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コラム
 vol.4 クラシック音楽と遍歴職人

クラシック音楽がまた復権をもくろんでいるのだろうか。民放のドラマでクラシックの世界を扱った ものが始まった。クラシックも足掻いている。

いい機会だから音楽学校に一つ提案したい。
ある程度指導した学生には旅をさせるのだ。

可愛い子には旅をさせろと言うわけだ。まず学校で小学校に交渉をし、普通の授業時間でいいので、音楽学校の生徒の演奏会をいれてもらう。別に体育館に集め る必要はない。これは催しものではない。聴くのはたまたまその時間音楽の授業の入っているクラスの生徒数十人。場所も音楽室。一時間弱である。演奏者は基 本的には独り。四重奏なら四人でも良いかもしれない。曲は演奏す る生徒が自分で用意する。終わったら子供と話したりしてから帰る。話したくなかったら話さなくても良い。それを一ヶ月ほど毎日行う。学校には行かなくてよ い。 どうだろうか?
私の考えではこの《遍歴》はいくつかの効果をもたらすだろう。
 まずは学生達に自分の演奏を自分で考える機会を与えるということだ。1ヶ月の間指導者はいない。客の子供の反応を自分で聞きつづけることになる。ミスが あれば自分で気付くはずだ。それがどう言う意味を持つかは自分で考え、子供達に聞く事もできる。自分はなにを演奏しているのか。こうしたらどうなるのか、 試すこともできる。
 つぎは小学校側だ、授業ではなくイベントでもない音楽を聞かせる事ができる。学校の先生は授業に手一杯のはず。クラシカルでいくらか技巧も要する曲を子 供達に聞かせる事はできない。子供達は体育館とは違う近い距離で体感できる。
 音楽学校の学生は卒業して皆がプロになるわけではない。それどころかわずか一部だ。そういった生徒達は緊張を要する演奏会やコンクールのような審査など でしか演奏せず、 楽しんで演奏を聞かせることなく卒業するかもしれない。こういった子供達に聞かせる際、どのくらい緊張するかはひとそれぞれだが、先生のいないところで演 奏会をやる事ができるのはいいと思う。まぁ子供も正直に反応し演奏者を凍りつかせるかもしれない。それもまた演奏者に考える機会を与えることになる。
 学校としてはクラシックの一般的なイメージや学校のイメージを上げる事ができるかもしれない。金もかからない。

つまり、音楽は自分で弾き、音楽は人に聞かせるものだということだ。
すこしでも(意図的ではなく)機械的にひくものやスタイルに捕われすぎるものを減らし音楽に色彩を取り戻させることに貢献するのではないだろうか。クラ シック音楽がクラシックと呼ばれるようになったのはいつの頃からなのだろう。昔は街に演奏が溢れていたのだろうか。さあみんな旅をしよう。
そして何よりもこうすれば、学校から街に音楽が溢れ出ていく。(hayasi keiji,06/10/19)
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