リュック担いだステテコおじさん

北海道貧乏旅行

2009年8月20日(木)〜9月2日(水)

 僕自身、昨年後半からのリーマンショックに始まる世界大不景気に影響を少なからずというより、かなり被害を被り
、経済的問題で大好きな海外旅行が出来なくなってしまった。しかし、旅行好きの虫が納得せず、外国の海外ではな
く日本国内の海外に行くことを計画。たまたま青春18切符という格安の切符があることを知り、普通列車に5日間
乗り放題という仕組みを利用して北海道に行ってみようということになった。色々金銭的な計算をしたが、交通費そ
のものは確かに安いのであるが、目的地に行くまでにかなり時間がかかり、途中で何泊もしなければならないことが
判り、以外と高くつくことになってしまった。結局往きは、舞鶴から小樽までフェリーを利用(格安切符があった。
)し、帰りは東京から夜行の格安高速バスで帰ることにした。色々検討した結果この方法が最も安くあがるのでは
ないかと判断し、さっそく実行に移すことにした。いよいよ明日20日に出発する。ネット環境と時間の許す限り、
拙いが、この年にして初めての経験である各駅停車の列車に乗って旅することをライブでレポートしたいと思う。
題して「リュック担いだステテコおじさん 北海道貧乏旅行」〜北海道の車窓から〜

目次
第1日目  8月20日(木) 舞鶴発0時半 フェリー「はまなす」に乗船し北海道小樽に向けて出発
第2日目  8月21日(金) フェリー「はまなす」船中
第3日目  8月22日(土) 小樽から知床斜里へ列車で移動
第4日目  8月23日(日) 知床斜里から世界遺産知床半島へ
第5日目  8月24日(月) 知床半島「カムイワッカの滝」「知床五湖散策」  
第6日目  8月25日(火) 知床斜里から稚内へ列車で移動 
第7日目  8月26日(水) 稚内市内観光と利尻島へ船で移動
第8日目  8月27日(木) 利尻島観光後、礼文島へ船で移動
第9日目  8月28日(金) 礼文島観光(トレッキング)
第10日目 8月29日(土) 礼文島から富良野へ船と列車で移動
第11日目 8月30日(日) 富良野 〜ラベンダーファーム・TVドラマ「北の国から」ロケ地〜
第12日目 8月日31(月) 中富良野から蟹田へ移動(帰途) 
第13日目〜第14日目 9月1日(火)〜2日(水) 蟹田から東京へ移動し夜行バスで帰阪
総費用
全詳細行程表(PDFファイル)

第1日目 2009年8月20日(木)
 8月20日(木) 舞鶴発0時半 フェリー「はまなす」に乗船し北海道小樽に向けて出発
 8月20日の15時過ぎに家を出て新大阪まで行き、18時半の舞鶴行きのバスに乗り21時に舞鶴着(バス代も含めて小樽まで10200円で格安であった。)
盆もすぎてこの時期フェリーは非常にすいており、2等席の僕の12人部屋には、たったの4人であった。こういった場合、全く知らない人でも多少でも会話を交わすもので、シャイな僕でも話すことが出来た。もちろん相部屋なので男性ばかり。こういった出会いというものは、素晴らしいと思う。旅に出なければ当然こうした出会いもない。2人は、バイクのライダー。1人は、大の馬好きで北海道各地に馬を見に行くという。そして、僕は所謂バックパッカー的な旅人。いずれも余暇の世界である。皆さん人生を楽しんでおられる。
中年のライダーは、たびたび北海道に来ているとのことで、かなりのグルメである。帯広の豚丼が美味いとのこと。今回は、函館で色々な種類のハンバーガー(ラッキーピエロという店)を食べまくるとのこと。グルメはいいのであるが、くれぐれもメタボには気をつけてほしい印象を持った。(笑)
もう一人のライダーは、大学生で最近就職先が決まったとのことで、すっきりした気持ちで初めての北海道バイクツーリングとのこと。2週間思い切り北海道を走りまくると言っていた。まさに就職も決まって素晴らしい未来に向けて疾走という感じ。彼の輝ける未来に乾杯!!
もう一人は、馬好きの人。北海道には競争するだけの馬だけではなく、重い荷物を引っ張って競争する競馬もあるとのこと。すべて見ると言っていた。人には、色々な楽しみを持っている人がおり、それぞれに自分の趣味を楽しみ人生を謳歌しているようである。
素晴らしき出会いに乾杯といきたい!!
(トップへ)
第2日目 2009年8月21日(金)
8月21日(金) フェリー「はまなす」船中
 今回は、貧乏旅行だからアルコール類は、飲まないでおこうと思っていたが、初日から破ってしまった。ビール1本くらはいいであろうと、いつもの甘さが出てしまった。まあいいか?? しかし、破ったおかげで同部屋の人達とも楽しく会話が出来た。まあ、何でも決め込まずに状況に応じて節度をもって臨機応変に考えていけばいいのではと思った。今は、船中で暇している。幸い部屋にはコンセントもあり、電気をとれるので、こうして暇つぶしに書いている。以降は、こんな時間はないかもしれないので書けるときに書いておく。いつものずぼらなパターンからいけば、可能性として尻切れトンボになるかもしれないが、まあ、その辺も臨機応変にいこう。
 先ほど舞鶴へ向かう同じ会社のフェリーと行き違った。周りは陸地も何も見えない洋上。お互いに警笛を鳴らし安全航海を確かめ合うのは、何か一種独特な一体感(?)を感じた。フェリーは、思ったより高速で時速55キロくらいで航海している。110キロで遠ざかっていき、しばらくすると見えなくなった。
 35年前にこの航路でフェリーに乗ったが、その時は32時間くらいかかったが、今回は20時間である。飛躍的な進歩である。こんな図体の大きな船がすいすい進む。技術の進歩は素晴らしい。それから思ったのは、スピードはジェット機と比べられるものではないが、しかしその分ゆったりとして手足を伸ばして寝ることが出来る。これは良い。昨日は、ビールの酔いもありぐっすり寝ることが出来た。ジェット機ではこうはいかない。さらにお風呂もあるし、船内は広く、体を十分動かすことも出来る。時間さえあれば、こうしてゆったり船旅も良いものであると感じた。
 小樽に着くのは、20時45分。今は、13時半。後約7時間である。
フェリー「はまなす」のヘリポート 洋上で行き違うフェリー (トップへ)
第3日目 2009年8月22日(土)
8月22日(土) 小樽から知床斜里へ列車で移動
 いよいよ北海道での活動開始である。青春18切符を使い小樽から知床斜里まで移動するのである。朝8時32分の札幌行きに乗り、札幌で岩見沢行きに乗り換え。次に岩見沢から旭川行きに乗り換え。旭川で2時間ほど連絡待ちがあり15時ころ北見に向けて出発。北見から今度は知床斜里行きに乗り換えて20時35分くらいに今日の最終目的地である知床斜里駅に到着した。実に10時間近く電車に乗りっぱなしであった。(連続でこれだけの時間乗ったのは、生まれて初めての経験である。)今日は、とにかく電車に乗るだけの1日であった。それだけ乗って暇を持てあまさなかったかというと、意外と退屈せずに済んだ。札幌から旭川までは、どちらかというと壮大な平原という景色が続き、旭川から知床斜里までは、山中を走っている感じであり、かなり車窓の景色は違う。イメージからすると壮大な平原の方が北海道らしい感じがした。しかし、それでも本州などとは、趣が違うように思った。
 それから、昼食は旭川でしたが、旭川名物の旭川ラーメンを食べた。これはなかなかいけた。美味しかった。自分の口にも合った。四川味噌味で激辛のを注文したが、自分の感覚からして激辛も特に辛いとは思わなかった。非常に豚骨スープと四川味噌がマッチし、さらに自分は豚が嫌いであるが、当然焼き豚が入っていたが、これもすんなり美味しいと思って食べることが出来た。店の名前は、「春夏冬」(しゅんかとう)である。小さな店で7から8人も入れば一杯になるような狭い店である。あくまで自分的味覚であるが、旭川ラーメンとしてお奨めしたい。
21日夜に撮影した小樽運河 22日朝の小樽運河
今回北海道旅行の出発点となった小樽駅 2時間ほど連絡待ちした旭川駅
四川みそ味激辛旭川ラーメン 左のラーメンを食べたラーメン屋「春夏冬」
北海道の車窓から 見える限りまっすぐなレール あまりいい駅名ではないですね。愛がなければだめです。(笑)
(トップへ)
第4日目 2009年8月23日(日)
8月23日(日) 知床斜里から世界遺産知床半島へ
 8時のバスに乗って知床斜里駅前からウトロに向かう。50分ほどで現地に到着。荷物は少なくしたつもりであるが、パソコンなど電子機器などがあり、かなり重くなってしまった。後ろに山登りようのザックを担ぎ、前には、いつものナップザックというなりふり構わぬ姿である。
 この日は、快晴で海も穏やかでまず第一の目的である知床半島を海から見るということで遊覧船に乗った。3時間半ほどの遊覧であるが、なんと驚くなかれ6500円もした。貧乏旅行であるが、せっかく来たので乗ることにしたわけである。知床半島は、世界自然遺産に登録されており、先端の知床岬までは、陸路では行けないし、また道路もない。道路は、カムイワッカ付近までで、それより先は、自然保護の観点から開発は禁止されているし、立ち入りも禁止である。だから、海から見るしかないのである。半島自体は、山から急に海になるような海岸線は絶壁の連続である。そして、ところどころに直接、川が海に落ちるところに滝がある。日本ではあまり見かけられない光景である。
 1時間半強で知床岬に着いて、そこからUターンとなる。知床岬の先に大きな島が見える。すぐそばなのであるが、そこは外国である。しかし、戦前は日本固有の土地であったものである。そう北方領土のひとつである国後島が見えたのである。何だか急に特別の感情がわいてきて、目の前の島が何故外国なのか。もともとは日本固有の領土であったのが、ソ連により強奪されたまま戦後64年経過しても返還されていないのである。何故か妙にナショナリズム的な感情が一瞬芽生えた。日頃は、真剣に北方領土問題は考えたことはないのであるが、現実を目の前に見せられると、北方四島は、日本のものであるという気持ちが猛烈にわいてきた。今後少なからず北方四島の返還について考えていかなければと思うのであった。
 13時半頃遊覧船は、港に戻った。さて、次は何をしよかと考えたが、港の前にオロンコ岩という砦のような岩があり、そこへ登ることにした。久しく山に登っていないが、重い荷物を背負って、調子が悪くサプリメントを飲んでいるが、膝の具合をみることも兼ねて登った。膝はかなり回復しているようで安心した。高さは、60メートルほどであるが、頂上からの見晴らしは素晴らしいものであった。遠く水平線の方には、トルネードのような部分的雨が降っているような光景も見ることが出来た。もちろん、知床半島の山々も見えた。風も吹いていたが、天気は、曇りであったものの非常にすがすがしい風であった。
 今日の観光は、ここで終わり、今日の宿泊先である「岩尾別ユースホステル」に向かった。ウトロから30分ほどのところにある。山中に一軒ポツンとあるだけで、周りは何もないところである。幸いバス停のすぐそばで、重い荷物を背負っている自分にとって格好の場所であった。ユースホステルに泊まるのは、生まれて初めて。(海外では一度だけあるが。)部屋は、8人部屋であったが、自分を入れて4人だけであった。部屋に入ると奇妙なにおいがしたが、しばらくしたら慣れたものの、夜中にはその臭いが鼻につき、鼻についたというより、確実に下からのトイレの臭いであった。2階の部屋であったが、位置的に完全にトイレの上にある部屋で、気密性が悪いのか、隙間から臭いが入ってきていた。まあ、ユースホステルというのは、値段が値段なので、こんなものであろうと思わざるを得なかった。
 行きのフェリーに続いて、また色々な人やオーバーに言えば人生に巡り会えることが出来た。一人は、リストラで会社を辞めて2ヶ月間連続で旅行をしている30前後の若者。一人は、学生で自転車のみで北海道を旅行している若者。そして、後一人は、僕と同年配か少し上くらいの人で、神戸から125CCのバイクで来て、北海道のあちこちの山を登っている元気な人。人それぞれ色々な人生があり、それぞれに自分の人生を楽しんでいるというか、まさに生きているという感じで、自分自身非常に刺激になった。こういったことで、色々な人と話できるのも旅の醍醐味ではなかろうか。
知床半島遊覧 知床半島のあちこちに滝
知床岬の左側に見える国後島 知床岬の燈台と国後島
尖った頂上の間に見える硫黄山 ここにも滝が
オロンコ岩に登頂 オロンコ岩の頂上に咲く花(?)
オロンコ岩から知床連山を臨む 水平線にトルネードのような雨 (トップへ)
第5日目 2009年8月24日(月)
8月24日(月) 知床半島「カムイワッカの滝」「知床五湖散策」
 朝からカムイワッカの滝に向かった。9時23分ころに着いた。カムイワッカは、第一の滝までしか見ることが出来ない。それから第4の滝までは、崩落の危険があるため通行止めになってしまっている。だから、温泉に入ろうと思っていたのが実現しなかった。第一の滝でも少し温かいものの28度くらいなので入れば寒いであろう。とても入れる温度ではない。外人の夫婦が来ていたが(少し話した。カナダ人とマレーシア人の夫婦?同じYHに泊まっていた。)、その人たちは入っていた。硫黄分の水でこけが生えておらず坂にもかかわらず、靴下であがるのが安全とのことでそれであがると滑らなかった。
 予定より早く観光が終わったので、一つ早いバスで今度は知床五湖に向かった。ここでは、五湖ともに全部回った。あいにく山の方の天気が悪くガスがかかっており、せっかくの湖に写る景色が見えなかったことは残念である。熊がよくでるらしく、さかんに注意を促す標識があった。しかし、熊がいても寄ってこないと感じることが出来た。何故かというと、熊は人間がいると感じると寄ってこないらしい。というのは本当に辟易する中国人観光客が、すごくやかましくしゃべりまくっているのである。ところおかまいなしである。マナーが悪すぎる。我が物顔の自己中も甚だしい。だから中国人は好きでない。厚かましすぎる。もっとエチケットをわきまえてほしいものである。撮っていたビデオにはすべて中国人のやかましいしゃべり声が入っている。あんな自己中民族は、あまり信用できない。(全部が全部ではないと思うが。)そのことが熊が近寄ってこない理由である。
 知床五湖の散策も早く終わった。今日は余裕しゃくしゃくである。だから、バスの時間などを計算して、ザックを預けてある岩尾別ユースホステルまで歩くことにした。1時間の距離である。途中何回か鹿に出会った。まずおそってこないとは思うが、少しこわい。警戒してしまう。それから、もっと珍しいものを見た。熊が掘ったと思われる蟻塚を何カ所か見かけた。夜になると出てきているのであろう。幸い昼間であるし見なかったが、夜は怖いであろう。さらに、やかましい中国人が周りにいないので、少し危険な感じがしたが、まあ、昼間から道路には出てこないであろう。
 岩尾別ユースホステルでザックを取って、バスで知床自然センターに行った。ここでは、散策して、川が海にそぐフレペの滝を見た。知床半島には、このような滝がいっぱいある。カムイワッカの滝も滝となって海にそそいでいる。しばらく見学した後、予定通りのバスに乗って、知床斜里に帰ってきて、知床斜里セントラルホテルに泊まった。明日は、稚内に向かう。
一泊した岩尾別ユースホステル ユースホステルの側にある鮭、孵化施設鱒
カムイワッカの滝 滝はここまでしか来れない。先は通行止め
道路の側に鹿が多くいる 知床五湖散策
知床五湖第一湖。あいにく知床連山は曇って見えない。 晴れていたら、このように見えるらしい。見えないのが残念。
湖面に映る知床の青い空と白い雲。連山が見えない分、青と白のコントラストを見ることが出来た。 展望台から第一湖を臨む
展望台までの散策道 この辺にも鹿が
知床五湖から岩尾別まで1時間ほど一人で歩きました。まっすぐな道路。すべて清々しい。 さて、これは何でしょう。熊が蟻塚を掘り返した後です。夜に出てくるのでしょう。
一人で歩いていると道ばたに鹿を見つけました。結構人に慣れているようです。 知床自然センター  フレペの滝 (トップへ)
第6日目 2009年8月25日(火)
8月25日(火) 知床斜里から稚内へ列車で移動
 今日は、丸1日移動日。知床斜里から北見に行き、1回目の乗り換え。そここから旭川まで行き、乗り換え、その次に名寄で乗り換え。今、音威子府という駅で1時間15分ほど時間待ちをさせられており、その時間を利用してこの日記を更新している。
 北見から旭川の間で元気のいい人なつっこい若者と出会い、旭川に着くまで色々話した。メルアドの交換も行った。なかなかプラス思考で前向きな考え方の青年で好感が持てる。大学4回生で就職も決まっているとのこと。PHS電話のことで色々情報教えてくれた。一度メールを出してみようと思う。
 今待機している駅は、周りは何もなし。本当に田舎の駅であり、人もほとんどいない。近くに店もない。国道まで出て、アイスクリームを買って食べた。しかし、まわりの景色は緑が一杯で風も爽やかで心地よい。16時31分に電車はでる。後20分ほど待たなければならない。まあ、こんな田舎駅で時間待ちするのも、のんびりしてよい。急ぐ旅でもないし、たまにはこういうのもよいのではないか。続きは、今日の宿泊所についてから書きたい。
 定刻通りに18時49分日本最果ての街、稚内に着いた。すぐにYHへ向かう。受付して荷物を置き、ベッドメイキング(ややこしいシーツで、敷き布団とかぶり布団兼用で初めて見るシーツであった。)してから夕食に出かけた。YHの人に聞き、地元の人がよく来る食堂に行った。いくら丼、冷や奴、イカ納豆を頼んだが、結構どれも美味しかった。
朝の知床斜里駅前 ひっそりしている 知床斜里駅構内 これより稚内に向かって出発
石北本線 原生花園駅 このあたりの駅は総て無人駅であり、電車は総てワンマンカーである。進行方法に向かって右側はオホーツク海である。 車窓に広がる北海道の風景。北海道は、相対的にこのような風景が多いが、網走から北見間は、山間部というか原生林の中を走るといった感じである。
道東の中心地である北見駅。比較的に人口が集中しているものの、北海道の駅は相対的にひっそりしていて寂しい感じがする。 稚内に行く途中乗り換えた名寄駅。名寄と言えば、よくは知らないのであるが、「名寄岩」という関取力士を思い出す。
名寄駅で乗り換えた電車。一両編成のワンマンカーである。一両でも必ずトイレが付いており、バスのように料金箱もある。さらにクーラーは付いていないものの、必ず扇風機が付いている。都会の電車では見られなくなった開閉式の窓も付いている。自然のエアコンで十分電車内の温度はコントロール出来る。 空の青さ、雲の白、田畑の緑、時たま見かける農家のコントラストが素晴らしい。これぞ北海道の車窓。
稚内までの途中で1時間15分も時間調整で待たされた音威子府駅(おといねっぷ)。 ひっそりと静まりかえる駅前。商店などもほとんど無い。北海道の駅に共通して言えることは、駅中央口に対して垂直に一直線の広い道路が走っている。この駅もその例である。
音威子府駅の構内。まさにのどかで爽やかな風景という感じを持った。 幌延駅。ちょうど北緯45度の地点にあるとのこと。
稚内に近づくにつれて、利尻島の利尻富士「利尻山」が海を隔てて見えてきた。利尻山の横に夕日が水平線に沈んでいく。 夕日が沈んだ後に、左上に三日月が現れる。何とも言えない自然が醸し出す見事な変化である。
よしおか食堂で食べたいくら丼と帆立貝の殻付きみそ汁。旅行に来て本場のいくらを食べているという心理的な影響もあってか、非常に美味であった。また、いくらの味わいと相まって、ご飯の固さも絶妙なバランスであったように思う。僕が今まで食べた最も美味しいくら丼である。またみそ汁も小さい殻付きの帆立貝が入っており、これまたうまかった。 何の変哲もない普通の「よしおか食堂」であるが、客は地元の人が殆どであり、ツーリスト食堂ではないことだけは確かである。その分、味も値段も確かであるように思う。
(トップへ)
第7日目 2009年8月26日(水)
8月26日(水) 稚内市内観光と利尻島へ船での移動(ここから先は、ライブではなく帰ってからの書いた。)
 ユースホステルに大きな荷物だけを預けて市内観光に出かけた。観光は、手っ取り早く観光遊覧バスに乗った。結構高く3300円した。一応、観光先としては、稚内公園、納沙布岬、宗谷岬などを回るコースである。宗谷岬が非常に市内から離れているので観光バスを利用するのがベターを思われた。仮に、路線バスなどを利用しても、結構運賃が高いし要所は回れないみたいである。
 まず、高台にある稚内公園に行った。ここは、「氷雪の門」がある。これは、樺太に眠る同胞を慰霊するためのモニュメントである。さらに「9人の乙女の像」があった。これは、沖縄のひめゆりの塔と同じような意味を持ったモニュメントであり、戦争の悲惨さと残酷さを後生に伝えるものである。ひめゆりの塔が全国的に有名であるが、この像も同じく戦争の悲惨さを示すものである。こうして旅していると各地の記念碑を見ることで、良きに付け悪しきに付け色々考えさせられるものである。
 次に行ったのが納沙布岬であった。ここは、地図で言うと左側の岬であり、右側が宗谷岬である。天気も良く、遠く利尻富士が見えた。
 その後、少しバスで走り宗谷岬へ行った。途中雄大な草原の宗谷丘陵を通ったが、なだらから曲線を描いた丘陵が続き、放牧されているところもあり、僕はこんな風景が大好きである。本当に癒される。空の青、雲の白、草原の緑が続き爽やかであった。丘陵の下に日本最北端の宗谷岬がある。日本最北端のモニュメントはよく写真などで見ていた。最北端に立つと天気が良く、空気が澄んでいるときは、この日は見えなかったが遙か樺太(サハリン)が見えるとのこと。モニュメントと少し離れたところに「宗谷岬の唄」が流れていた。演歌調の唄で、僕にとって忘れられない思い出の唄になりそうである。
 観光バスによる観光は、昼前に終了した。昼食に何を食べようかと考え商店街に出てみたが、商店街とは名ばかりで、シャッターを下ろした店が圧倒的に多く、ここも過疎が始まっており、非常に寂しく感じた。
 15時半までぶらぶらすごし、それからフェリーに乗って利尻島へ向かった。利尻島へは17時過ぎに到着。この日に泊まる利尻グリーンヒルユースホステルの人が迎えに来てくれていた。迎えに来てくれた人がいきなり「お帰りなさい」と言う。僕は、初めてこの地を訪れるのに不思議に思った。後で判ったのであるが、ユースホステルの基本的精神として、暖かく迎える意味で親しみを込めて「いらっしゃい」というのを「お帰りなさい」というのだそうである。さらに、帰り時は普通は「さよなら」というのであるが、ここでは「行ってらっしゃい」であった。言われた方の答え方としては、来たときは「ただいま」帰る時は、「行ってきます。また来るよ」というのが通常の挨拶になっているとのこと。礼文島で泊まったとき、そういった類でもっとすごい歓迎と送迎を受けた。
 迎えに来てくれた人と車の中で話したが、何と関西の奈良県の人で自分と近くの人であった。夏の休暇を利用してユースホステルにヘルパーに来ているとのこと。たぶん、ほとんどボランティアであると思われるが、そういった仕事が余程好きなのであろう。
 ユースに到着してから、ユースの人に教えて貰い30分ほど歩いて「利尻富士温泉」に行った。町の保養施設のようなところであったが、正真正銘の温泉で非常にいい湯であった。
 このユースに夕食は付いていないので温泉の帰りにコンビニで弁当を買って帰った。そして、ユースの食堂で食べたが、宿泊者達が集まっており、色々話ながらの食事となった。僕は、ユースホステルに泊まるのは、この歳になって初めてであり、どんな雰囲気か知らなかったが、知床のユースと同じく、ここもミーティングがあり、ペアレントかヘルパーが観光情報などをレクチャーしてくれた。その後、知らないもの同士であるが、色々話しして交流が出来た。ギターを引いて貰って歌なども唄った。ユースホステルとは、こういうことをするものかと、この歳になって初めて判った。しかし、初めての自分にとっては非常に意義があったと思う。基本的に若い人が中心であるが、色々な出会いと同時に話が出来て非常に良かったと思う。(ホテルや旅館に泊まるとこういう交流は先ず考えられない。)
稚内公園の高台に立つ「氷雪の門」 氷雪の門の説明碑
稚内公園の高台から見下ろす稚内市中心部 海辺の高台に立つ氷雪の門。空気がすんでいると樺太(サハリン)が見える。
「9人の乙女の像」
「皆さん これが最後です。さよなら さよなら」
と言っ青酸カリを飲み自決したそうである。
納沙布岬に立つ。後ろにかすかに利尻富士が。
納沙布岬の近くで昆布を干す人 宗谷丘陵 こんなのどかで雄大な景色が大好き。癒されます。
宗谷丘陵公園 宗谷丘陵公園から日本最北端のモニュメントを見る
ステテコおじさん、日本最北端に立つ!! 左側の立像は、間宮林蔵
稚内駅構内「最北端の線路」標識 閑散とした稚内市内の商店街
稚内駅 昨日泊まった「モシリパユースホステル」結構綺麗なユースホステルであった。
稚内港北防波堤ドーム 利尻行きのフェリーから見えた「利尻富士(利尻山)」
ユースホステルの部屋から見た利尻山。これだけはっきり見えたのは、今回このときだけ。 夕食後の歌を歌いながらのミーティング。右のギターを持っている人は、奈良から来たヘルパー。   (トップへ)
第8日目 2009年8月27日(木)
8月27日(木) 利尻島観光後、礼文島へ船で移動
 利尻グリーンユースホステルは、珍しくたたみ部屋でふとんを敷いてい寝る部屋であった。4人部屋で僕を含めて2人だけ。後の一人は、稚内へ行く電車でも一緒で、偶然であるが稚内のユースでも一緒。また、この利尻でも一緒になった。この男性は、女性と一緒に来ていたが、もちろんユースなので男女別部屋。しかし、昨日の夕食の時から、ふたりの様子が変で全く別行動をしていた。僕にとってどうでもいいことなのであるが、少し気になるので、少し男性にそれとなく聞いてみたが、何だか男性が女性にぞっこんで、ここまで追いかけてきたというのである。でも、この男性曰く、「自分の気持ちが伝わらない、もう駄目です。」というようなことを言っていた。案の定この二人は、この日で別行動を取るようになっていた。女性も方は、これまた礼文でも一緒のユースになった。男性は帰ったようである。男女の関係というのは神様仏様でもわからないものである。稚内までの電車では、非常に仲良くしているようで誰が見ても恋人同士に見えた。実は、そこまでいってなかったのかもしれない。話が脱線しました。元に戻します。
 朝に港まで送ってもらい、そこから観光遊覧バスで島内を観光することにした。これは結構高く3900円もした。一応この島の名所である「姫沼」「オタトマリ沼」「利尻島郷土資料館」「仙法志御崎公園」「見返台園地展望台」「沓形岬」などを回った。あいにくの天気で目玉である利尻山に雲がかかって見えず残念であった。特にこれといった観光の目玉はなく、あくまで利尻山の展望が目玉の島という感じがした。今度、この地を訪れることになったら是非利尻山登山をしてみたい。結構この山は、頂上付近に雲がかかりやすく、頂上からの眺めは運が良くなければ見ることが出来ないのかもしれない。さらに、往復10時間ほどかかるらしいので、結構きついかもしれない。しかし、是非チャレンジしてみたいと思う。
 観光バスは、鴛泊を出発して、時計回りに島を一周して帰ってきた後、当初からの予定で港のそばにあるペシ岬展望台に登った。わずか60メートルくらいの高台であるが、非常に眺めが良かった。下りてきてから、礼文行きのフェリーが出る沓形港に行くバスの時間が少しあったので、観光バスのガイドがお奨めのフェリーターミナルにある喫茶店で昼食の帆立カレーを食べた。見かけは豪華であったが、味の方はいまいちという感じであった。
 しばらくして、バスに乗り沓形港へ行き、礼文行きのフェリーに乗った。わずか40分で礼文の香深港に着いた。着いてからが驚きの連続であった。利尻でも同じであったが、「お帰りなさい」と言われ、さらに僕の乗ってきたフェリーで帰る人を見送るとき歌って踊って、ど派手な見送りをしていた。さらにである。迎えの車が2トントラックで荷台に乗せられ、そのトラックの名前が「ブルーサンダー号」。さらに、そのトラックの荷台に乗ってヘルパーがバナナのたたき売り顔負けの講釈で色々説明してくれるのである。多少は、この桃岩荘ユースホステルは、すごく過激というか超ユニークと聞いていたのであるが、ここまでとは思わなかった。ヘルパーの目つき鋭く迫力満点で大きな声をだすものであるから、声をからしながらの熱弁である。その時の説明で聞いたのが、礼文島の信号の数。何と2カ所しかないとのこと。さらに一カ所は子供の教育の為の信号だという。いかに過疎で車の少ない島であるかということである。ちなみに人口は約3千人。どんどん人口が減っていっているとのこと。歯止めをかけるために島の歌などを作って役所はやっきになっているとのことで、夜のミーティングでその歌を歌わされた。
 とにかくこの桃岩ユースホステルはユニークである。男性の部屋は大部屋でミーティングルームの回りの2階に2段ベッドあるので、所謂回転ベッドを呼んでいる。さらに、所定の時間に遅刻しないための対策かもしれないが、桃岩荘時間というものがあり、30分時計を進ませているのである。ここにいるときは、すべて桃岩時間でことが決められている。計算に弱い僕は、非常に困った。(笑)おそらく、日本国内で時間差のある唯一の場所であろう。(笑)それから、このユースに着いたときが、またユニーク。ヘルパーや宿泊客が一緒になって、正座して太鼓、笛を鳴らして迎えてくれるのである。とにかくびっくり仰天の連続であった。そんなことはないが、まさに宗教がかっているような気持ちがした。冗談で壺を買わされないようにしろよなどと言う人もいた。
 夕食をしてから、桃岩時間8時からミーティングが始まった。これまたユニークである。ヘルパーの人が寸劇までしてくれた。皆さん声が大きいので迫力満点で、ステージへ登場の時も、板の間をどたどたと走ってくるのである。のりは、吉本の芸人顔負けと言ったところである。まずは、通り一遍の礼文のガイドをしてくれた。その後は、歌の合唱。「島の歌」昔なつかしいフォークソング。さらにさらにアクションいりの歌。曲名は「月光仮面」「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む」「エイトマン」などでそれをアクションいりで我々も含めて全員でするのである。全く驚きの連続であった。ユースホステルは、今回が初めてなのであるが、人から聞いた話では、ここまで昔のユースの精神を脈々と続けているのは、ここくらいではないかと。この歳にして、この体験ができるのは素晴らしいことだと思う。若かかりし頃のことを思い出しながら、半分照れながら自分も一緒に歌い、踊り楽しませて貰った。ああいうのは、賛否両論があるかもしれないが、何ら主催者側の妙な意図は感じられないので、大いに馬鹿になって一緒にはしゃげばよいと思う。しかし、照れてしまう。そういえば、車でのトラックの中で桃岩荘へ来たからには捨てて欲しいものが3つあると言っていた。「羞恥心」「教養」「プライド」とにかく馬鹿になって楽しみましょうということであろう。
こういったユニークさ故、また来たいという人、二度と来たくないと言う人が二極化するとのこと。
今の僕の気持ちとしては、どちらとも言えないといったところである。桃岩荘の様子は、ユーチューブにアップされていたので下にリンクしておきます。
         
利尻島 利尻グリーンヒルユースホステル前にて 港まで一緒に行ったユースの宿泊客と
真ん中のヘルパーを囲んで 姫沼にて
残念ながら利尻山は雲に覆われている。残念! オタトマリ沼
ハマナスソフトクリーム そんなに美味しくない 仙法志御崎公園に飼われているごまアザラシ
100段ほど上がったところにある展望台。しかし、あいにくの天気で見晴らし悪し。 沓形岬にて
フェリーターミナルから見えるペシ岬 ペシ岬展望台にて
ペシ岬からの展望 向こうに礼文島が見える ペシ岬から見た鴛泊港 フェリーが出て行くところ
バスガイドお奨めの帆立フライカレー。正直言って見た目ほど美味しくない。 バスガイド曰く「島でナンバー1の美女(右)とナンバー2の美女(バスガイド)」と3ショット
桃岩荘ユースホステル歓送迎車「ブルーサンダー号」 桃岩荘ヘルパー達の熱烈送迎風景 (トップへ)
第9日目 2009年8月28日(金)
8月28日(金) 礼文島観光(トレッキング)
 昨晩ユースホステルの方から、翌日の行動について案内があったが、僕は「愛とロマンの8時間コース」というトレッキングコースを歩くことにした。その時のための弁当を注文したが、これが「圧縮弁当」と言って、とにかく飯と塩昆布、佃煮などを上にのせただけのシンプルな弁当で腹を膨らますための弁当と言った感じ。こんなところも非常にユニークである。
 トレッキングをするについての問題点は、天気だけであったが、5時半に起きて6時半の出発である。しかしながらである。朝起きたら雨が降っていた。一緒に行くはずであったメンバーもみんな中止すると言った。仕方なく僕も中止することにしたが、非常に心残りであった。しかし、雨の日に無理矢理に行っても危ないし、びしょぬれになるし、景色も見えないと思われるので何も面白くないのである。
 今日1日どんな行動をしようかと考えたが、とりあえず港まで出てみようと思った。ユースから港まで山道を歩いて40分ほど。港に着くと、たまたまスコトン岬行きのバスがタイミング良くあったので、それに乗ってスコトン岬まで行くことにした。スコトン岬は、トレッキングコースのスタートの場所である。スコトン岬に着いたら雨が上がっていた。時間もたっぷりあるので、これなら4時間トレッキングコースなら行けると判断し、歩くことにした。そんなに急な坂はなく、なだらかな尾根づたいに歩くと言った感じのコースで天気であればどんなに気持ちの良いことかと思った。なだらかな丘陵コースであり、僕はこんな見晴らしの良い丘陵コースが大好きである。晴れていたら遠く利尻山も見えたに違いない。非常に残念である。特に問題なく歩いたが、他に歩いている人は一人も見かけなかった。貸し切りの感じである。しかし、残念ながら、これは最初から判っていたことであるがシーズンなら一杯咲いているはずの高山植物が季節が終わったのかあまり見ることが出来なかった。
4時間のコースを2時間半くらいで歩いたが、実際に後で判ったことは、道を間違えて4時間コースをショートカットしていた。
 途中から雨も降り出しびしょぬれ。とりあえず、4時間コースの最終地点の浜中バス停に着いたのが13時頃。次のバスの時刻は、16時頃で3時間も待たなければならなかった。昼も食べずに歩いていたので、バス停の待合所で食べた。それにしても3時間もどうして時間を潰そうかと思った。まあ、じっとしているのもいやなので、一停留所歩いてみようかと思い歩いた。ただの時間つぶしにしか過ぎない。全行程歩くのは無理なので、行けるところまで行った。しかし、途中でバスの運行路が判らなくなり、一停留所で断念した。その停留所で待つことにしたが、そこに一人の女性がいた。話をしてみると20歳の東京の学生である。僕と同じコースを歩いてたと言っていた。時間があるので、色々話したが、やっぱり見知らぬ人と色々話を出来るのは、旅の醍醐味だなと思った。まあ、当然初対面なので一般的な話しかしないが、それにしても、こういった旅はいい。
 出発したフェリーターミナルには、17時頃着いたが、ブルーサンダー号がいたので一緒に乗せて貰いユースまで帰ってきた。帰るトラックの中では、全く昨日と同じセリフで今日来た人たちへの説明をしていた。
夜は、また昨日と同じくミーティングがあり、昨日とほぼ同じ内容であった。長く泊まる人もいるが、その人達は、たぶん同じことの繰り返しなので飽きてしまうのではと思った。
元はニシンの番屋であった桃岩荘 海のそばの崖に立っている感じ
2階からミーティング場所を撮影 二階の回転ベッド二段ベッド(?)
猫台から見た桃岩荘 桃岩(僕にはオッパイ岩に見える 笑)
猫岩 猫が背中を見せて座っているように見える 近くから見た猫岩 猫岩、桃岩も桃岩荘のすぐそば 
最北限の地スコトン岬 最北限とはややこしい。しかし、日本の最北端は宗谷岬である。一時は、どちらが北か競っていたらしいが、測量技術の進歩で宗谷岬の方が4q北と判明。最北限とは、観光的に無理矢理そう呼んでいるだけのことである。 スコトン岬と向こうに見えるトド島
愛とロマンのハイキングコース
次に来たときは、もちろん8時間コースにチャレンジする。
なだらかな丘陵が続く。
シーズンには、高山植物が綺麗な花を一面に咲かせているに違いない。また来たい。 ゴロタ岬
なだらかな丘陵の向こうに雄大な海が見える。
僕はこんな景色が大好きです。
名も知らぬ一輪の高山植物。
尾根づたいを歩く。この日は風が強く海から押し上げてくる風に飛ばされそうになる。 最終地点の浜中バス停。ここで弁当を食べた。
(トップへ)
第10日目 2009年8月29日(土)
8月29日(土) 礼文島から富良野へ船と列車で移動
 名物、ユニークユースホステル「桃岩荘ユースホステル」を出発する日である。ブルサンダー号で港まで送ってもらう人と歩いて行く人に分かれたが、僕は歩いていく方を選んだ。昨日と反対で非常に天気が良く、歩くには非常に絶好の日和である。昨日と反対であればと思った。
 出発するときは、例によって熱烈送迎がある。歩いて行く人は僕を含めて4人であった。4人いてもやはり照れてしまう。しかし、ひとりでなくて良かった。一人であれば、送迎を辞退したいところである。ヘルパーと残っている宿泊客が並んで、送る歌と「行ってらっしゃい」を叫ぶのである。それに対して去る側は「行ってきます。また来るね!」と答えるのである。恥ずかしかったが、他の人と同じように大声で「行ってきます。また来るね!」と答えた。僕は、結構乗りやすいタイプであるから、振り返りながら手を振って大声を張り上げていると、石に躓いてしまいこけてしまった。これも恥ずかしかったので、すぐに立ち上がり、大丈夫のサインを送った。この坂は、見返りながら送ってもらう坂で「見返り坂」と名付けられている。登坂になっており、手を振るために振り返るとだんだん送っている人が小さくなってくる。小さくなって見えなくなるまで、歌を歌いながら、合間に「行ってらっしゃい」と声をかけてくる。そして、また我々が「行ってきます」と答える。最初は、恥ずかしかったが、結構いいものである。涙腺の弱い人は、少しほろっとくるかもしれない。今回は、そんなことはなかったが、今度来たらほろっと来るかもしれない。(笑)
 早足で歩いたので30分ほどで港に着いた。そして出発の時刻になって船に乗ったが、今度は2回目の送迎がある。みんなブルーサンダー号に乗って、送りに来てくれている。ユースを出るときと同じく、歌って、それから「行ってらっしゃい。」「行ってきます。」の繰り返し。これでもか、これでもかの感じ。少しやりすぎではないかと思うくらいである。しかし、絶対に悪い気はしない。嬉しいものである。船から見て、送ってくれている人が小さくなるまで見ていたが、いつまでの手を振ってくれていた。本当にいいものである。今回の旅で最も印象に残ったことであった。一生忘れないと思う。そして、またひょっとして行くかもしれない。(?)
 一緒に乗ったユースで一緒であった人と色々話したが、一人は学生でバイクで来ているとのこと。もう一人は、僕と同じ歳で、まだ現役であるが、休暇を取って来ているとのこと。その人は、来年定年であるが、仕事は続けられるのものの迷ってると言っていた。
 そうこうしているうちに船は、2時間ほどで稚内に到着した。一緒に乗っていた人が、慌てて下りていったが、次の旭川行きの電車がぎりぎりなの慌てていた。僕も順調に船を下りて、ひょっとすると間に合うかもしれないと思い短い足で回転を速くして歩いた。するとぎりぎりに電車に間に合った。次の電車になると2時間も待たなければならない。しかし、この電車に乗ることで富良野のユースに到着するのが4時間も短縮することが出来た。当初の予定では、22時くらいの着であるが、18時に着くことが出来た。その分夕食もユースで食べることが出来た。
 富良野で泊まった富良野ユースホステルは、今回泊まったユースの中でベスト1であった。3360円で二食付き。(食事をしなくても同じ値段であるので、4時間早くついたことで夕食代が浮いた。)食事そのものは、豪華ではないが、必要十分なものであった。さらに、これは特筆したいが、ご飯が美味しかった。昔ながらのへっついで飯を炊いているので、おこげが出来ている。また、そのお焦げが懐かしい味で本当に美味しかった。昔を思い出した。母が、お焦げで作ってくれたおにぎりを思い出した。このご飯があればおかずはいらないくらいである。とにかく、このユースホステルは、お奨めである。観光するためのロケーションも良く、中富良野駅から歩いて8分ほどで、さらにラベンダーファームがこの近くにあり、すべて歩いて行ける距離である。さらに、さらに建物の作りは、カントリー調で、高台にあるため見晴らしも富良野の町と十勝岳連山が見えるのである。繰り返し言うが、絶対にお奨め。ユースなので、他人と同部屋になることが我慢出来れば言うことなしであると思う。
今回同部屋になった人も、このユースのことを非常に褒めていた。
 僕の泊まった部屋は、5人部屋で、後にいったものだから、ロフトになってしまった。そのロフトに登るための階段が非常に急で危険であった。慎重に上り下りしないと落ちてしまいそうな気がした。その辺は、このユースの短所であろう。
 ロフトには、もう一人泊まっていたが、韓国の青年であった。日本語はなかなかうまかった。少し話したが、1年ほど日本にいて日本語の勉強をしたとのことで、今は釜山の会社でゴム製品の営業をしているとのことであった。やはり、ユースホステルに泊まると非常にインターナショナルである。翌日には、インド系のアメリカ人が泊まっていた。この人も日本語が上手であった。
 それから、富良野に来てネット環境が改善されると思っていたが、自分の使用しているPHS電波が来ていることは来ているのであるが、速度が異常に遅く、結局ホームページなどのアップが出来なかった。
桃岩荘のヘルパーと残った宿泊客が熱烈に見送ってくれた。 小さく見えなくなるまで見送ってくれている。
島も海も雲も空も、みんな見送ってくれている。 香深フェリーターミナル
第2回目の見送り。みんな声をからして思い切り送ってくれている 見えなくなるまで送ってくれていたのが印象的
稚内に行くときの船上から撮影した僕の好きな風景 稚内から富良野に向かう列車の中からの僕の好きな風景
途中停車した名寄駅 旭川に近づくにつれて水田が多くなる。それまでは、牧場であったり野菜畑だったりした。
中富良野駅到着 ユースホステルは歩いて8分 中富良野駅正面玄関。この付近は、ラベンダーファームが多く集中している。すべて歩いていける距離。
第11日目 2009年8月30日(日)
8月30日(日) 富良野散策 〜ラベンダーファーム・TVドラマ「北の国から」ロケ地〜
 この日は、1日富良野観光である。とりあえず、全く観光プランを立てていなかったので、出る前に少し作戦を練った。まず、回るのは、このユースの周辺にあるラベンダーファームである。歩いてすぐの「彩香の里」次に「町営ラベンダーファーム」、そして「ファーム富田」の順に回ることにした。すべて、ユースから楽々歩いていける距離である。それらを回った後は、どうするか時間の都合で決めることにした。
 ラベンダーは、残念ながら完全に時期をはずしてしまったようでに散っていた。その代わり、サルビアやマリーゴールドなどが咲いており、それなりに目を楽しませて貰った。何せラベンダーの咲く頃など全く考えずに来たのであるから、仕方のないことである。また、来る機会があると思うので、その時は是非シーズンに来たいと思う。
 彩香の里は、ユースホステルの裏手にあり、坂を登っていけば着いた。もちろん朝早かったこともあり誰も来ていなかった。そこからは、富良野の町が一望に見渡せ非常に良い場所にあった。ラベンダーが咲いていないのが、返す返すも残念である。次に回ったのが、町営のラベンダーガーデン。ここも同じで、サルビアなどだけであった。この場所は、冬はスキー場になるとのことで、ラベンダーは完全に雪に埋もれてしまうそうである。しかし、雪の下で春を待ちながらずっと生きているのである。
 次に回ったのが、富田ファームで、ここは総合的なラベンダーガーデンで土産物屋など商業施設もあった。様子は、先のファームと同じ。しかし、規模は先の二軒より大きかった。ラベンダーオイルやラベンダー石鹸なども作っていた。石鹸を作っているところを見学したが、石鹸を作るときに砂糖を入れると説明に書いてあったが、食べるものでもないのに何故砂糖を入れるのか係員に聞いてみた。答えは、ラベンダー石鹸の透明性と保湿性を保つためとのことである。いずれにせよ石鹸に砂糖が入っているのは初めて聞くことである。
 以上ラベンダーファームを回った後、次に何処へ行くかガイドブックや列車の時刻表を見ながら作戦を練ったが、とりあえず富良野に出てみることにした。非常にタイミングが良かったのが、富田ファームに臨時の富良野行きバスが止まっており、見かけたときすぐ発車したので、手を挙げて待って止まって貰い、それに飛び乗った。非常にグッドタイミングであった。これで、その後の行動計画が立てやすくなった。
 富良野観光は、今日1日だけであるので、後行くのは、美瑛に行くか、TVドラマ「北の国から」のロケ地巡りをするかのどちらかであったが、「北の国から」を選択した。美瑛は、この次に来たときに行くことにした。(いつになるか判らないが。)しかし、北の国からのロケ地は、富良野から25キロくらいあり、バスも走っていない。結局レンタサイクルで行くことにした。スポーツタイプの自転車はあまり乗ったことがないので、普通の三段ギア付き自転車を借りた。店の人に聞くと北の国からのロケ地のある麓郷地区までは、ゆるい登り坂とのことであった。実際その通りで目的地までほぼ緩い上り坂ばかりでほとんとローギヤで走った。自転車で長距離を走るのは、何十年ぶりだろうか。とにかく、きつかった。お尻は痛くなるし、変な話、股間に圧迫が続くので、急所までしびれてしまった。(笑)しかし、フーフーいいながら何回か休憩をとりながら走ったが、意外と早く着いた。11時に出発して、一番目のロケ地には、12時15分くらいに到着した。結構早く行けた。
一番目のロケ地の近くにスーパーがあり、そこで弁当を買い、まずは腹ごしらえからスタートした。
一番目は、「拾ってきた家」「純と結の家」
二番目は、麓郷の森にある「五郎の丸太小屋」
三番目は、「五郎の石の家」
四番目は、「五郎の石室」
をそれぞれ見学した。

北の国からは、ほとんどテレビで見ていたが、かなり前に終わったドラマなので、テレビで見た記憶と現物は必ずしも一致していないが、イメージは同じようなものであった。また、DVDか何かで見ることが出来たら、もう一度見てみたいと思った。
 一通り見終わった後、すぐに富良野に引き返した。帰りは、下り坂なのですいすい進むことが出来た。結局5時間のショートトリップであった。自転車に乗るのも久しぶりなら、北海道の道を自転車で走るのも初めてで、それなりの印象深いものがあった。
 富良野に着いてから、最後の見学場所である「北の国から資料館」にも立ち寄った。色々な資料が展示されていた。ロケ地の全般的な印象としては、テレビではもっともっと山深い田舎なのかと思っていたが、富良野市街とは、それほど離れておらず、その点では意外な部分であった。
 今日は、ユースホステルの夕食がないので(日曜日は夕食なし。)富良野で何か美味しいものでも食べて帰ろうと思ったが、北海道の主だった都市を除き、どこも同じように駅前であっても、すごく人も少なく、商店街もあるもののしまっているところもあり、また、目立った飲食店もあまりないのである。ここ富良野もそうであり、すごく寂しい感じがした。ガイドブックなどを見ると結構店があるようなイメージであるが、実際にはめぼしい店はなかった。もっと探せばあるのだろうけれど、遠くまで行くのは億劫だし、結局スーパーで弁当を買って帰り、ユースで食べることにした。電車やバスで旅行した場合、田舎に行くほど当然のことであるが、行動範囲が限られてしまう。
19時前にユースホステルに帰ってきた。
帰ったら、昨日と違う客が自分の部屋に2人泊まっていた。その人達と夕食後、色々話したが、一人は、札幌の大学生。物怖じしない現代っ子で、気さくに話した。もう一人は、大学の教授で結構自慢話というか大きいことを言う人であった。夜遅くには、インド系のアメリカ人が来た。
これで、今回の観光は、すべて終了し、明日からは、一路帰途につくことになる。車窓からの風景を眺める帰りの旅となる。
富良野ユースホステル外観 富良野ユースホステルバルコニー
カントリー調で気に入った。
バルコニーから町や山が見える 彩香の里 佐々木ファーム ご覧のようにラベンダーの花は散ってしまっていた。
サルビアなどの花でラベンダーの花が散った後も体をなしている。 マリーゴールドとサルビア
高台にある彩香の里から下界を眺める 道ばたに咲いていた名もない花(何か知らない。)
彩香の里からの眺め。正面が富良野の中心街(3枚の写真を合成)
町営ファーム 冬はスキー場になる。 町営ファーム
富田ファーム 富田ファーム 十勝岳連山を臨む
五郎の最初の家
TVドラマ「北の国から」ロケ地を巡る 家の内部
純と結の家 五郎が二番目に住んだ丸太小屋の家
五郎が三番目に住んだ家 五郎の石室
石の家セットに入る門のところに掲示されている倉本聰氏のメッセージ
五郎が畑から出た石を積み上げて造った家 家の内部
金持ちでもない、力もない、ごく普通の人間が不器用だけれど、誠実に一生懸命生きていることに共鳴を覚える
北の国から資料館に展示されている
富良野市は、へそ踊りで有名、そのへその絆石 JR富良野駅  (トップへ)
第12日目 2009年8月31日(月)
8月日31(月) 中富良野から蟹田へ移動(帰途)
 早いもので後は、帰るだけの旅になってしまった。
朝6時54分の列車に乗り帰途につく。この日の最終地到着予定時刻は21時56分で実に待ち時間を含めて15時間の列車の旅となる。初日の小樽から知床斜里間よりも長くなった。しかし、明日の蟹田から東京間の方が長く16時間となる。
 今回の列車移動の時は、車窓を眺めたり、写真を撮ったりでほとんど居眠りをしなかった(用意していた文庫本も読まなかった。)が、後は帰るだけと言うことになってしまったら気が抜けたようで寝てしまうことも多かった。
 列車は、予定通りに走り、小樽からは今回通る新しい路線である。長万部、森、五稜郭などを通り、木古内からは特急で青函トンネルを越えた。青春18切符では、青函トンネルのみ特急に乗ることが出来る。(各駅停車が走っていないため。)最終到着地は、蟹田である。木古内で一人の学生と一緒になった。大学4回生で就職も希望であったJRに決まったとのこと。羽を伸ばしてバックパッカーの旅をしているとのことであった。明日は、東京までほとんど彼と一緒のコースで帰ることになる。さすがにJR就職決定者なのかどうか判らないが、よく青春18切符などのことも知っており、明日の路線について料金を節約する方法を教えてくれた。青森と盛岡間は、第三セクターの路線で青春18切符は使えず別旅金を払わなければならない。そのつもりでいたが、別のルートを教えてくれたので、旅金を2330円も節約することが出来た。この学生と会わなかったら、節約は出来なかったところである。
 列車は、定刻通りに21時56分に蟹田に着いた。その時、雨が降っていた。今日予約している旅館までどのくらいかかるか判らないが、重い荷物を背負いながら傘をささなければならない羽目になってしまった。しかしである。親切にも旅館の女将が車で迎えに来てくれていたのである。これは有り難かったし感動した。まさかそこまでサービスしてくれるとは思わなかった。やはりこういうちょっとした気配りというか親切には感動するものである。旅館は、車で2〜3分のところであった。もし歩いているとしたら、初めての場所なので、どのくらいかかったか判らない。
旅館に着いてから、風呂に入り、明日の準備をしてから寝た。
乗換駅 滝川駅 乗換駅 岩見沢駅
岩見沢駅のプラットホームにある農業用馬の木彫 倶知安駅
倶知安駅に停車していたSL 倶知安駅から羊蹄山が見えた
長万部駅 北海道の駅前で共通して言えるのは、駅と垂直にまっすぐな幅の広い道路が通っている。しかし、これも共通で非常に車も少なく過疎な感じがする。ここ長万部もそうである。
森駅 比較的に賑やかな駅のように感じた 森駅の駅弁 「いかめし」夕食として食べる
結構美味しかった
森駅を出て少し走ったところに夕日に映える駒ヶ岳が見えた 五稜郭駅  ここから木古内まで行き、そこから特急に乗り換え青函トンネルを通り本州へ   (トップへ)
第13〜14日目 2009年9月1日(火)〜2日(水)
9月1日(火)〜2日(水) 蟹田から東京へ移動し夜行バスで帰阪
 朝6時27分の列車に乗って蟹田を出発した。ひたすらに南下するだけである。走っていると感じるのは、やはり本州の景色と北海道は明らかに違うと言える。北海道の方がゆったりしている。本州はせせこましい。そして、これは北海道、本州の違いではないが、南下していく毎に温度や湿度が上がってくるのである。これは肌で感じることが出来た。それから、列車の車両自体も北海道と違う。北海道は、ほとんどクーラーが付いていない(札幌付近の都市部は違うが。)のであるが、本州の列車は、それが付いている。さらに、顕著に感じるのは、乗る人の数が増えてくるのである。南下すればするほど増えてくる。さらに、違いを感じるのは、列車のシート形式である。本州の列車は、特に東北本線などは、所謂ロマンスシートがほとんどなく、ロマンスシートに比べて長距離を乗る場合は非常に疲れる。どういうわけでそうなっているのか判らない。それから、まだある。地方に行けば行くほど、列車がワンマンカーになるのである。これは、北海道と本州に違いはない。今回、稚内から東京まで各駅停車に乗ったのであるが、地域によって色々な違いがあることが判った。それから、東北の列車の扉は、全自動ではなく、ボタンを押して開閉する車両もあった。最初は知らないので、駅で列車が止まっても開かないので何故かと思っていると別の人がボタンを押して開けていた。やはり、北に行けば行くほど寒さということで、そういったドアの開閉になるのだと思う。
 とにかく南へ行けば行くほど乗車する人の数が増えてきた。しかし、座る場所はないということはなかった。今回の列車の旅では、座れなかったことは一度もない。それから、東京に着くまで乗換の回数がとにかく多かった。一部区間で踏み切りで事故擬きのことがあり、電車が遅れ、乗換の時間が少ないので、やきもきしたが、何とか乗り継ぎの時間を合わせてくれてことなきを得た。列車本数の少ない地方で、一度予定していた列車を乗り過ごすと、後の予定が滅茶苦茶になってしまう。今回は、そんなトラブルも全くなく、すべて順調にいった。
列車は、予定通りに22時20分に東京に着いた。
 23時のバスに乗り大阪まで向かう。しかし、最後にトラブルになりかけた。高速バスの乗り場が判らないのである。いつもの場所と違う場所であった。いつもは、近鉄の高速バスを使うが、今回はJRバスを使ったので乗り場が違ったのである。色々人に聞いてやっと出発5分前にバスに乗ることが出来た。ギリギリセーフというところである。
 翌朝7時前にバスは、大阪駅に到着し今回の旅行はすべて完了した。家に帰ったのは、9時頃であった。
昨日泊まった佐々木旅館から津軽海峡を臨む 佐々木旅館 昨晩わざわざ駅まで迎えに来てくれた女将の親切さに感動
蟹田駅 青函トンネルを越えて初めての特急停車駅 本州の水田風景 やはり北海道とは何処か違う
先頭車両からの眺めも、やはり北海道とは少し違う 乗換駅 盛岡駅 結構大きな駅
乗換駅 一ノ関駅 乗換駅  仙台駅 仙台は東北の玄関口であり大都市である。
(トップへ)
旅に要した総費用

 自宅から北海道の往復に要した交通費  合計 27,160円
   
青春18切符  11,500円
   フェリー(往)  10,200円
   
高速バス(復)  3,430円
   
その他      2,030円

 観光のための交通費          合計 15,750円
   
フェリー(利尻・礼文) 5,710円
   
バス          7,950円
   電車・タクシー他    2,090円

 宿泊費                合計 48,980円
   小樽グリーンホテル(1泊 素泊)        3,500円
   斜里セントラルホテル(2泊 素泊)      11,300円(1泊は朝食付き)
   岩尾別YH(1泊 二食付き)          6,100円
   稚内モシリパYH(1泊 朝食付き)       4,120円
   利尻グリーンユースホステル(1泊 朝食付き)  3,990円
   桃岩荘ユースホステル(2泊 二食付き)     9,450円
   富良野ユースホステル(2泊 二食付き)     6,720円
   佐々木旅館(1泊 素泊)            3,800円

 食費                 合計 23,936円

 観光費  遊覧船、定期観光バスなど  合計 15,310円
 
 その他                合計 3,398円


      総合計     134,534円   
**費用に関する総括 : 基本的にケチケチで旅したつもりであるが、思ったほど節約出来なかった。
(トップへ)

HOME    LSC関西ホームページ