陶器山のニュース 2010年12月〜2011年4月
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< 写真の上でクリックすると拡大します >
このホームページは陶器山、
あまの街道
の素晴らしさを
広く共有したいと願って110530に開設致しました。
(あまの街道同好会)
< 110412 私達に今 出来ることを >
あまの街道(陶器山の尾根道)の造成工事は昨年末始まりました。樹齢数十年の
大木も次々となぎ倒され、山が削られ谷が埋められ、森が消え禿げ山になってし
まいました。あまの街道の素晴らしさと危機を一人でも多くの人に知ってもらい
たいと「陶器山ニュース」 第一号、第二号を各一万部出し、主婦6人が手分け
して配りました。造成工事によって緑のトンネルは消え、景色も変わってしまい
多くの稀少植物も姿を消してしまいました。
「森がなくなっていく」と危機感を懐いた主婦達が署名活動を始めると堺、富田
林、河内長野からもウオーカーやランナー、歩く会、歌う会、絵を描く会、自然
保護団体、野鳥の会の方々が署名をして下さいました。北は福島〜南は沖縄まで
国では韓国、クロアチア、ドイツ、アメリカの人達からも署名を頂きました。4
月12日に13,172名の署名簿と陳情書を吉田友好市長に手渡しました。「思いは皆
さんと同じです。どうしたら守れるか一緒に考えましょう」という市長の言葉に
我々は大いに期待しています。
残された今熊4丁目665−1の自然林を開発から守って欲しいと言う13,000余
人の思いと「あまの街道沿道の緑を守る」という市長のマニフェストを実現する
ためには市当局や市議会議員、行政の力なしには不可能です。三都神社以北の森
は昨年、市が買収しました。三都神社以西のあまの街道までの土地が市街化地区
から市街化調整区域に逆線引きされたことと併せて大いに評価致します。また、
逆線引きに同意された地主の方々には深く敬意を表します。
春夏秋冬、老若男女が日課として憩い、集う。ドングリを拾って遊ぶ園児達が大
人になっても楽しめる小径。私達が老いて、病んでもリハビリに歩ける小径。我々
の孫や曾孫の代までも変わらず私達の身近な自然であって欲しい。その為に私達は
何をすれば良いのでしょうか。 あまの街道同好会 代表 窪田 由紀
< 工事前、工事開始後のツバサの森は >
この2枚の写真はグッチャンに拝借しました。
第三小学校から陶器山の山並みが校庭の向こうに、昨年は青々と連なっていました。
3月18日、緑は消え、荒々しい山肌が露出、日々その姿を変えています。
隣接する南谷池近辺は子ども会や学童のミニハイキングで楽しんだ所です。
< 新聞、見た見た! >
金剛コミュニテイ新聞が、2月24二号で署名活動を取り上げてくれ、登り窯が出土
した後の3月10日にも大きく報道されました。ニュータウン、泉北の広範囲に配布
されるコミュニテイ新聞のお陰で、一挙に私達の活動とあまの街道の知名度は上が
り、もう「陶器山って、あまの街道って何処?」とは聞かれなくなりました。新聞
の威力って凄い! 気をよくして、3月10日に「陶器山ニュース」第2号を第1号
同様、配布能力を考えて10,000部発行しました。
< 110220 「陶器山ニュース」第1号発行 >
署名活動のモドカシサから新聞の発行を思い立ち、手作りの第一号を10,000部発行しました。
陶器山、あまの街道の知名度を上げる為です。署名を求めても「何処にあるの?」と言う逆
質問が何度かあったので、狭山人なら常識と思っていた私達には驚きでした。また新聞に葉書
を組み込めば、署名活動の届かない人達にも簡単に市役所への意思伝達が可能になると考えた
からでもあります。手作り新聞を6名の主婦が手分けしてニュータウンをメインに配りました。
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< 110127 500年前の登り窯が出てきた! >
陶器山が何故 陶器山なのかを証明する格好の教材が出土しました。堺市側に入り
口がある登り窯で、狭山市側で出土したのはその先っぽ2メートルが今回の遺跡。
1600年前に日本全国に須恵器を供給していた陶邑古窯群の東の端に位置していた
のが、狭山池堤と共に陶器山です。泉北ニュータウン造成時に2000基余りの窯跡が
消滅しましたが、その時の調査研究の結果、世界に冠たる日本の土器編年が確立
しました。同じエリアで500年に亘って須恵器が焼かれ続けた為に、土器の変化
状況が一年単位どころか、月単位の先後関係が分かるという世界でも稀有の遺跡
群であったと言えます。今回出土の窯跡は大阪狭山市教育委員会の調査が2月4日
に始まり、10日に終了。陶器山二号窯として記録保存の決定が出され、2月17日に
遺跡は破壊され消滅しました。
< 101227 伐採工事が始まりました! >
年末に今熊4丁目665-1の山と森で伐採が始まり、明けて正月には重機が走り回って
一ヶ月で山は丸裸。山が削られ、谷が埋められ、2ヶ月経つとすっかり山の様相は
変貌。写真のように、既に山があったなんて思えないほどです。毎日陶器山の尾根道、
あまの街道を歩いている人達がボー然としてもいられないと市役所に善処を求める
べく署名活動を始めました。あまの街道、霊園、狭山池、金剛駅前、公民館、さや
かホール、狭山池博物館。人が集まりそうな所は何処へでも署名用紙を持って出か
けました。狭山で唯一残ったかけがえのない「森への思い」、伝われ〜ッ!