→main
コラム
 vol.8 BACK TO THE 70'S

今日の事だ。NHKでたまたま「知る楽」という番組をやっているのを見た。再放送の最終回、鉄道 と時代の関係のよ うなものをやっているシリーズの最終 回で、「上尾事件」と「国電 暴動」を取 り上げていた。

 途中からだったので上尾事件はよく分からなかったのだが、国電暴動の映像には驚いた。こんなことがあったことを知らなか った。僕は本当に 70年代あたりの事を知らないと思う。その中で、ちょうど今民主党政権に変わって私がなんとなく思っていたことを、番組で原武史(名前だけは聞いたことが あるが、この人 のことも もよく知らない。)が言ってい た。「暴力はよくないが、国電暴動のような直接的に国民が社会に訴える力が今必要だ」というようなことだ。

 国電暴動というのは一般市民が同時多発的に起こした当時労働組合の問題でもめていた旧国鉄に対する暴力的な騒乱行為だったわけだが、その国電暴動の写真 でサラリーマンの一群が山手線を 占 拠しているものがあって、山手線の運転席の窓が割られている。それを見ていて、「まあそうだよな。」と思った。
1973年のことだ。ちょうどその頃は学生運動をやっていた世代がサラリーマンになってしばらくした頃だろう。 そこには私たちが国の主権者であるがゆえに、国鉄の山手線は私たちの所有物。 だから窓を割ろうが何をしようが我々の自由。というようなまでの強い主張が感じられる。その世代のやりそうなことだと思う。
暴力はよくない。もちろん。だがその姿勢は確かに今必要であると思う。

民主党政権に変わった今、そういった力を取り戻す必要がある。
というような政治的主張はあまり好きではないのだが、 監視し、権利を保持する努力は必要であると思う。 もちろん国の制度を守るために、政治システムに則っていく必要はある。だから下手なことが出来ない仕組みを国民が政府に作らせなくてはいけない。と いうことだろう。
僕らはひとつ進歩したのならば、暴力でない主導ができなくてはいけない。ということか。 そのために、なぜ、いつ、あの暴力的なまでの権利への主張を失ったのか突き詰める必要があるだろう。学生運動の時代を、「あの頃はみんな活力があった。今 はない。なさけない。」と言うのは簡単だ。でもそんなものは団塊の世代の老後の慰めくらいにしか役に立たない。
力を持っていた60年 代ではなく、失った70年代に戻って、考察しなおすちょうどいい機会ではないだろうか。

 (hayasi keiji,09/10/22)
  →コラムのトップへ