もったいなさ過ぎる。 文化の破壊だぜ。 本来なら国レベルでやる仕事だろうに、それを民間の一企業がやったっていうのはすごいな。」
「パンフレットをよく見ると、ここの名称は 『 博物館 明治村』 となっている。 野外にあるためテーマパークと混同されやすいが、本格的な博物館であることを認識したほうがいいだろう。」
「俺たちの十二宮も博物館だったりして。」
「う〜む…」
そんなことを話しながらミロと入ってゆく旧三重県庁舎はドアの幅と高さが現代のものより一回りも二回りも大きくて、室内の天井高もまた然りである。 一階も二階もたっぷりとしたバルコニーがついていて、それが廊下替わりになっているのも珍しい。
「ああ、気分がいい! これだけゆったりしていると精神的に寛げる。 俺たちの宮と共通するものを感じるな。」
ここの二階では 『 華麗なる宮廷家具 』 という企画展をやっていて、のちに大正天皇となる皇太子の住まいとしてして明治42年に造営された現在の迎賓館赤坂離宮の家具調度を当時のままに展示してあった。 孔雀之間、彩鸞之間、朝日之間などの華やかな名前を持つ部屋に置かれていたという調度品はフランス18世紀ころの様式のものが多くあり、国内産業の振興や伝統技術の維持向上にも寄与したという。
「このへんなんか、十二宮とあまり変わらんのじゃないか? あの長椅子なんか、お前のところのと似てないか? 寝心地がよさそうだ。」
そう言われて、ついあらぬことを考えてしまったのをミロに悟られないといいのだが。

外に出るとゆっくりとした速度で小ぶりのバスがやってきた。 一丁目から五丁目までの区画に別れている明治村の中を15分間隔で走っているバスで、広すぎる敷地の中を効率的に移動できる。
「ちょうどよい。 あれに乗ろう。」
「ええと、乗り物券があったな、たしか。」
ミロがポケットを探って黄色いチケットを取り出した。 入村時に購入した乗り物一日券は、村内にあるバス、京都市電、蒸気機関車のいずれにも自由に乗り降りできる。 景観に配慮したバスは暗い臙脂色で、私たちが乗ると頭をぶつけそうになるほどの大きさだ。
きわめてゆっくりと走るバスは、道沿いの建物の前に来ると説明のテープが流れ、訪問者の理解を助ける仕組みになっているのはよくできている。 その合間に運転手がのんびりとした口調で補足説明をするのも手馴れたものだ。 各所に停留所があり、好みの場所で乗り降りができるようになっている。
「これで終点まで乗って、帝国ホテルの旧館に行くのはどうだ? 玄関回りが保存されていて、中でちょっとしたものが食べられるらしい。」
「世界的に有名な建築だ。 それもよかろう。 帝国ホテルははずせない。」
帝国ホテルを設計したのはフランク・ロイド・ライトで、サイモン&ガーファンクルの歌でその名を知っている者も多いだろう。 アメリカの高名な建築家で、日本に招かれて旧帝国ホテルの設計に携わったのは有名な話だ。
「ほら、こないだの夏にデスマスクと東京の帝国ホテルに行った話をしただろう。 あそこのオールド・インペリアル・バーにわずかにフランク・ロイド・ライトの設計の痕跡が残ってる。 由緒があっていいぜ。」
ミロがあれから何度も嬉しそうにその話をしたので、むろん私も忘れるはずがない。 私はアルコールは飲めないが、オールド・インペリアル・バーのハンバーグステーキサンドイッチは美味だと聞いているので次の機会にはぜひとも味わいたいものだと思っている。
「うん、ぜひ行こう! ハンバーグが極上で、ナイフで切ると肉汁がほとばしるように飛び出すっていうからな、お前と行くのが楽しみだよ。」
バスはゆるやかな高低差のある道を右に曲がり左に曲がりして、私たちを明治の建築の前に連れていき、説明に耳を傾けさせた。 一日ではとても全部を回り切ることはできないが、せっかく来たのだから興味のある箇所はしっかりと見ておきたいと思う。
このバスで全体のうちのかなりの建築の外観を見ることができるので、手元のパンフレットと照らし合わせながら見学する場所をピックアップしておけばよいだろう。

官民様々な種類の建築の中には珍しいものも少なくない。
ブラジル移民住宅は日本から遠いブラジルに移民した日本人が現地で建てたものだし、ハワイ移民集会所も当時の苦労をしのばせる遺構となっている。 むろん、こうした海外からの移築はごく少なくて、大多数は国内各地からの移築であることは言うまでもない。
「ふ〜ん、ごく普通の日本家屋に見えるが、森鴎外が住んで、そのあとに夏目漱石が住んでたってすごくないか?」
「あの教会もあとで行ってみよう。それからあの郵便局も。」
「あの床屋の二階に石川啄木が住んでたんだそうだ。 ふふふ、二階からこっちを覗いてる啄木の等身大ボードが立ってるぜ。 ちょっと愉快じゃないか。」
明治村に隣接している大きな池は入鹿池 ( いるかいけ ) という溜め池で、貯水量では日本一を誇るという大きなものだ。 冬の今はワカサギ釣りのボートがたくさん浮かんでいるのも面白い。
「私は金沢監獄正門に興味がある。全国の監獄建築には見るべきものが多いと聞いている。」
「それって風情がないぜ。」
「風情だけで明治建築を知ろうとするのはいかがなものか。」
「ああ、わかったよ。」
ミロと二人でパンフレットと見比べながら次々と現れる建物の名前を確認するのも忙しく、気が付いたときにはバスは終点に着いている。


                                 







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