鹿 の 角 切 り

JR奈良駅からその広大な敷地に東大寺を含む奈良公園へと向う道筋の途中に興福寺 ( こうふくじ ) はある。 というより、興福寺は奈良公園の一角にあるという捉え方さえできるだろう。 あちこちの紅葉が赤く色づいて秋の到来を思わせる。
「興福寺の創建は古く、天智8年 (669) に藤原鎌足の病気平癒を祈願して夫人の鏡大王 (かがみのおおきみ) が建てた山階寺 ( やましなでら ) を起源とする。」
「寺の縁起には病気が治るのを祈願するっていう由来もけっこうあるが、その鎌足は元気になったのか?」
「いや、同年の10月に亡くなっているので、よほどに病が重かったのだろう。」
「ふうん………」
ミロにはなんの縁もゆかりもない藤原鎌足だが、連れ添った夫人の心情を思うと少ししんみりしてくる。

   もしもカミュがそんな病気になって回復の見込みがないって言われたら………
   寺でも何でも建ててやりたいが、それでも無理だと言われたら………

ムウの治癒能力は怪我に関して発揮されるのであって、疾病には関与しない。 聖闘士という立場から今までは怪我のことばかり考えてきたが、慢性疾患になる可能性を考えると安閑とはしていられないのだ。 カミュを医者に診せるのは嫌だなどと子供じみたことを言っていないで、きちんと人間ドックに入れて年に一度は徹底した検査を受けさせるべきだろうなとミロは考える。 むろん自分も同様で、二人一緒に宿泊ドックというのもいいような気がしてきた。
「ところでドックってなに?」
「え?」
「ドックだよ、人間ドックのドック。」
「ああ、それか。 ドック (dock) とは船舶の建造や修理・点検のために港湾に築造された設備のことだ。船渠 ( せんきょ ) ともいう。」
「すると人体の故障の部位の発見が目的なので人間ドックってわけね。」
「それがどうかしたか?」
「こんど、お前と一緒に入ろうと思ってさ。 寺を建てるよりそのほうが実効がある。」
「それはそうだ。」
行く手に興福寺の宝物館が見えて来た。

「ああ、ここにある! これがあの阿修羅像だ!」
国宝の阿修羅像はたいへんな人気で大勢の観光客がその前に群がっていたが、どうやら団体だったらしく少し待っているとゆっくり見ることができた。
「どうして手が6本で顔が三つあるんだ?」
「この様式を三面六臂 (さんめんろっぴ)と言い、頭が三つ、手が六本の意だ。 ちなみに臂 (ひ) とは手首からひじまでのことを指し、仏の手は本でなく臂で数えるものだ。 数が多いのは 一人で数人分の働きをすることをあらわしているものであり、他に八面六臂の仏像もあるが、極めつけは八面六臂六脚の大威徳明王だと思われる。 」
「えっ? 六脚って、脚が六本ってことか? なぜっ?」
「人々が踏み迷う六道を清めるということらしい。」
「六道って………なんだかシャカの顔がちらついてきたぜ………ところで、この阿修羅像はずいぶんときれいな顔をしているな、まるで少年のようだが。」
独特の哀愁を漂わせた顔立ちで人気のあるこの仏像はこのごろテレビのCMで映像が盛んに流れたこともあっていっそう人気が出たらしい。
「帝釈天と永遠に戦い続ける運命を持っているが、仏教では仏陀の教えに帰依し穏やかな心になったとも言う。 この像は仏教に帰依した後の阿修羅を表現しているということだ。 他の寺の阿修羅像は闘っている最中で憤怒の形相凄まじく、この像とはまるで趣きが違う。」
「ふうん、だからこんなにやさしい表情なんだ!」
ちょっと哀しげで寂しそうな阿修羅は思春期の純粋さとかはかなさをミロに思わせる。

   聖域に来たばかりで右も左もわからなかったときのカミュも、こんな表情をしていたことがなかったか?
   そのころの俺は笑ったり怒ったりで、こんな微妙な表情とは無縁だったろう………

「おっと、またたくさんきたぜ!」
修学旅行とおぼしき高校生や熱心な仏像ファンの中年女性たちがやってきて熱い視線を注ぎ始めた。

「修羅場っていう言葉があるが、あれは?」
「阿修羅は永遠に闘い続ける神だ。 ゆえにその場のことを修羅場といい、現代でも極めて仕事が忙しいときなどの形容に用いる。」
「ああ、原稿の締め切りとかね。 じきに1月だからな。」
「え?」
そんなことを話しながら奈良公園に入っていくとミロのお気に入りの鹿がたくさんいるのが見えてきた。
「やっぱりこれだな! なんてのんびりしたいい公園だ! 見ているだけでくつろげる!野生の鹿が人になついてるところは世界中でここだけなんだぜ。」
「今日も鹿煎餅を買うか?」
「ああ。でも、こっそり買わないと、見つけられたら鹿が突撃してくるから気をつけなくちゃ。」
鹿はこの煎餅に目がなくて、なにも持っていない観光客には知らん顔だが、ひとたび煎餅を見つけようものならいきなり近寄ってきてムシャムシャと食べ始める。 そのため、小さい子供などはあっという間に手にした煎餅がなくなって、鹿が怖いことも重なって泣き出してしまうこともある。
近くに鹿のいない煎餅売りを見つけたミロがふた包み買ってきた。
「はい、こっちはお前のね。」
「私もか?」
「うん、夫唱婦随。」
「なにっ!」
「ほらほら、些細なことで怒らない。 仏教に帰依するか? あそこの鹿にやろうぜ!」
色づき始めた紅葉の木陰にいた二頭の若い雌鹿に近付くと何度も御辞儀をしてくるのはミロの期待にたがわない。 煎餅を差し出してやるとあっという間になくなった。
「ほんとに早いな!」
「鹿にも光速の動きがあると見える。」
「生活がかかっているところが俺たちと違う。」
くすくす笑ったミロが手をひらひらと振り、もうないよ、と鹿に教えてやった。
そうして二人が春日大社の方にやってくると、物陰から数人の日本人に声を掛けられた。
「………え? あれって、ひょっとして俺たちを呼んでるのか?」
「どうもそのようだ。 」
首をかしげていると、はっぴを着た年配の男性が、
「すみませんが鹿の角切りに協力していただけませんか? 雄の鹿の角を切らなければいけないんですが、鹿が私たちを見慣れてしまってなかなかつかまえられなくて困ってまして。」
「え〜と、それはかまわないけど、いったいどうやって?」
ミロが訊くのももっともだ。 鹿の捕まえ方などまったくわからない。
「ここで煎餅を見せてやると鹿が安心して近付いてきますので、その隙にわたしらでつかまえます。」
「そんなことでよいのなら。」
カミュが頷き、二人は煎餅を渡された。
「おい、面白いことになったな。」
「うむ、お手並み拝見といこう。」
捕り手たちは木陰に身をひそめ、二人が牡鹿の来るのを待っていると都合よく大きな角の一頭が目ざとく煎餅を見つけてやってきた。
「おい、来たぜ!」
「この角度なら手頃だろう。」
余裕をもって煎餅を差し出し、鹿が1メートルくらいまで近付いたときだ。 ぱっと飛び出した男達が手に持った道具であっという間に角にロープをかけてどうと引き倒す。 暴れる鹿を数人が慣れた手つきで押さえ込んでいるうちに、一人が金鋸 ( かなのこ ) で両方の角を手早く切り落としたのが手練の技で二人を唸らせた。
「よしっ!」
一人の合図で一斉に手を離して跳びのくと、はね起きた鹿が人気のない山のほうに一散に走り出し、すぐにその姿は消えてしまった。
「どうもご協力ありがとうございました!」
みんなにお辞儀されて、 「ご苦労様です。」 と御辞儀を返すところは二人ともすっかり日本慣れしている。
「このあと鹿苑で角きりをしますのでよろしかったらどうぞ!」
「私たちもこれから見に行くところです。」
カミュが答え、「それはそれは!」 と嬉しそうにした一行は次の獲物を探しに行った。
「ふうん、ちょっと面白かった! 」
「雄鹿の角は春先に生え始めて八月には枝別れした立派な角になる。 その後発情期を迎えると気性が荒くなり危険なので角を切るが、角切りをしなくても春先には自然に抜け落ちるそうだ。 生まれた年には生えず、二年目には一本の短い角、二年目にはそれに枝が一つ出る。 三年目には枝が二つ、四年目には枝が三つとなり、あとは何年経っても枝の数は増えぬが全体が大きく立派になってゆく。 」
「角切りってかなり危険な気がするが、自然に任せておいちゃいけないのか?」
「角切りの歴史は古い。 神鹿というので大事にされすぎて人に被害を与えたり、鹿をあやまって傷つけたりした町人が処罰されることがたび重なり、ついに1671年に当時の鹿の管理者であった興福寺が奈良奉行の立会いのもとで角切りを始めたという記録があるそうだ。」
「もう300年もやってるのか!すごいもんだな!」
なにしろ平安時代の貴族藤原氏が神の使いとしてたいへんに大事にしたという由来の鹿である。 奈良の町とは切っても切れない縁があるのだ。
「ここが角切り場だ。」
春日大社参道の南側にある鹿苑に専用の角切り場があり、毎年10月中旬の数日間にここで角切りが披露されるのだ。
角切りは毎年ニュースになるのだが日本に来て三年を過ぎているミロの目にそれが触れたのは今年が初めてで、ひとたびこれを見ては奈良公園好きのミロが黙っているはずもなく、角切り最終日の今日にやってきたというわけだ。
縦30メートル、横15メートルほどのコンクリートの壁で囲まれた楕円形の角切り場はすでに500人ほどの立ち見の見物客でいっぱいで、頭にはちまきを締め、揃いのはっぴを着た男達が威勢よく居並んでいる。
「ここで角切りをするのは観光用かな? さっきみたいに公園中に散らばってる鹿を探して歩いてることもあるんだろう?」
「このパンフレットによると、今年7月の調査では牡鹿が246頭、雌鹿が742頭、仔が173頭、合計で1161頭になる。 246頭の牡鹿をすべて捕まえてここに連れて来て角を切るとは考えられないので、先ほどのように公園内で随時切ることが秋口から行われているということだ。 ちなみに鹿の角は8月頃には伸び終わり、角質化して先端が尖り危険が増す。」
「ああ、そういうわけか。 わざわざここに連れてくるよりは、捕まえたその場で切るほうがたしかに簡単だ。」
しゃべりながら見ていると5、6頭の鹿が中に追い立てられてきた。 そのうちの一頭を追い立てて、楕円形の壁に沿って勢子が並んで通路を作っているところを走らせる。通り抜けようとする鹿の角めがけて棒に取り付けたロープをすかさず絡めて引き倒し、それを取り押さえるところはさっきと同じだが、そこから先が違っている。
こんどは儀式ばっていて、烏帽子に浅葱色の直垂 (ひたたれ ) 姿の春日大社の神官が鹿の興奮を鎮めるために水を飲ませてやってから金鋸で角を切り落とすというのが珍しい。 神官が切り取った角をかざすとやんやの喝采が起こる。
「わぁっ、あの衣装、いいな! 昔風で気に入ったぜ!」
「いかにも日本らしいではないか!」
テレビの時代劇ではなく、実際にこういう衣装が着られているのを目の当たりにした二人の頬が紅潮した。 正直なところ、日本人には背広よりこんな衣装の方がよく似合う。
最初の2、3頭はすぐに捕まって角を切られてしまったが、次の大きな牡鹿は角を振り立てて人間につっかかってきてミロを驚かせた。
「うわっ、おとなしい鹿ばかりじゃないんだな!」
「鹿の平均寿命は18年ほどゆえ、毎年の角切りに慣れてくると逆らうものも出てくるのだろう。 鹿にも学習能力はある。」
「そりゃそうだ。 あれ? いま中に入ってきた勢子は、さっき俺たちに角切りを頼んできた男じゃないのか?」
「……え? ああ、そうだ。 ほう、次の鹿の角を素手で掴んだ!」
「すごいな! あんなことができるんだ!」
おそらく勇気を示すという側面もあるのだろうか、逃げようとする鹿にさっと手を伸ばして角を掴むと鮮やかに引き倒すという荒業に万雷の拍手が沸き起こる。
「よく怪我をしないもんだな!」
「おそらく何十年もやっているのではないだろうか。 それにしてもたいしたものだ!」
こんなふうにして観客席から見ていると、次に場内に入ってきた鹿の角がとりわけ立派なのに気がついた。 壮年なのか一瞬立ち止まりあたりを睥睨するさまには貫禄がある。
「ふうん、こいつはつわものだぜ! お手並み拝見といくか。」
場内に緊張が走る。 赤い旗をつけた竹竿を持った勢子達が鹿を追い立て始めると大きな歓声が上がった。 なかなか思うようなところに追い込めないでいたがやっと狭い場所に追い込んで、二人とは先刻顔を合わせたばかりの年配の勢子が列の間からさっと手を伸ばしたそのときだ。 衆人環視のなかで急に向きを変えた鹿が頭を低く下げて勢子の腹めがけて角を突き出し、大きなどよめきと悲鳴が上がった。
誰もが流血の惨事を予想して蒼ざめたとき、角の根元を掴んだミロが鮮やかに鹿を引き倒し、カミュは勢子を5メートルほど脇に引き離していた。
「あっ!」
「大丈夫です、鹿を早く!」
カミュに促された年配の勢子が鹿に駆け寄った。 ミロがあっけにとられている勢子達を手招きし、我に返った彼等が一斉に鹿を押さえつけるのを確認すると二人の姿はその場からかき消えた。 茫然として見守るばかりだった観衆がわけのわからないままに大歓声を上げ、盛大な拍手が起こる。 あまりの早業に写真を撮ったものは誰一人おらず、あとになってその話を聞き込んだマスコミが地団駄踏んだということだ。

「ちょっとは役に立ったな。」
「うむ、よかった。」
「ほら、雌鹿がいるぜ。 もう少し鹿煎餅をやりたいな。」
「お前も好きだな。」
「可愛いんだからしかたないじゃないか、俺は可愛いものには目がないんだよ。 知ってるだろう?」
カミュが頬を染めた。

   ………あれ?
   もしかして昨夜の俺の台詞を思い出したのか?
   ふふふ、ほんとにお前ときたら可愛くて………
   今夜も、鹿煎餅ならぬ俺の愛をやるよ

「鹿煎餅、二つね。」
ミロが最寄りの煎餅売りに声を掛けた.。






             
 60000ヒットを踏んでくださった owleyes さんからのリクエストは 「鹿の角切り」。
              うわぁっ、なんてジャパネスクな!
              基本的に、見聞録では自分が経験してないことは書けないのですが、
              幸いなことに、角切りに関しては珍しい経験が。

              作中で、公園を歩いていたお二人が角切りに協力を頼まれましたが、
              あれは私の学生時代の体験をそのまま書いたのです。
              今もやっているかどうかはわかりません、
              万が一、捕まえるのに失敗して観光客が怪我をしたらおおごとですし。
              ともかく突然にそんなすごいことを頼まれて目の前で鹿が捕まったところを見たのですから、
              ドキドキしましたね、ええ、末代までの語り草。
              あの経験がここで生きるとは思いもよりませんでした。
              むろん、お二人はちっとも心拍数上がりませんが。

              ちょっと聖闘士としての見せ場も作りました、キリリクだから少々派手なのです。



                 大威徳明王     ⇒ こちら  八面六臂六脚の仏です。

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               ※ ミロ様が初めて奈良公園に行った話は こちら