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コラム
 vol.12  西川照子さんの仕事

西川さんの仕事に初めて出会ったのは4、5年前、今では稀少本となっている、河出文庫 の「南方熊楠コレクションX 森の思想」の中のことだ。

このコレクションは南方熊楠の多岐にわたる研究を方向付けしてひとつの本にまとめたもので、「X 森の思想」は5冊目にあたり、昨今では熊楠の研究の中で 一番注目されている、粘菌に関する文献、往復書簡などを集めた本である。

苦労してこの本を手にして、いそいそと読んでみると、まず最初に解題を、このシリーズの責任編集をした中沢新一が書いており、かったるい感じだったのでと ばした。 本文に入ると大正時代頃の書簡が多いので、「〜に候」とか「〜にあらず」とちょっと読みづらい。そして各章の本文の後に語注がある。

この語注を担当したのが西川照子さんである。


例えば、スイスのチューリッヒに残る伝説に関する話で、その説話を紹介する文の中の、「その礼として蛇が玉をもち来たり王に献ず」のところで、玉に関して 語注がある。全文を挙げよう。

玉(たま)−玉の持つ呪力は女性のものである。記紀神話に出づる天皇の祖母たる人の名は「豊玉姫」であり、叔母であり母である人の名は「玉依姫」である。 そして彼女たちの本性は「蛇」である。即ち、蛇の化身の姿が、美しい処女であり、「玉」、それ自体なのである。伊勢の女神を「玉女」というのはそれ故か (『東大寺要録』)。アマテラスは太陽神として天の岩屋戸で再生するが、それは蛇の脱皮の行為に似る。ギリシャの女神・メデューサの髪は蛇であり、目は邪 視力を持っていた。原始の女神たちは多く蛇性なのである。アマテラスもかつては沖縄の「テダ=太陽神」と同じく、「穴」にすんでいたのである。『おもろさ うし』の「テダが穴」はその証である。

実に長い。そしてこの語注に語注を付けたほうが良いのでは?と思うほどに、濃密だ。でもこれは短いほうである。全文引用するためにこれでも短いのを選ん だ。長いものは1ページを超える。まるで本の中にもう一冊の本が織り込まれているかのようだ。でも本人の名前は目次の端っこの目立たないところに、「語注 −西川照子」とあるだけである。

西川照子さんは、いろいろ調べたのだが謎が多い。というのもあまり表に出ない人なのだ、きっとこうやって僕のつまらないコラムなんぞに引っ張り出されるの など、まっぴらごめんだろう。申し訳ない。気になるのだ。

京都の方らしい。80年代にはエディシオン・アルシーヴという出版社の編集者(兼、経営者?)であり、雑誌を出し、ミルチャ・エリアーデの本などを叢書で 出版していたようだ。もしかしたら今も続いているのかもしれないが…。

その後は、編集者として、別冊太陽で数冊の仕事をしている。主にやはりアイヌなどの、民俗学の特集号の編集で、梅原猛の特集などではインタビューもしてい る。西川さんは徹底的なまでに編集者なのだ。仕事人である。あくまでも裏方である。しかしそこには膨大な民俗学的知識に裏打ちされた奥深さと独自の視点が ある。それはどう見ても一介の民俗学者である。


そして本人の著作が1冊だけある。

「神々の赤い花」という本で、どうやら園芸雑誌に書いたものをまとめたものらしく、残念ながら廃版だったので数ヶ月前に古書で入手した。この本は、植物に まつわる古今東西いろいろな話がその植物ごとに章分けされ書かれている、言うなれば、民俗学的植物エッセーである。西川さんにふさわしいスタイルだと思 う。
実はこの本、まだ読み終えていない。なんとなく他の本を読み出したときに止まっているのだが、それもいいかもしれない。 何せ長い経歴の中で唯一の著書である。じっくりと読まねばならない。
 (hayasi keiji,10/8/12)

−訂正−

別冊太陽の「先住民アイヌ民族」は西川照子さんの仕事ではなく、別冊太陽の編集部の仕事でした。
確認できている限り、別冊太陽では前述の梅原猛さんの特集号(「梅原猛の世界」「壬生狂言の魅力」の二冊。)と「カタリの世界」の三冊です。
 (hayasi keiji,10/8/17)
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