ピ ラ カ ン サ 2
うっかりピラカンサの実を食べて体調を崩したミロが元気になって三日ほど経った頃だ。シオンに会うために一週間ほど聖域に出かけていたカルディアとデジェルが帰ってきた。
「おい、ミロ、露天風呂に行こう。聖域もいいが、やっぱり風呂は日本だな。」
さっそくタオルと浴衣を持ったカルディアに誘われて昼下りの露天風呂に行くと誰もいなくて貸し切りだ。何杯か湯をかぶってさっそく熱い湯に浸かる。
「久しぶりの聖域はどうだった?」
「こないだは復活したばかりで意識喪失したままいきなりアテネの病院に担ぎ込まれたからなにもわからなかったが、今度は聖域をじっくり見させてもらった。建物があちこち派手にぶっこわれているのが目についたが聖戦があったんだからあんなものだろう。それより電気や水道がどこにでもあって、やたらに便利になってるな。あれはいい。」
カルディアが羨ましそうな口調になるのも無理はない。上に行くほど水利の悪い十二宮では水の確保が大問題で、飲み水を毎朝運ぶのは鍛練がわりの大事な日課だったのだという。
「自分で運ぶのか?てっきり雑兵にでもやらせているのかと思ったが。」
「雑兵?あんな氏素姓の知れんやつらを神聖な十二宮に立ち入らせるはずがないだろう?そもそも白羊宮の手前で強力な結界が張ってあるから、雑兵風情では一歩も入れん。あいつらに許されているのは麓から十二宮を遥かに仰ぎ見ることだけだ。」
カルディアの階級意識の強さは現代に生きるミロの想像をはるかにしのぐ。さすがは封建社会に生きていただけのことはあるとミロは妙なところで感心をする。
「だが、雑兵に運ばせないとすると水を自分で運びあげたのか。獅子宮くらいならともかく、天蠍宮なんて洒落にならんと思うが。」
ミロの脳裏に両手に重い水桶を提げてえっちらおっちら長い石段を登るカルディア、でなければ自分の姿が浮かんだ。どんなに注意を払っても桶が揺れて水がこぼれるのは明らかだ。

   着いたときには半減してるんじゃないのか?
   とてもやってられん!

こんなときにはテレポートすればよさそうなものだが、基本的には日常生活では使わないという暗黙の了解があるのでミロにもその発想はない。緊急時というわけではないので、水運びに体力を使うことは鍛練になるというメリットがある。
「しかし、かなりこぼれるよなぁ。」
思わずそう呟くと、
「こぼれるってなにがだ?」
とカルディアに聞き返された。
「むろん、水だ。桶が揺れてこぼれるだろう。」
「誰が桶で運ぶと言った?」
「え?桶じゃなければなんで運ぶんだ?」
「革袋に決まってる。二つを紐で結んで肩に掛ければなんてことはない。朝の鍛練のあと井戸水を汲んで自宮へ帰るだけの話だ。」
なるほど、それなら口をぎゅっと縛ればさほどこぼれないに違いない。
「でも風呂の水は半端じゃないからな。何往復もするのはたいへんすぎないか?」
平均的浴槽の水量はたしか200リットルだったよな、と考えたミロがそう言うとカルディアがあきれ返った顔をした。
「お前、ここに長居しすぎて頭が日本人化してるんじゃないのか?今の十二宮にはそれぞれにけっこうな風呂場があるが、あれができたのもつい最近のことだと聞いた。現に俺は心臓移植のオペのあとで初めて浴槽の湯に入れと言われて仰天したんだからな。」
「あ、そういえば…」
「俺が現役だったころには風呂場なんかないから大量の水を運びあげる必要はない。一日に革袋二つで十分だ。毎日の鍛練後にすぐそばに併設されてる水場で汗を拭うなり水をかぶるだけだったな。石鹸やシャンプーなんて気の利いたものがないんだからなんの問題もない。飯もそれぞれの宮で自分で作るなんて面倒なことをやるやつなんかいないぜ。麓の食堂で用意されたのを喰いに行く。天蠍宮にも宝瓶宮にも御大層な台所があるのには驚いた。まあ、水道が引かれてるんだからそうなるんだろうが。」
「なるほど!」
「だいたいお前らは贅沢すぎるんだよ。蛇口から水どころか好みの温度の湯がいくらでも出てきて、しかもシャワーで浴びられる。ありゃ、大発明だな。スカニーより役に立つんじゃないのか?それから石鹸、シャンプー、リンスも選び放題の使い放題。まだあるぜ、入浴剤の種類の多さは今だに理解しきれん。あんなに必要か?」
「ええと、それは…」
しかしカルディアはミロに口を挟ませない。
「身体を洗うスポンジとかボディタオル、あれも気分がいいな。とくに湯上りに使うタオル、あの使い心地はたまらん!まったくいい時代だよ。」
この宿で使っているタオル類は最高級のオーガニックコットンを100%使用した極上品で、それも洗いざらしの品など見たことがない。宿泊客に最高のもてなしをするために定期的に新調されているという念の入れようだが、そんなことはカルディアもミロも知らない。ただミロには、いい品だな、くらいの認識はある。
「日本人の風呂にかける情熱は半端ではないからな。たぶん世界一風呂を愛する民族だと思う。」
「かもな。まったくお前らは面白い国にいるもんだと感心するよ。」
ここで泊り客が三人ほど入ってきたのに気が付いて立ち上がったカルディアがミロを誘って打たせ湯に移動した。
「ところで、約束通り、天蠍宮ではデジェルを抱かなかったからな。むろん宝瓶宮でもだ。もうあそこは俺たちの宮ではない。自分の立場はわかってる。」
「ええと…うん、わかった。」
「で、欲求不満だ。わかるだろ?」
「え〜と…」

   で、どうしろと?
   今夜、俺とカミュが聖域に行って、離れを明け渡してやればいいのか?

急に微妙な話を振られたミロが咄嗟に返事ができないでいると、カルディアがとんでもないことを言い出した。
「お前、人目があるときにカミュに抱かれたことがあるか?」
「はあ?そんなことがあるわけがないだろう!」
予想外のことを聞かれたミロはあきれ返った。そんな驚天動地のことは有り得ない。
「勘違いするなよ。抱くと言っても抱擁だ、夜のほうじゃない。ついでにキスもあればもっといいが。」
「夜も昼も、ともかくない!ギリシャをはじめとする欧州では街角で抱擁とキスは珍しいことではないが、ここ日本ではほとんど見かけない。日本人はものすごくシャイなんだよ。俺たちは日本人ではないが、カミュはそういうことは好まない。だいいち、俺たちの関係は…その、秘密になってるからな。」
「だろうな、カミュは固いからな。」
「カミュじゃなくても固いのが普通だ。男女ならキスくらいはあるかもしれないが、男同士だぜ?」
「つまらんな。見せつけてやりたいとは思わんのか?」
「見せつけるって誰に?不特定多数に見せつける趣味はないし、知り合いにも見られたくはない。」
「俺もどこの誰ともわからん奴に見せる気はない。黄金のプライバシーは門外不出だからな。」
「当然だ。」
そんな話をしてから離れに戻る途中でミロが赤い実をぎっしりつけているピラカンサを指差した。
「あれってすごいんだぜ。ピラカンサって言うんだが。」
そうしてミロが語る体験談をカルディアは面白そうに聞いていた。
「なるほどな。食べても実害があるほどじゃないが、知らないとちょっと焦るな。」
「だろ。ほんとにひどい味だった。でも俺がピラカンサを食べてみたことはカミュには言わないでくれ。知られたらみっともないからな。」
「任せとけ。それから、俺がお前からピラカンサには毒がある話を聞いたことも黙ってろよ。」
「え?なんでだ?」
「まあ、いいから、いいから。」
にやにや笑ったカルディアは雪駄を履いてピラカンサの傍に行き、赤い実を何粒かとった。
「ふうん……こんなのにそんな毒があるとはね。わからんものだな。」
「鳥が食べてるからってだけでは判断ができないな。知らないだろうが、青酸っていうのは強力な毒でそうとうな知名度がある。」
「凄惨、な〜んちゃって♪」
と笑わせたカルディアが、あっという間にそのピラカンサの実を口に放り込んだのにはミロも驚いた。