節 電

「今日も暑かったな。」
「八月も半ばを過ぎた。あと少しの我慢だろう。」
「北海道は涼しいのに、なんの因果で真夏の十二宮にいなきゃならんのだ?ギリシャの夏がここまでは耐え難いとは思わなかった。」
そうなのだ、ミロとカミュは住み慣れた(?)日本を離れて酷暑の聖域に滞在している。これもみんなカルディアのせいだ。

「なあ、ミロ。ちょっと話があるんだが。」
そう言ったカルディアが朝食のあとでミロを誰もいない娯楽室に引っ張っていき、以下のように訴えた。
「いつまでたってもキャンセルが出ないから、そろそろ俺も限界だ。お前たちと襖一枚隔てただけじゃ、何もできないのはわかるだろ。」
「それはまあ…」
「お前とカミュはいいだろうよ、うまくやってるらしいのは俺にもわかる。でも俺はそんなに器用じゃない。」
それを言われるとミロは赤面せざるをえない。

   カルディアたちとは年季が違うからな
   襖の向こうに人がいるときはそれなりに抑えてるからわからないはずだし、
   そのほかのときでもほんの少しの機会を逃すものではない
   それにカルディアみたいに健康に心配があるわけじゃないから、
   しばらく間があいても焦ることはないし むしろカミュをからかって楽しめる
   「俺に抱かれなくて淋しくない?」
   「まさかそんな…」
   「素直になっていいんだぜ。ほら…」
   「あっ…」
   ざっとこんなところだな

それにしても、そのあたりの秘密をカルディアに見抜かれていたかと思うと耳が赤くなる。カミュにばれたらことだろう。
   「でもミロ……隣に聞かれたら…」
   「大丈夫だよ。絶対に気付かれないようにする。安心して俺に任せてくれていいから。」
   「ん…」
つい昨日のそんなやり取りを思い出す。
「だから、ここは一つ気を効かせておまえら二人で聖域に行っててくれないか。」
「えっ!」
「なあに、そう長くなくていい。ほんの一週間くらい俺とデジェル二人だけで離れを使わせて欲しい。」
「しかし、それは………そうだ!それだったら、俺たちが牧場にでも行っている間に!」
「ばか!そんなみっともない真似ができるか!お前たちが数時間留守の間を狙ってよろしくやってました、なんて状況をデジェルが喜ぶと思うか!? 見え見えだろ!そんなことを したら、あいつは丸一日はお前たちと目も合わせないに決まってる!俺も口も聞いてもらえない!お前たちが一週間も留守にするから不自然じゃなくできるんだろうが!」
「それはそうかも。」
カミュを恥じらわせるのは好きだが、デジェルのそれを見る趣味はミロにはない。

   う〜ん、一週間も離れを明け渡すのか?

本末転倒、軒下を貸して母屋を取られる、その他たくさんの類似した四文字熟語や諺が奔流のように浮かんだがカルディアの気持ちもよくわかる。
「なにしろこの心臓だし、俺もいつまで元気でいられるかわからんからな。死ぬまでにデジェルに少しでもいい思いをさせてやりたいんだよ。」
そう言ったカルディアが遠い目をして窓の外を見た。
「いい天気だな……俺って来年もこんな青空を見られるのかな…」
ほっと溜息までつくところなど実に堂にいっている。いつもの手口だとわかってはいても、けっして間違いではないのでミロには拒否できようはずもない。
「デジェルをなんとかしてやりたいんだが、お前たちと隣同士だと夜が……俺はいいとしてもデジェルのやつがなぁ……わかるだろ?」
絶妙のタイミングでカルディアに肘でつつかれて、ミロはやむなく離れを明け渡すことに同意した。 カミュもうすうすそのことを感じていたとみえ、この計画に賛同したので、カルディアはこの夏の一週間をデジェルと二人きりで過ごしているというわけだ。

「それにしても暑い。聖域ってこんなだったかな。」
たった数時間前に帰還したというのにミロはげんなりしてしまう。日本に行く前はとくに苦にしていなかったのに、いったん北海道の夏を知ってしまうと、夏に一滴の雨も降らずに太陽ばかりが照り付けるギリシャの夏は苦痛でしかないのだ。
エアコンはないのかといわれそうだが、あいにく経済状態の悪すぎるギリシャでは電力の安定供給に不安があり、聖域での自家発電システムが整うまではここ十二宮でもハイレベ ルな節電を余儀なくされている。 そのあおりで室内の冷房設定は30度と決められていて生真面目なカミュはそれを崩すことを潔しとしない。
「エアコンは使わなくていいから、お前が冷やしてくれないか?」
いつもの調子で気楽に言うと、
「他の宮では凍気は使えない。私たちだけが涼しい顔をしているのは独善的な行為でけっして褒められたことではないだろう。」
と取り付く島もない。
「あ〜、俺って不幸!」
ミロがぼやくのも無理はないのだ。 夜になればなったで、やはりカミュが凍気を封印しているので面白くないことこの上ない。
「う〜ん、やっぱり暑い!暑すぎる!」
「しかたあるまい。たまにはこんな環境もよかろう。」
「たまでもミケでも金輪際お断りだ。汗だくでなんて洒落にもならん。」
「たしか見聞録で熱帯夜というのがあったような気がするが。」
「それって何年前のことだ?今にして思えば無鉄砲だな。若さゆえのあやまちってやつだ。あんなことしてたら脱水症で死ぬぜ。俺はあんな格好で発見されたくない。」 
 ( 「熱帯夜」 は5年前 )
「しかしあの時はちゃんと水分補給をしていたはずだが。」
「ともかくやなものはやだっ!」
こうして悶々として夜を過ごしたミロは日本へ帰る日を指折り数えて待つことになった。

さて、こちらは北海道の離れである。
「……え?………はい、わかりました。」
初日の晩こそ二人切りの充実した夜を過ごしたが、二日目の昼下がりの一本の電話が不幸をもたらした。
「昨今の電力不足の例に漏れず、北海道の電力供給能力は危機的状況にあったが、一時間ほど前に道南の火力発電所のうちの一基がトラブルを起こし操業停止したそうだ。復旧の 見込みは立っていないので、大口利用者に対して一層の節電の要請があったそうだ。」
「もっと簡単に言ってくれるか?」
デジェルの話は正確であろうとするあまり、カルディアにとっては難解すぎることがある。243年間も時代の波から隔絶されていて突然よみがえった身には理解不能な語句が あまりにも多すぎて話の趣旨がわからないこともしばしばだ。
その点デジェルは、現代の科学技術やシステムに驚いたあとは、それを理解するためにカミュに頼んで現代用語の基礎知識ギリシャ版そのほかの書籍十数冊を入手すると猛勉強を 開始し、数ヶ月後にはカミュと遜色ないまでにギリシャ語の語彙を増やすことに成功したのだ。
その間、カルディアは、
「言葉なんて耳から入ってくるのを自然に覚えりゃいいんだよ。現にまったく門外漢だった日本語もそこそこわかるようになってきただろ。」
という方針で、もっぱらミロに頼んでデスマスクからDVDを借りてきてもらい、手当たり次第に視聴して言葉の習得に励んだのだ。そんなわけでカルディアのギリシャ語の語彙は いささか片寄っている。
「グラデュエーターとインディー・ジョーンズとロード・オブ・ザ・リング関連の語句は任せてくれ。捕虜とか秘宝とかエルフとかもきっちり書けるんだからな。」
あまり日常生活には役に立たない単語である。

それはさておき、デジェルがわかりやすく要約して言った事実にカルディアは耳を疑った。
「えっ!エアコンを使えないのか!?なんでっ?」
「使えないとは言わないが、無理に大勢が使うと大規模停電を引き起こす可能性があるそうだ。社会生活に多大な影響が出ることを避けるために、使う際にも設定は30度でお願いしたいと美穂が言っていた。」
「30度ってかなり暑くないか?」
一番身近な気温のことはカルディアもよく理解している。夏はいつも涼しいと思われがちな北海道だが、最近では日本列島を覆う猛暑のあおりを受けて暑さに喘ぐこともある。 この夏も一昨日あたりから妙に汗ばむ日が続いていたが、身体への不必要な負担を避けたいカルディアは空調の完璧な室内で快適に過ごしていたので気にもしなかったのだ。
「日中はほかの泊まり客は観光に出払っていて、残っているのは私たちだけだ。使用電力が少ないので美穂は特別に私たちの部屋はエアコンを使ってもいいといってくれたが、そ の好意に甘えてはならないだろう。」
「でもせっかく美穂がっ!」
「黄金の名はミロたちに譲ったとはいえ、私たちは聖闘士同様だ。地上の平和を守る聖闘士が自らすすんで秩序を乱すような行為に加担してはならないと思う。美穂が扇風機という機器を持ってきてくれるそうだから、私たちも節電に協力したいと思うがどうだろう?」
「う〜ん…」
夜は諦めるとしても、せめて昼間だけでもエアコンを使えるなら、なんとかしてデジェルを説得していまこの場で抱けるかもと思ったカルディアの考えはあっというまに葬り去られた。
ミロなら室温30度でカミュを抱いてもそれほど困ることはないだろう。体調は万全だし、さすがに年季が入っているので力のいれどころに無理がない。最小の力で最大限の効果 を引き出す能力には定評がある。誰がそんな評価を?とは聞かないでいただきたいが。
しかしカルディアはまだまだその域には達していない。心臓のことが気になりどうしても動きにムラが出る。要するにゆとりがないのである。結果、要らない力を使う羽目になっ て汗をかく。ゆえに夏はエアコンが欠かせない。
「ちっ!せっかくミロたちに聖域に行ってもらったのに!」
「しかたあるまい。今年の夏は特別だ。」
「なんか毎年そう言ってないか?」
落胆したカルディアがいい方法を思いついたのはその日の夕方のことだ。

    待てよ?
   風呂ってエアコンなくて暑いけど、ちっともいやじゃないよな?  むしろ快適だ
   もとから裸だし汗なんて関係ないし、露天風呂は無理だが家族風呂も内風呂もある!
   これってラッキー!

そこで家族風呂を予約したカルディアは、 
「そんな…」 
と渋るデジェルを説き伏せると、時間的には少々短かったものの、満足できる時間を持つことに成功したのだった。明る いところを嫌うデジェルは今まで拒否してきたのだが、やはり内心ではこの機会を生かせないことを残念がっていたのに違いない。カルディアはそう思うのだ。
「なぁ、デジェル……もしかして喜んでないか?」
「ばかもの…」
湯の音だけが響く浴室がカルディアにはこころよかった。

「いま帰った!節電でエアコンが使えなかったって聞いたけどとんでもないな!困っただろう?……ほら、あの件のことだが。」
ミロが声をひそめた。
「いや、それが……あとで詳しく話してやるよ。」
目配せしたカルディアは妙に機嫌がいい。

    詳しく話されてもなぁ…

苦笑したミロが手荷物からワインの瓶を取り出した。
「シオンからだ。デジェルの進言で持っていった扇子がよっぽど気に入ったらしい。」
「ふうん、あいつもちょっとは気が効くようになったじゃないか。ちょうどいい。夕食で飲もうぜ。」
カルディアの嬉しそうな顔と、さりなげく視線を合わせないようにしているデジェルを見れば、なにがあったかは明白だ。

    ひと夏の思い出ってわけね
   俺たちのことを聞かれたらなんて言うかなぁ
   あまり信じてもらえそうにないな

結局ミロは聖域でプラトニックを貫いたのだ。カミュがあらたに宝瓶宮から持ってきた本をデジェルに見せて説明を始めている。
浴衣を掴んだカルディアが久しぶりの露天風呂に行くミロを追っていった。





          ギリシャのインフラ、ほんとに心配です。
          そうだっ! アイオリアという自家発電装置が!!


        「ライトニングボルトに頼るよりカミュのフリージングコフィンのほうが。」
          「だが断る!」