玉子酒 |
カミュが風邪をひいた。 あとから考えてみれば、朝起きたときから、その兆候はあったのだ。 「ふふふ……顔が赤いぜ♪ 目が覚めたとたんに昨夜のことを思い出したのか?」 「ばかなことを……」 きれいな蒼い眼にさっと羞恥の色がさし、本当になにかを連想したのだろうか、首筋まで赤くしたカミュはもう一度抱こうとした俺の手をすり抜けて先に身体を起こした。 寝乱れた髪と裾を気にしながら立ち上がったとき、少しよろめいたのが気になったが、そもそも日本のフトンはベッドとは違って起きにくいものなのだ。 カミュはそのまま内湯に入りにゆき、俺は湯の音を聞きながら朝のぬくもりをのんびりと楽しんでいた。 湯を浴びたカミュはさっぱりとした様子で、糊のきいた浴衣をきりっと着込むと鏡の前で髪を梳かし始めた。 後ろから肩を抱いた俺がカミュの形のいい頭に顎を乗せて鏡の中からカミュを見るのもいつものことだ。 「ほんとにきれいだな♪」 「ミロ…それでは髪が梳かせない。」 「うん、ごめん♪」 そう言った俺が覗き込むようにして唇を寄せると、それと心得たカミュも顔を上げて応じてくれるのはいつもと変わることがない。 このときも俺は、火照った頬と唇の熱さを湯上りのせいだと思い込んでいた。 カミュが珍しく朝食を残し、箸を置いた。 「あれ? もう終わりなのか?」 「うむ、今朝はそれほど食欲がない。」 最後に運ばれてきた苺も一つ食べただけで、ゆっくりとお茶をすするカミュの口調はいつもと同じなのだが、なんとなくけだるそうに見える。 「お前……どこか調子…悪い?」 「そんなことはない…と思う…」 「なんか気になるな……ともかく離れに戻ろうぜ。」 ようやく花の咲き揃い始めた庭の間を吹いてくる風は爽やかなのだが、回廊を通ってゆく間にもカミュの頬の赤味が増してくるようなのだ。 「もしかして、熱があるんじゃないのか?」 「さあ………少し頭が重いが…」 物憂げにつぶやくカミュのことが気にかかり、誰もいなければ、なんと言われようと抱きかかえて体熱感を推し測るところなのだが、こんな日中には植え込みの陰から庭師が顔を出さないとも限らない。それどころか、額に手を当てて熱を見ることさえカミュは許してくれないだろう。 離れの玄関に入り鍵をかけると、俺はすぐにカミュを抱いてみた。 逆らうこともなく俺にもたれかかった身体が熱っぽく、慌てて握ってみた手も火照っているではないか。 首筋にかかる吐息も火のように熱く、俺をどきっとさせた。 だめだ……やはり熱が出てる……! 「横になったほうがいいな、ちょっと待っててくれ!」 「すまぬ……」 片付けられていたフトンを敷き直している間、カミュは柱に寄りかかり目を閉じている。 「具合が悪かったなら、我慢してないですぐに言えばいいんだよ、さあ、ここに寝て。」 小さく頷いただけでなにも言わずに横になったカミュは、重い溜め息を一つつき、目を閉じたまま身じろぎ一つしない。 俺は急いでフロントに行くと、ちょうど居合わせた美穂に、手真似で体温計を借してほしいと頼み、それと察した美穂は体温計のほかに事務室の奥の冷蔵庫からなにか四角いものを出してきた。 俺に触らせたあとで自分の頭にあてがったところをみると、それはどうやら頭を冷やすための小さい枕のようなのだ。 美穂はカウンターの上でそれをタオルでくるむと俺と一緒に離れについてきた。 心配してくれているのはわかるのだが、カミュの性格からすると、臥せっている姿を他人に見られるのは絶対に嫌なはずなのだ。 今だって、俺だから黙って世話をさせてくれたが、他の黄金だったら部屋にも入れないだろう。 さてどうしたものかと思ったが、宿の側としても泊り客、それも1年もの長期滞在の馴染み客では気にかけるのがこれは当たり前というものだ。 断る理由もなければ、それを言う語学力もないままに美穂と一緒に離れに戻ると、そこはうまくしたもので、美穂が次の間の襖の陰にぴたっと座るとカミュに英語で話し掛けたではないか。 最初は戸惑っていたらしいカミュもすぐになにか返答し始めた。 こんなときのカミュは、先ほどまでのぐったりした気配など微塵も見せず、いつも通りの声音に戻る。 まあ、俺にしてもそうしたには違いない。 黄金が人に弱みを見せるわけにはいかんからな。 ふうん……なるほどね、襖越しに話すのか! これなら美穂からはカミュが見えないし、客のプライバシーに配慮してるってわけだ! しかし、これ……どこかで見たことがなかったか?? 首を傾げていた俺はやがて合点がいった。 それは何度もテレビで見たことのある、日本の昔のサムライが出てくる番組によく出てきたシーンそっくりなのだ。 ああいう場合、たいていは、寝ているのは偉いトノサマだったような気がする…… ふうん……カミュがトノサマね…… どっちかというとオヒメサマのほうが好みだな♪ それでもって、身体の弱いカミュをかいがいしく世話するのが俺で……♪ 英語のやり取りがしばらく続く中、カミュの指示通りに氷枕や体温計をあてがっていると、突然鋭い音がして俺をドキッとさせた。 「え? 今のはなんだ?」 「ミロ………体温の計測が終了したらしい……それを美穂に見せてやってくれ…」 「え?」 半信半疑で体温計を引き抜いてみると、なるほど数値が明示されている。 39.2度。 お世辞にもたいしたことはないとはいえない熱だが、この体温計にも驚かされた。 ふうん………水銀の体温計じゃないのか? 十二宮には、こんなのはないぜ? 呆れながら美穂に見せると、眉をひそめながら体温計がケースに収められ、襖の両側でさらに話をしたあと、やがて美穂がタタミに頭がつくほど深々とお辞儀をして戻っていった。 ますますトノサマ扱いなのには、感心するばかりなのだ。 服装は変わっても、日本人の中身は変わっていないらしい。 「なんだって?」 「医師の往診を勧められたがそれは断った……このあと、解熱剤を持ってきてくれるそうだ。」 往診だと? 黄金聖闘士が医師の往診をうけるなんて、想像もつかん! だいいち、カミュの肌に聴診器を当てるなんてもってのほかだぜ! 「……ただし、明日になっても熱が下がらなければ、強制的に医師を呼んでくるらしい。」 「なにっっっ???!!! おい、カミュ、なにがなんでも今夜中に直そうぜ!」 とはいっても、フトンの端から出ている手はまだ熱く、肩の下に敷き込んでいた髪を直してやろうとすると、枕から首をもたげるのもいかにも億劫そうなのである。 「そういえば、お前、風邪なんて引いたことあった?」 「いや……今回が初めてだ…」 「そうだよな、俺も記憶にない。 それにしても39度だぜ、自分で熱が高いって気が付かなかった?」 いつもは俺を冷やしてくれる手が、今日はこんなに熱いのだ。 力なく俺に預けられた手をさすりながら訊いてやる。 「知識として知ってはいるが、熱を出したことがないので感覚としてとらえることができなかったのだ……」 「アクエリアスも形無しだな。 それじゃぁ、滅多にない看病をさせてもらおうか。」 「うむ、さし許す……」 「え?」 「さきほどの美穂の作法が、まるでサムライの時代そのままだったゆえ、少し遊んでみた…」 気だるそうに目を閉じているカミュがそれでも淡く笑うのが嬉しくて、俺は流れる髪を一房取って口付けていった。 解熱剤のおかげでカミュの熱は少し下がり、昼食こそ摂らなかったものの、夕食は消化の良いものが離れに運ばれた。 「どう? 食べられる? なんだったら口まで運んでやるぜ♪」 「けっこうだ……自分で食べられる。」 「残念だな、せっかく看病気分を味わおうと思ったのに。」 「お前に看病されては、かえって緊張が続いて回復が遅れそうだ。」 「あれっ? それって誤解だぜ、いくら俺だってこんな時には手を出さん。」 軽口を叩ける分だけちょっとはよくなったのだろうが、それでも半分は食べ残してしまうのだ。 「せめて果物だけでも食べられないか?」 「そうだな……では、もう少し……」 座椅子にもたれたカミュはそう言うのだが、手が動かないところを見るとよほどにだるいのだろう。 「熱のあるときには水分は大事だぜ。 俺に口移しで食べさせて欲しいってわけ?」 半ば冗談、半ば本気の台詞でカミュを苦笑いさせていると、玄関のチャイムが鳴り、美穂が盆を捧げてやってきた。 気だるそうなカミュに心配そうに話しかけながら卓上に置いた盆には、陶製の背の高いタンブラーにとろっとした黄色っぽい飲み物が湯気を立てている。 「え? なんだ?」 「玉子酒だそうだ。」 「…玉子酒?」 「酒と鶏卵と砂糖、それに生姜の絞り汁を加えたもので、日本では昔から風邪に効くというので愛飲されているらしい。」 「ふうん…」 酒と卵とは妙な取り合わせだとは思ったが、西洋にもエッグノッグがあるのだから似たようなものだろう。 持ってきた美穂がそのままカミュの飲むのを待っているようなので、仕方ないと思ったらしいカミュがタンブラーを両手で抱えるようにしてゆっくりと飲み干してゆく。 一口飲みくだすたびに白い喉が動き、俺の目が惹き付けられてゆくのはどうしようもないのだ。 「どんな味だ?」 「……甘い…それに……薬というので全量飲んだが、思ったよりもアルコール度が高い………」 え? 風邪の薬だと思ったが、そんなに酒っぽいのか?? ………大丈夫かな? 美穂が食事の後片付けを終えて出てゆくと、俺はすっかり口数の少なくなったカミュを奥の部屋に連れて行った。 「大丈夫か? さっきの玉子酒がもう効いてるだろう?」 「うむ………熱か酔いか……よくわからぬ…」 普通の日本人にはあの分量でいいのかもしれんが、カミュにははたしてどうだろう? 熱っぽい身体をフトンに寝かせてもう一度熱を測ると38.4度だ。 「まだ熱があるな。」 「……では、お前の期待通りに看病ができるではないか………よろしく頼む…」 「ああ、まかせろよ。 」 それからふと思いついて言ってみる。 「でも、アクエリアスだから自分で自分を冷やしてみてもいいんだぜ? 俺に看病のチャンスをくれたいからって、遠慮しなくてもいいんだよ。」 しかし、目を閉じたカミュには聞えなかったようだ。 その晩、カミュはひどく寝汗をかいて、俺は三度も浴衣を着せ替えることになった。 悪寒もあり、小刻みに震える身体を一晩中抱いていると、 うつらうつらとしているカミュが時折り腕を絡めてきて俺を悩ませる。 熱に浮かされた身体には、いつもは熱いはずの俺の身体が冷たくて心地よいのかもしれなかった。 「大丈夫か?」 汗で貼り付いた髪をそっとかきやり熱い額に口付けると、俺の首筋に顔を埋めてきて震える溜め息を一つついたのがいとおしくてたまらない。 「熱が下がったら……元通りのお前になったら………そしたら思う存分抱いてやろう……」 そっとかきいだいたとき、濡れた髪が俺の腕に纏わりついてきた。 氷枕の替えを幾つももらってあったので、ぬるまってしまうと部屋の冷凍庫から出して次々と取り替えた。 結局本当に看病したことになるのだろう。 明け方近くには熱も下がり、寝息も穏やかになって俺をほっとさせた。 美穂には、こちらから連絡するまで起こさないでくれ、と伝えてあるので時間を気にすることもない。 俺もやっとカミュの隣で寝入ったのだった。 昼近くなり、寝返りを打ったカミュの気配で目が覚めた。 「どう? もう熱はないか?」 額に手を当てて、熱くないのを確かめる。 「ん……面倒をかけてすまなかった。」 「かまわんさ、誰にでも調子の悪いときはある。」 優しく抱き寄せて、乱れた髪に口付けた。 「ミロ………あの…今日は私は……」 「安心して……病み上がりのお前を抱こうとは思わない。 一風呂浴びたら食事に行って、美穂たちに元気な顔を見せてやろうぜ、ずいぶん心配させたからな。」 あれだけの熱がたった一晩で引いたのだから、ほんとうに玉子酒が効いたのかもしれなかった。 その後三日間ほどは微熱があり、俺はカミュを抱かずに過ごすことになったが、カミュの回復が嬉しいので、愉しみを先に延ばしただけだと思うとイライラすることもない。 「ねえ、早く俺に抱かれたい?」 「なにをばかなことを……」 一日に何度もからかって頬を染めさせるのも、なかなか楽しいものなのだ。 三日目の夕食はカミュの本復祝いということで、見事な真鯛の生け造りが出た。 日本に一年もいれば、刺身などなんの怖れることもない。 早速箸を伸ばした俺は、ふと思いつくことがあって遠くに控えている美穂に合図をした。 「俺も玉子酒っていうのを飲んでみたいから頼んでくれないか?」 「あれを? 風邪でもないのにか?」 「俺は風邪を引くつもりはないからな。 いま飲んでおかないと経験できないだろ?」 カミュが呆れ顔で美穂に注文し、やがてあの時のタンブラーが俺の前に置かれた。 さっそく一口飲んでみる。 「妙な味だ……お前、よくこれを全部飲めたもんだな!」 「仕方あるまい。 薬だと思ったし……それに……早く直さねば翌日には医師の診察を受けることになる……お前はそれは好まぬのだろう?」 「うん♪ お前を診察していいのは、この俺だけ!」 カミュを赤面させながら飲みきった玉子酒が効いてきたのか、妙に身体が熱くなる。 「かなりきついぜ。 これを一気に飲んだなんて、とてもお前のやることとは思えない。」 「あとで汗が出るかもしれぬぞ。」 「そしたら着替えさせてくれる?」 「お前はすぐそれだ。」 カミュが非難がましい目で俺を見る。 「いいんだよ、俺は俺らしく。 お前はお前らしく。 それが一番だ♪」 あとの愉しみを考えながら、俺は鯛を口に放り込んだ。 カミュ様の風邪。 シベリアでTシャツ袖まくりの雪と氷の聖闘士が風邪を引く? まあ、そういうこともあるでしょう、普段健康に自信のある人が風邪を引くと重いかも? カミュ様は、自分で自分を冷やすことは出来ません。 体調の崩れているときに小宇宙を燃やすと、 冷気を作り出した反動でかえって熱が上がります。 さあ、これでミロ様憧れの 「看病&介抱 」 が実現されました。 「ほぅ、そうとは知らなかった。 感謝する。」 「私は熱でつらかったので、感謝はできぬ。」 「あれっ?お前、俺にあんなに親身に看病されて嬉しくなかったの?」 「しかし……」 「前から思ってたんだが、お前、建て前が多すぎないか?もっと本音を聞きたいね。」 「本音って、私は何も……」 「まあいい、今夜ゆっくりとお前の本音を聞かせてもらおうか♪」 「え…」 その夜 ⇒ 開扉 |
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