お 正 月

「お節料理が食べたい。」
いつものようにミロがそう言ったのはクリスマスも過ぎたころの年の暮だ。
「お節料理なら今年も私たちのために宿が取り寄せてくれると思うが。」
本格的なお節料理を作るのには手が足りないため、この宿では毎年東京の老舗料亭の三段重のお節料理を私たちのために取り寄せてくれている。
「う〜ん、それは確かにそうなんだけど、俺は昔ながらに一般家庭が一つ一つ手作りしたのを食べてみたいんだよ。料亭は何人ものスタッフがプロの技術で粋を凝らして作るけど、家庭の主婦は黒豆とか田作りとかを何日も前から手順よく計画的に作るっていうだろ。派手さはないけど伝統的なのがいいとは思わないか?先祖から伝わる塗りのお重に入ってるやつが食べてみたい。理想を言えば古い農家の黒光りした木組みの天井が見えてる部屋の炬燵に入って重箱を広げる、っていうのが好みだな。」
「そんな無理なことを言っても。」
「うん、わかってるけどね。」

そんなことを言っていたのがいつの間にか宿の主人に伝わったものと見える。
「ミロ様、カミュ様、もしご都合がよろしければ今度のお正月は新潟でお過ごしになりませんか?」
「えっ?」
話を聞いてみると、主人の辰巳の実家は新潟県のとある山あいの里にあり、そこでは伝統的な正月が楽しめるだろうというのだ。
「しかし突然私たちのような外国人がお邪魔してはご迷惑でしょう。」
私の知るところによると日本人は家族で正月を過ごすのを好むという。年始回りの客も短時間だけの滞在で泊まることはないと聞いている。
「いえいえ、わたくしも正月は仕事が忙しくてここ数年帰省をしておりませんから母には寂しい思いをさせておりまして。2月になってまとまった休みをとって帰省しますといつも母から  『 誰かお正月に来てくれないかねぇ、いくらでもお世話をしてあげるのに 』 とぼやかれております。お二人がおいでになれば母も腕によりをかけてお節を作るだろうと思いますので。」
「ほう!」
私が返事をする前にミロが興味津々という様子で身を乗り出した。
「もしかして餅つきもできる?」
「ミロ、そんな勝手なことを!」
「あのあたりでは餅つきは30日にいたしますので、それでしたら29日からお泊りいただいたほうがよろしいですな。暮れからにぎやかになりましたらますます母も喜びます。」
「ほうら!OKだ!」
ミロは上機嫌だが、あまりに急な話に私としては手放しで賛成はできかねる。
「でもあの、日本人ならともかく私たちのような外国人では御母堂も驚かれるのではありませんか?」
「いえいえ、実は母は西洋崇拝思想を持っておりまして。お二人のような方をおもてなしするのが夢なのだそうです。言葉が通じなくては困るでしょうが、ミロ様カミュ様でしたら今どきの日本人よりも言葉は達者でいらっしゃいますし、それに母もお二人のことは存じておりますので。」
「ああ、そういえば!」
言われて思い出したが、何年も前の母の日に主人の母親がこの宿に泊まりに来たことがあり、二言三言、言葉を交わしたことがあるのだ。
「あの時に母もお二人のことを覚えたようで、時折あの時の外国の方はお変わりないかと聞かれております。
「それはそれは。」
「なっ、平気だよ、これも国際交流だ。それに俺たちなら餅つきの手伝いができる。力仕事なら薪割りでもなんでもやれるしな。むしろ、おおいにやりたい!」
「ぜひどうぞ。母もどんなに喜びますことか。」
こうしたわけで私とミロは思いがけず越後の民家で日本の年の暮と正月を過ごすことになった。

東京までは飛行機に乗り、そこから上越新幹線で越後湯沢、さらに在来線に乗り換えて一時間ほど行った新潟県の小さな駅からタクシーに乗る。
「ここから30分だ。」
「だいぶ積もってるな。近くにスキー場もあるというから楽しみだよ。」
「スキーをしに来たわけではないが。」
「うん、そうだけど、何日もいるんだから少しは体を動かさないと。あ、もしかして雪かきもやらせてもらえるかな?お前の融雪じゃなくて雪かきだぜ、テレビで見たようなやつ!」
ミロが経験したいことは盛りだくさんで、滞在中にぜんぶこなせるかどうかは私にもわからない。
道はよく除雪されており車が通るのに支障はないが、タクシーの運転手に聞いてみると夜のうちに50センチ降ることも珍しくないという。
「すると起きてすぐ雪かきをしないと大変だな。一日中降るときはもしかして一日中雪かきか?腕が鳴るぜ。」
宿の主人からは、母屋の屋根には循環暖気を利用した消雪システムがあるので雪かきの心配はない、と聞かされているが、玄関周りや道の除雪は必要だろう。泊まっている離れではいくら頼んでもやらせてもらえないのでとうの昔に諦めていたが、久しぶりに私も雪かきができるだろうと思う。
目的地の山あいの集落につくころにはさらに雪が深くなり2メートル近くはありそうだ。
「ふ〜ん、これはすごいな。登別じゃこんなには積もらない。」
「うむ、これは雪かきのし甲斐がある。」
やがて車は立派な冠木門のある家の前で停まった。古色蒼然としているがしっかりとした造りだ。
「驚いたな。ここがそうなのか?」
「予想以上に伝統的な日本家屋だ。」
「これって観光地なら歴史資料館とか登録有形文化財になるレベルじゃないのか?ここに泊まれるなんて感激だよ。」
車から降りるとその気配が聞こえたのだろう。すぐに見覚えのある老婦人が玄関を開けて顔をのぞかせた。
といっても玄関はかなり遠い。門から50メートルほど奥まったところに母屋があって、そこまではカーブを描いた石畳の道が続いている。両側には立派な植込みがあるらしいが今は雪に埋もれていて詳細は分からない。
「おい、かなり立派な家じゃないか。いや、これは屋敷というレベルだろう。」
「たいしたものだな。これほどまでとは思わなかった。」
しきりにお辞儀をしている老婦人に挨拶をしながらきれいに雪かきされている道を通って私たちは母屋に近づいた。軒先には柴犬がいてワンワンと吠えて老婦人にたしなめられている。
「このたびはお言葉に甘えてお邪魔いたします。私はカミュ、こちらはミロといいます。どうぞよろしくお願いします。」
「まあまあ、ようこそ。息子がいつもお世話になっております。こんな田舎なものですからなにもできませんけれどゆっくりしてらしてくださいね。、おくつろぎいただけましたら幸いです。」
宿で出会ったときはそれほど話をしたわけではないが双方とも面識があるのでさほど緊張しないで済んだ。
嬉しいことに赤々と火が燃えている囲炉裏端に通されてお茶をいただく。
「あぁ、こういうのが夢だったんです。囲炉裏っていいですね〜!」
ミロがにこにこしてそう言った。私もテレビや映画ではよく見ているが実際に使われている囲炉裏で暖まるのは初めてだ。
「喜びなさるかと思って。普段は使っておりませんですのよ。」
聞くと私たちが宿泊することに関して宿の主人がいろいろとアドバイスをしてくれたらしく、昔ながらの日本の原風景を体験できる数日間になりそうだ。
主たる目的の一つの餅つきは隣の家に話を通してあり、そこで大人数で搗くという。この家ではひと臼しかつかないので物足りないだろうというのだ。
「そいつは面白いな。にぎやかなのがいいよ。」
自己紹介を兼ねながら母堂といろいろな話をし、心尽くしの夕食を隣室の炬燵でいただいてから客間に布団を敷いた。母堂は恐縮がったのだが、慣れているし自分で敷きたいからと頼むようにして二人でどんどん敷いてしまったのだが、かえって迷惑だったろうか。布団の入っている納戸の引き戸は黒ずんだ板戸で重みがあって頼もしい。
「今どきの建具じゃつまらないからな。こういうのがいいんだよ。
ミロはご満悦だ。
「お湯の用意ができましたのでどうぞお入りください。」
母堂に案内された風呂場が今風なのを見たミロががっかりしたようなので慰めていると、なんと五右衛門風呂もあると母堂がいう。
「えっ!それはぜひ入りたいんですが!」
勢い込んだミロが目を輝かせた。むろん私も入りたい!
「息子はそういったんですけどねぇ、まさか、あんな古い湯殿をお使いいただくのもどうかと思って…」
「いえ、古いのが大好きですから!掃除でもなんでもやりますからぜひっ!」
「そんな申し訳ないことをしていただいては…」
「そんなことはありませんから!」
辛抱強く交渉した結果、明日は五右衛門風呂に入れることになりわくわくしてくる。
「どうだ!やったね!ああ、なんて幸せなんだ!五右衛門風呂だぜ、五右衛門風呂!」
明日のことを話しながら二人並んで寝ていると、いやでも天井に目が行くものだ。枕元の行燈の小さな明かりだけにすると高い天井には光が届かずに天井板もまったく見えない。四隅には魑魅魍魎が棲んでいるかもと思うのも面白い。
「天井裏に鼠が走るのも経験してみたいんだが。」
「さて?それはどうだろう?」
「あと座敷童とか!」
「ますます難しそうだが。」
この古い家ならありうるかもしれぬと思いながら私たちは眠りについた。

隣の家といっても門を出てから歩いて5分ほどかかる。
朝の九時から搗き始めるというので母堂と一緒に出掛けて行った。玄関に鍵をかけないので聞いてみると、このあたりでは夜はともかく昼間には誰も鍵をかけないのだという。
そういえば戦国時代に日本に来た宣教師が故国に送った手紙に、「この国では誰も家に鍵をかけない。驚くべきことだ」 と書いていたのを思い出す。田舎では相変わらず治安がいいのだろう。さすがは日本だ。
隣の家もかなりの屋敷で十数人が忙しく立ち働いていた。母堂が私たちを紹介してくれて握手やお辞儀が交わされる。
庭先の大きいかまどでは幾つも積み重なった蒸し器が盛んに湯気を立てており、もち米を蒸しているらしい。五軒分の餅を搗くとのことで、鏡餅も作るのでかなりの量になるという。
「鏡餅!店で売ってるのは知ってるけど自分の家で作るのは初めて見るぜ!ほんと来てよかった!」
「まったくだ!」
ミロも私もテンションが高い。何回か餅つきを見せてもらって要領を把握してから私たちも搗かせてもらうことになった。それまでは搗きあがった餅を丸める役をすることになる。
男衆がもうもうと湯気の立つもち米を手際よく臼に移して杵で搗き始めた。最初は体重をかけながら杵で押し付けるようにして米をつぶすようにする。米の形があらかたなくなったところでいよいよ餅つきが始まった。掛け声をかけながらリズミカルに搗いてゆく。
「ああ、すごいな!これがペッタンペッタンってやつだ!いいな〜、日本だよ、日本!」
日本人にもわかるようにこんな時には日本語を使うようにしているのでミロの言葉がみんなの笑いを誘う。
「そういやぁ、たしかにペッタンペッタンって聞こえるなぁ!」
「わかっちゃいるけど口に出して言ったことはないもんなぁ!」
湯気が立っているうちに見る見るうちに搗きあがった餅が手早く掬い取られて打ち粉の広げられた大きい板の上に置かれると、取り囲んだ女性と子供、そして私とミロが一斉に手を伸ばして丸めていのがく面白い。何人かの女性は慣れた手つきで中に餡を入れてあんこ餅を作っていく。成型の技術はたいしたものだ。
「すごいな!あんなの、とてもできないぜ。俺なんか、丸めるだけで精いっぱいだ。」
「私もあのような短時間で餡をはみ出させずに作る自信はない。」
あっというまにふた臼目が搗き上がり、今度は鏡餅だ。これは完全に見ている側に回ることにした。神に捧げるものなのに異教徒の私たちが関与するのは望ましいことではないだろうと思う。
「ふうん、あっという間だな。よくもあんなにうまくできるものだ。」
「今どきは簡易なパックの鏡餅を飾る例が多いと聞くが、やはり本来の形が望ましいと思う。」
「宿では毎年本物を飾るからな。鏡開きの時にはかびてるけどあれもまた風情だよ。」
風情は認めるがかびた餅は食べぬほうがよい。宿でも客に出すことはない。目には見えなくても菌糸が奥深くまで入り込んでいることが十分に考えられるので用心に越したことはないのだ。餅の黴は無害だというのは間違いで、やはり黴は黴なのだから。
数回観察してから餅つきをやらせてもらえることになった。力はあるので杵の重さにたじろぐことはないし、濡らした手で餅を返す返し手も人並み外れた動体視力を持っているので案ずるには及ばない。内心期するところのある私たちは最初こそ手加減をしていたがやがて要領をつかむと手慣れた日本人よりよりも早く餅を搗きあげて周りをあっと言わせたのだった。
「あ〜、気持ちがよかった!」
「さすがに達成感があるな!」
そのあと二回搗かせてもらって最後の搗きたての餅は次々とちぎり餅にしてみんなでその場で食べた。あんこ餅、きなこ餅、おろし餅のほかにキノコや山菜がいっぱいの味噌汁に入れて食べるというのも美味しくて、実に楽しく過ごすことができた。
「あ〜、幸せだ!ほんとに来てよかったよ!」
「勘違いかもしれないが日本人になったような気がする。」
おかしなことだが、ほんとにそう思った。

   アテナの聖闘士だからといって、ほかの国に憧れてはならぬという法はあるまい
   私もミロも日本が好きだし、実際に日本は憧れるに値する国だ

これまでの日本での経験から幾度となくそう思ったものだが、ここでの経験は私たちにより強くそれを思わせた。


                              





        とつぜん思いたってお二人に日本の伝統のお正月を経験してもらうことになりました。
        ホームステイ先は辰巳の実家です。
        なぜ辰巳って……ほら、今年は辰年ですから。
                                                 2012年 辰年 お正月