の ど 自 慢

「明日は休ませていただきますので、お目にかかれません。」
「ふ〜ん、そうなんだ。」
「ゆっくり休んで日頃の疲れを取るといい。」
「ありがとうございます。 では失礼いたします。」
そう言って美穂が頭を下げた。

次の日の夕食どき、二人が食事処にやってくると スタッフがなんとなく興奮している気配が伝わってきた。 すでに何組かの客が席についているので客席側では普通にしているが、厨房のほうではあきらかにざわめいているのが、常人より感覚の鋭い二人にはわかる。
「なにかあったのかな?」
「悪いことではなさそうだ。」
「うん、俺もそう思う。」
いぶかしく思いながら食事を終えてフロントの前を通り掛かると、妙に嬉しそうにしている主人の辰巳に呼び止められた。
「じつはうちの美穂が 『 のど自慢 』 の予選に通りまして、明日が本番の生中継ということになりまして。」
「えっ!それって日曜のお昼にやってる、あののど自慢?」
「はい、さようです。」
「これは驚いた!すると今日はその予選に?」
「はい、朝から予選会に出掛けまして、今もまだ打ち合わせ中だそうで、まだ帰ってまいりません。」
主人の話によると、出場希望のハガキ約2000通の中から抽選で選ばれた250組が放送前日に市民会館に集まって順番に歌い、その中から20組が選ばれるのだそうだ。 興奮した美穂からの電話によると、翌日の生放送の本番のための打ち合わせが夜遅くまでかかるのだという。 むろん翌日の有給休暇の申請もすぐに受理されたというわけだ。
「それはすごい!よく見てるけど、知り合いが出るなんて嬉しいね!ぜひ、応援に行きたいな。」
「えっ、私たちが?」
「当たり前だろ。 明日も予約でいっぱいで、ここのスタッフはフル回転だ。 俺たちが応援に行くのがいちばん簡単じゃないか。 それにテレビ番組の生放送っていうのにも興味あるし。」
「テレビにはまったく映りたくないが。」
「映っても一瞬だから、わかるはずないさ。 平気平気。」
二人の間で話がついたと見た主人が頷いた。
「会場に行かれるのでしたら車でお送りしますが、かなり早く行って並びませんと席がなくなるかもしれず、申し訳ないのですが。」
「ああ、それなら大丈夫。 東京で朝五時半に並んだことがあるから。」
ミロの言うのは宝塚歌劇団東京公演の当日券を手に入れるために行列に並んだときのことである。
「では念のため早めということで、8時出発でよろしいですか?」
「それでは、朝食を早目に食べてここに来ますから、よろしく頼みます。」
「かしこまりました。」

「面白いことになったな、美穂がのど自慢に出るとはね。」
「あの番組が登別に来るとは知らなかった。」
「実は俺も応募したけど、抽選の段階で見事に落ちた。 美穂は運がよかったな。」
「えっ!そうなのか?! いったい何を歌うつもりだったのだ?」
「決まってる。 エディット・ピアフの 『 愛の讃歌 』 。 もちろん情熱的な歌詞のほうね!」
「………まさか日本語ではないだろうな?」
「さすがにちょっと恥ずかしいからギリシャ語で歌うつもりだった。 もしも俺が出てたら、スタッフの誰かが応援に来る可能性があるからな。」
まさか愛を捧げる対象がカミュだとは誰も思わないに違いないが、何年も宿に滞在しているミロがどんなつもりで歌っているのかをあえて考えさせることはないだろう。
「で、俺としてはこの歌をお前にフランス語で歌って欲しいと思ってる。」
「えっ…でも…」
「昨日、許してくれたらなんでもするって言っただろ。」
「それは……たしかに…」
「じゃあ、決まりね。」
この論理にはカミュはかなわないのである。

翌朝ロビーに行ってみると今日が非番のスタッフが4人集まっている。
「ミロ様、カミュ様、私達も応援に行きますのでよろしくお願いします。」
「ああ、賑やかでいいな。 あれ? それってもしかして?」
ミロが目を留めたのはスタッフの一人が持っている長さ60センチくらいの巻紙だ。
「ええ、ゆうべ徹夜して頑張ったんです。」
両側を持って広げると2メートル×60センチほどの模造紙の横断幕で、両端には細い木の棒が取り付けてあり持ちやすいようになっている。 華やかなピンクや赤で 『 美穂ちゃん、頑張れ ! 』 と大きな字で書いてあり、目立つことこの上ない。
「ふ〜ん、テレビではよく見てたけど、こういうものか!」
「星の子学園からも応援にくるみたいですから、にぎやかになると思います。」
「それは楽しみだね。」
和気藹々とマイクロバスに乗り市民会館に着くとすでにかなりの行列ができていたが、席を取れるのは間違いない。
「これなら楽勝だな。」
「うむ、あとは時間が経つのを待つだけだ。」
ところがその見通しは甘かった。
「あのぅ……」
「え?」
話しかけられたミロがそちらを見ると、若い女性が真っ赤な顔で立っている。
「あの、この間のお怪我はもう大丈夫でいらっしゃいますか?」
「え…ええ、あれならもう大丈夫です。」
「よかった! あの、ほんとにとんでもないことで、申し訳ありませんでした。」

   ……え? これって、謝られてるのか? なぜ?

ますます顔を赤くした女性が深くお辞儀をして列の後ろのほうに戻ってゆくと、そのあたりでひそひそとざわめきが起こっている。
「なぜ、俺に謝るんだ?加害者の親類かな?」
「さぁ?」
二人で首をかしげていると、今度は前の方から二人連れがやってきた。
「あの、先日はご丁寧にお葉書をいただきましてどうもありがとうございます、感激です。」
「あ…こちらこそわざわざお見舞いをいただいて。」
「二度とあのようなことがないように祈っています、ほんとうに申し訳ありません。」
「いや、どうも、ご丁寧に。」
深々とお辞儀をした二人がやはり真っ赤な顔で戻っていった。
「どうして俺にばかり来る? お前も交通事故に遭ったのに。」
「私が事故に遭ったときは近くに誰もおらず、救急車を呼んだのは加害者だ。 目撃者がおらず、医療関係者ももちろん守秘義務を遵守したので、世間的には私が受傷したことは知られていない。 人通りの多い駅前交差点で事故に遭い、目撃者にその場でブログまで書かれてあっという間に情報が広まったお前とは状況が異なる。」
「あ、そう……わっ、また来た…!」
やって来たのは小さい子供の手を引いた若い母親で、同じような口上を述べたあと、
「今度のことで日本に悪い印象をお持ちになられたのではないかと、それが気掛かりなのですが。」
と付け加えた。
「いえ、そんなことはありませんからご安心ください。 日本はたいへんにいい国です。」
にっこり笑ったミロが軽くお辞儀をしながら日本の魅力を保証して女性を安心させた。 このあたりになるとミロの応対も手慣れてきて返答にも淀みがない。
こうして、勇気を振り絞った女性たちの訪問を受け続けたミロは、いざ開場となったとき相当にほっとしたらしかった。

「ふうん、ずいぶん広いんだな。 こんなところに来たのは初めてだ。」
「ミロ様、ここの席にいたしましょう。」
スタッフに続いて前から10列目あたりの中央に陣取ると、あちこちの席で手製のプラカードを出したり横幕を広げたりと、応援の準備が始まった。
「みんなすごいんだな!ずいぶんたくさん応援グッズがあるぜ。」
「ほう!あそこは20人くらいのグループできているようだ。」
「一族郎党か職場の同僚かな。」
「あそこに星の子学園の子供たちが来ているようだ。」
ミロとカミュを見つけた子供たちが手を振ってきたので振り返す。
全員の席が決まったころには放送スタッフから生中継の留意点や拍手の練習の指導があったりして、二人にはなにもかもが珍しい。
「カミュ様、そちらの端をお持ちになって高く掲げていただけますか?」
「え? ああ、わかった。」
『美穂ちゃん、頑張れ!』 の横断幕を両端で持って広げると、左端のカミュは見えるがその隣のミロの姿は幕に隠されてなにも見えなくなった。
「これじゃ、お前がテレビに映るな。 俺と席を変えよう。」
「わざわざそんなことをしなくても。」
「いや、もったいないからだめだ。」
試し終わって幕が巻かれると、ミロに促されたカミュがやれやれといった顔で立ち上がり席を変わったが、宿のスタッフはとくに気にした様子もない。 ことによるとミロのことを目立ちたがり屋ととらえているかもしれぬのだが、なに、カミュをひたすら人前に出したくないだけなのだ。 独占欲の変形といえよう。

正午きっかりにのど自慢が始まった。
おなじみの音楽と手拍子にあわせて出場者が舞台に登場し、美穂の姿も見えた。
「わぁ!ほんとに美穂がいるぜ!」
「いないはずがない。」
言葉はさらりとしているがカミュも嬉しそうだ。
美穂の出番は8番目で、それまでのあいだに他の出場者の応援の横断幕の掲げ方を観察するのも忙しい。
「のど自慢って、最初は興味なかったけど、このごろじゃ、なかなかいい番組だと思ってる。」
「ほう、どこが気に入ったのだ?」
ミロが日曜の昼にのど自慢を見ているときにはカミュは少し離れて碁盤に向かい、定石の本を片手に碁を打っているのが常である。
「おい、すごくうまいぜ!お前もちょっと見てみろよ!」
とミロが声をかけると、どれどれと顔を向け、
「うむ、確かに。」
と頷いてまた碁盤に向き直るのだ。
しかし、目の前でいままさに行われているのど自慢を見て、どうやら認識が変わったらしい。
老若男女取り混ぜて次々に出てくる出場者はいずれもみんな笑顔全開で幸せこの上ないという顔をしているのだ。

「素人が歌を歌うっていう、なんてこともない番組だが、俺がこれを好きなのは、出てくるみんなが思いっ切り幸せそうなことなんだよ。 見てるとこっちも嬉しくなるんだな、これが。」
「え? 若い人間らしくないって? 囲碁だって、俺に言わせればどちらかというと熟年向きだと思うがな。」
そう言われると、ヒカルの碁を読んでいないカミュには咄嗟に反論できるはずもなく、そうか、囲碁は熟年向きなのか、と納得してしまうのである。

いよいよ美穂の番が来た。 それまでの例に倣って横断幕を高く掲げて左右に動かし応援をした。 結局、横断幕を高く掲げないとカミュほか3名のスタッフが美穂を見られないので、ミロが席を変わったのも意味がなかったようだ。 後ろの客の視線を遮ることになるが、みんなそうしているのだからやむを得ない。
美穂はアンジェラ・アキの 『 手紙 〜拝啓 十五の君へ〜 』 を熱を込めて歌い、普段はそんなイメージではないので二人には予想外である。 感心して聴いていると、あっという間に時間が過ぎて鐘が二つ鳴った。
美穂が恥ずかしそうに歌うのをやめて真っ赤な顔でお辞儀をしている。 司会者とやり取りがあり、
「市内の宿泊施設でお客様のお世話をしています。」
とにこにこして言うのが印象に残った。

会場をあとにして興奮したままみんなで宿に帰ると、フロントで主人から録画済みのDVDを渡された。
「よく映っておいでですよ。」
「ああ、どうもありがとう。」
部屋に帰って早速ミロがデッキを操作する。 驚いたことに一番最初に会場を映したカットからミロとカミュが映っており、回りの日本人より上背があるのでかなり目立つのだ。
「あ…」
「ふうん…!」
美穂の応援シーンでももちろんはっきりと映っているのがカミュにはいささか恥ずかしい。
「う〜ん、お前のメディアデビューだな。 ちょっともったいないが、さすがにカメラ映りは抜群だ。」
「そんな大袈裟な。 それを言うならお前もだ。」
照れて笑いあっている二人には、テレビを見ていた二人の隠れファンが嬉しい悲鳴を上げて画面にかじりついたことなど知るよしもない。 その後、この番組の貴重な録画DVDがひそかにダビングされて、多くの女性に繰り返し観賞される運命になるのだった。
まことに、のど自慢とは、見る人を幸せにする番組である。


「愛の賛歌もいいけど、桃色吐息もいいような気がしてきた。」
「…え?」
「ほら、ギリシャのワインって出てくるだろ。俺たちに向いていると思わないか?」
「……そうか?」
「そうだよ。」





  
               このごろになって好きになった のど自慢。
                 ともかく出てくる人がみんな幸せそうなんです、笑顔全開!
                 ご年配が出てくると、よくもまあこのお年までお元気で、と拝みたくなります。

                 こんな日本的な番組を取り上げないのは片手落ち。
                 交通事故の後日談も盛り込んで、目指せ合格、鐘三つ!


                                  ⇒ 黄表紙 「桃色吐息」 ⇒ こちら