夕 立


カミュと俺が北海道へ来てからもう二年が経った。
当初は乗馬の訓練を二週間ということだったのにずいぶんと延長したものだが、まあそんなことは世間ではよくあることなのだろう。
聖域のみならず地上も平穏無事だし、長い休暇を楽しむ俺たちは何に束縛されることなく自由を満喫しているのだった。
もちろん乗馬はとっくの昔に習得していて馬を操ることになんの不自由もない。
最初は慣れた馬にしか乗れなかったのだが、この頃は俺もカミュも乗る馬を選り好みすることもなく、乗馬を楽しめるのだ。

そのグラード財団直営の牧場で一足早い夏祭りがあるというので、宿の昼食は断って、俺たちが牧場に着いたのは12時前のことだ。 馴染みの従業員に挨拶して日本語の上達振りを誉められながら、焼きソバやらカレーライスやら焼きとうもろこしを楽しんでいると、午後から乗馬コースを周回するレースがあるというのをカミュが聞き込んできた。
「 参加を勧められたが、どうしたものだろう?」
「ふうん、あのコースでお前と競争めいたことをしたことはあるが、レースというのは初めてだな! いいじゃないか、きっと面白いぜ♪」
やる気満々で集合地点へ行くと、あたりの牧場からも自分の馬を連れてやってきていて、なかなかの盛況なのだ。
「ゼッケンをもらってきたぜ、お前は35番、俺はもちろん36番♪」
「いやに上手くできているな。」
「うん、こういうときは本筋に影響ないから、ご都合主義がまかり通るの♪」
カミュを笑わせながら厩舎に行って、好みの馬を引き出してもらう。 カミュはいつもの白で、俺は栗毛の若駒だ。
「40頭ほどいるからかなりの迫力だぜ!無理して落馬なんかするなよ!」
「お前こそ!」
鞍をつけてからスタート地点に行くと、レースに出る外人は俺たちだけなので人目を惹くことこの上ない。 馬上では高さがあってはるか彼方からでも俺の金髪は目立つだろうし、カミュの美貌も例の通りに注目を集めてしまうのだ。
日本にいれば目立つのは当たり前だから気にしないつもりだったが、夏のイベントということもありやたらと写メールの音が響いてくるのには驚いた。
「おい! 俺たちには肖像権は保障されないのか?」
苦笑しながら言うと、
「あきらめよう。 街を歩いているのなら断りようもあるが、イベントではしかたがない。 それが嫌ならレースには出ぬことだ。」
「お前、けっこう悟ってるのな♪」
話しかけられたら面倒なので、こういうときにはギリシャ語に限る。
俺たちの気持ちがわかっているらしい従業員たちがくすくす笑いながら盛んに声援を送ってくれるのは嬉しいものだ。

いざスタートすると、週に2、3回はこのコースを半日ほど楽しんでいる俺たちには地の利があり、二人とも先頭集団をキープできている。 ほかにはいかにも乗りなれているこのあたりの牧場関係者ばかりで、ちょっとばかり乗馬経験のある観光客では上位は難しいようなのだ。
最終的には、生まれたときから乗ってるんじゃないかと思うようなカウボーイそのものの隣りの牧場主が一位を取り、カミュは3位、俺は5位だった。
「お前ね、少しは昭王の顔を立てろよ。」
「ここは燕ではない。 すまぬが実力で勝たせてもらった♪」
「あっ、そういうことを言う? まあいい、今夜、俺の実力で目にもの見せてやるからな♪ 泣いて詫びても遅いぜ♪」
「え………」
絶句させておいてから厩舎に馬を返すと、俺たちは歩いて宿に帰ることにした。
牧場の車で送るといわれたのだが、イベントの片づけが忙しそうだったし天気も良くて絶好の散歩日和だったのだ。
「久しぶりで面白かった!」
「ああ、まったくだ! テレビでよく耳にする 『 各馬いっせいにスタートしました! 』 っていうのはあれだな。 どきどきして楽しかったぜ♪」
宿に続く一本道をのんびりと歩いていた俺たちは後ろから黒雲が湧いてくるのに気付かなかったし、いつもなら湿度の変化に敏感なカミュも今日はレース後の高揚感のせいかそれに気付くのが遅れたのだ。
「あ……!」
そう思ったときには大粒の白い雨が地面を叩き始め、いけないっ!、と思ったとたん激しい驟雨が俺たちを襲ってきた。
一瞬はテレポートのこととか、カミュに雨を処理してもらうことも心を掠めたが、あいにく俺たちのあとから家族連れが歩いてきていて、やはり急な雨にそれでも持参の傘をやっと出して二人ずつなんとか雨を凌ごうとしている。 これでは余計なことはできはしないのだ。
「どうする? 走るか?」
「走るもなにも………」
濡れ髪のカミュが肩をすくめる。
「すでに全身濡れている。」
まったくすごい降り方で、野原の向こうの森がかすんで見えるし、道の低いところはすでにかなりの流れの川を形成しつつあるのだった。
「俺は歩いてもいい。 ギリシャでは経験したくとも、とても無理な相談だ。 夏には一滴の雨も降らないからな。」
「私もかまわぬ。今さら走ってもしかたあるまい。」
覚悟を決めればこの道行きも楽しいものだ。 俺たちは冗談を言いながら宿までの道を歩くことにした。
「しかし、こんな天気になるようには見えなかったがな。」
「夏の強い日射により大気の状態が不安定になると入道雲が崩れて積乱雲に発達し、夕立が発生して雷を伴うことも多い。 このときに雨粒と一緒に上空の寒気が降りてくるので気温が下がり、またその雨が蒸発するときに気化熱を奪うので地上は涼しくなることが多い。 2002年には甲府で降り始めから一時間後に気温が10度下がったという記録がある。」
「え? 気温が下がるのはともかく、雷の方は大丈夫か?」
「大丈夫だ、雷雲はこのあたりには存在しない。」
ちらっと空を見上げたカミュがあっさりと否定してくれるのがありがたい。

宿の前に着いた頃には雨も小やみになってきた。東の空を振り返ると見事な虹が見えて俺たちに溜め息をつかせるのだ。
「夕立のあとには虹が出ることが多い。」
「背景の空が暗いっていうのも面白いな、絵に描きたくなるぜ♪」
「お前に絵心を起こさせるとは虹の実力もたいしたものだ。」
「そんなことよりずいぶん濡れた。 髪なんか、ほら、絞れるくらいだぜ。」
「美穂があきれるかもしれぬな。」
「水もしたたるいい男ということで笑わせるか?」
そんなことを言い合いながら玄関に近付いたら、さっそく美穂に見つかった。
「まあ、お二人ともどうしましょうっ! そんなにお濡れになって!!」
おろおろした美穂は、俺が 「 水もしたたるいい男だから♪ 」 といってもまるで気にかけてくれなくて、離れの鍵を持ってくると庭伝いに俺たちを離れに連れて行き、まず自分が離れに入ると戸棚から山ほどバスタオルを抱えてきて玄関の式台とタタミに敷き延べた。
「ただいまお湯を入れておりますから、どうぞご入浴なさってくださいませ。 それから濡れたお召し物はこちらの籠にお入れください。のちほど取りに伺います。」
てきぱきとそう言うとお辞儀をして真っ赤な顔で下がっていった。
「やれやれ、驚かせすぎて冗談も聞いてもらえなかったぜ! せっかく用意してたのに!」
「そんなことより身体が冷えてきた。 早く湯に入ったほうがよい。」
カミュの言うとおりで、こんなことで風邪を引いてはたまらない。 互いに背を向けて濡れた服をちょっと苦労して脱ぐと、腰にタオルを巻いて浴室に行く。
「順番を待ってる場合じゃないからな、一緒に入るぜ!」
「わかった………」
半分ばかり湯の入った浴槽に浸かって、カミュには先に髪を洗わせることにした。
後ろ姿なら見ていてもかまうまい。
「ほんとにきれいな髪だな! 牧場でもみんな見とれてたぜ♪」
「ばかなことを…」
髪を洗う手を休めることなく答えるカミュの耳が赤い。俺の視線を意識してのことだろう。
「お前の金髪こそ注目の的だったではないか。」
「あれっ、嫉妬してるの? 嬉しいね♪ 今夜は腕によりをかけてやるよ♪」
「そんなことを………」
あとはシャワーの音で聞こえない。
俺はくすくす笑いながらまだ少ない浴槽の湯に身体を沈めていった。

                                     ←黄表紙風味




                     ああ、泣くほど久しぶりの見聞録です!
                     なんとエープリールフール以来ですからね、
                     むしゃぶりついて離したくないくらいの勢いですよ!
                     三ヶ月の空白は長かった………。
                     ミロ様も北海道に戻って嬉しそうです♪

                     できれば、この続篇を描きたいんですけど、もちろん夜バージョンで♪