バスから降りると幾つもの建物が見えるが、やはりひときわ目を惹くのは帝国ホテルの建物だ。
「写真で見た通りだな、ほんとに変わってる!」
日比谷にある現在の帝国ホテルと異なるのは当たり前だが、目の前にある建築は今までに見てきた多くの明治建築とは全く違う。レンガと大谷石とテラコッタのタイルを組み合わせた外観は実に個性的で、解体の際に保存のためにここに移築された玄関とホール部分だけでも相当なインパクトがあることを考えると、当時の日本人がこの帝国ホテルの全容をみてどれほど驚いたか想像ができようというものだ。
建築当時は東洋の宝石とも称されて、設計したフランク・ロイド・ライトの名は世界に轟いた。 建物の前に長く伸びている噴水と池も移築されており、当時の雰囲気をよく伝えているといえよう。
「これって、とても日本的とは言えないが、かと言って西洋的とも言い切れない。 ロイド風っていえばいいのか?」
正面玄関を入ると低かった天井高がその先のホールで一挙に上に伸び、中二階に伸びる階段や、二階部分から四角に張り出したテラス状の部分が空間に変化をもたらしている。 見事な空間構成とはこういうことを言うのだろうと思う。 外観と同じく、ここでも大谷石やテラコッタのタイルが多用され、独特な雰囲気だ。
「この建物の竣工は大正12年なので、実を言えば明治の建築ではない。」
「えっ? それがどうしてここにあるんだ? 保存は結構だが、明治村の趣旨に反するだろう?」
「それが面白い話がある。 このパンフレットによると、明治23年に開業した帝国ホテルが新館建設を計画し、明治45年にアメリカからフランク・ロイド・ライトが来日して設計・建築が始まったのだが、完璧主義のライトが材料の一つ一つを厳しく吟味して時間をかけたため、当初の150万円という予算をはるかにオーバーした900万円にまでなり、当時の経営陣と対立したライトは離日せざるを得なくなったらしい。 その後、ホテルの建築はライトの日本人の弟子に引き継がれ、一年後の大正12年9月1日に落成記念披露宴が開かれる運びとなった。」
「ふうん……そりゃまた、たいへんな苦労を……え? おい、待てっ! 大正12年9月1日って、もしかして…!」
ミロの驚きは当然だ。 何年も日本に住んでいれば、我々でもその日付は知っている。 そう、言わずと知れた、関東大震災の当日だ。
「宴会準備の真っ最中だったそうだが、帝国ホテルは無事だった。 むろん小規模な損傷はあったが、周りの建物と違って倒壊することもなく無傷で建っていたそうだ。」
「それはすごいな! 劇的過ぎるオープンだ!」
説明しながら中二階への階段を昇り、当時のままのライト意匠の部屋を見ながら二階に上がる。
「その後の第二次大戦の空襲でかなりの損傷を受けたが戦後に修復してホテルとしての営業を続けることができた。」
「そいつは歴史の生き証人だよ。」
玄関ホールを見下ろす手すりに寄りかかって全体を眺めるといかにもそこは不思議な空間だ。 あまりにも独特で類似する建築を思いつくことができず、しかし、とても慕わしい気がするのはなぜだろう。 いまどきの新しい建築では、こうはいくまい。 しっくりくるというのが当たっているかもしれない。
「古い建物は好きだよ、見ても見ても見飽きない。 いくら立派でも新しいホテルなんかはつまらないな。 あそこの大谷石を使った照明なんかは実にユニークだ。」
ミロが指差す先には複雑に彫刻された大谷石とテラコッタで構成された角柱が吹き抜けの天井まで伸びて内部から淡い光がさしている。 夜に見ればどれほど幽玄な雰囲気を醸し出すことだろう。
「しかし、さしもの帝国ホテルも歳月には勝てず、地盤沈下による雨漏りや柱の傾きもあったため、ついに取り壊して新館を建てる計画が発表されたが、これを聞いた世界中の建築家から反対運動が起こった。 それほどこの建築は素晴らしいものだったのだ。」
「それで明治村に来たのか。 一部とはいえ、よかったじゃないか。」
「いや、そこに辿り着くまでがたいへんだった。」
「え?」
「反対運動が起こり、世間に議論を巻き起こしているさなかに、時の総理大臣佐藤栄作が訪米し、そのときの大統領との会談でこの話が出たのだろう。 なにしろ、フランク・ロイド・ライトといえばアメリカの生んだ大建築家で、その代表的建築が取り壊されようというのだからアメリカも黙ってはいない。 そこで、その場で、日本には明治村があるからそこに移築しましょう、との話が出たらしい。」
「ふ〜ん、それって、もちろん明治村に事前に話が行ってたんだろう?」
「いや、とっさの返答だったらしく、明治村は寝耳に水だった。」
「えっ!」
正面方向を望む場所に喫茶室があり、コーヒーとカツサンドを頼む。 客がいなかったのでいちばん眺めのよい席に通された。 テーブルや椅子はレプリカとはいえライトの設計によるもので、いかにも落ち着ける。
「明治の建築ではないのだが、建築的には貴重なものだし保存の意義も十二分にある。 結局、明治村に玄関とホール部分が移築され、ほんの一部ではあるがライトの帝国ホテルはここにその姿を留めることになった。」
「それはよかった! ほっとしたぜ!」
「しかし、移築費用の11億円のうち政府が出したのは1000万円だったという。」
「えぇっ!事前の相談もなくいきなり言い出しておいて、それはないだろう! 半分は国が出していいと思うぜ。 俺たちの十二宮も保存管理はグラード財団が一手に引き受けてるけど、あの場合はギリシャ政府は聖域の存在を知らないんだからしかたがないが、でもこれは違うだろう。」
「私もそう思うが、致し方ない。 こうして帝国ホテルは内外から惜しまれながら1967年に閉鎖され取り壊されたのだそうだ。」
「ふ〜ん……」
届けられたカツサンドを食べながら私たちは思いに耽る。 ロイドの設計した帝国ホテルはこうして時代の流れに消え去り、かろうじてここにその面影を見ることができるのみだ。 写真で見る帝国ホテルのロビーや孔雀の間という大広間の意匠は実に素晴らしい。 これが壊されたのかと思うと心が痛む。
「明治村がなかったら、どうなっていたんだろうな?」
「さて…」
ほかの場所を探してなんとかしたのだろうか、それとも世間の要望や世界の建築家の非難をものともせずに通り壊したのか、そこのところはわからない。
「建築物の保存は難しい。 移築には多額の費用がかかり、その後の維持管理にも莫大な資金を要する。 それを始めたのが地方の一企業に過ぎなかったというのに驚かされる。」
「うん、そうだな。 立派な仕事だよ。」

この建物の中には日露戦争の講和条約、いわゆるポーツマス条約の調印に使われたというきわめて大きなテーブルもあり、歴史に思いを馳せることができる。 当時の写真や絵画に描かれるこのテーブルをはさんで一ヶ月近く交渉が続けられたのだという。
「俺達ってとても小さな存在で、」
「…え?」
「歴史に名を残すこともない。 たとえ地上を救おうとも誰も気づかないし、また、気付かれる必要もない。 無名の存在だ。 けっこう大事なことをしてるつもりなのにな。」
展示されている写真を見るミロの言葉が心に残った。


                                    





                  帝国ホテルについて ⇒ こちら
                     明治村への移築について詳しく紹介されています。(注意:音楽が鳴ります)
                  ポーツマス条約 ⇒ こちら
                  明治村のポーツマス条約のテーブル ⇒ こちら
                  ヨドコウ迎賓館 ⇒ こちら
                     日本に残るロイド設計の邸宅が公開されています。 (兵庫県芦屋市)