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コラム
 ”さよならにっぽん、文学の 旅。”
第3回
サン=テグジュペリ「夜間飛行」

気象通報というものがある。東アジアとロシアの各地の天気(風向、風力、天候、気圧、気温)と、船舶からの報告、漁業気象をNHKラジオ第2で1日3回放 送されている 。

僕はよくこの放送を聴く。なぜか、なんとなく心地よい気持ちになる。これは主に漁船に向かって放送されているのではないかと思うが、遠くの海の上で聞いて いる人たちが いることや地球の大きさのようなものを想像させられる。
たぶん空にも各観測地点からの報告として、同じようなものがあるのだと思う。ただ飛行機は停船はできない。飛び続けるか、降りるしかない。

久しぶりにこのコーナーを書くが、今回の作家は、作家ではなく飛行士である。1900年に生まれ、1944年にナチスの戦闘機に撃墜され行方不明になった とされるサン =テグジュペリ。僕の知るかぎり、まだ彼の飛行機は発見されていない。

彼の2作目の作品が「夜間飛行」である。
この本は正直に言って読みづらい。僕が読んだ新潮文庫の、堀口大学のいささか古い感じのする訳のせいなのか、もともとの文章のせいなのかはわからない。

この話の主役は、こういう言い方は少し大げさすぎるかなとも思うが、「空」である。
南米とヨーロッパを結ぶ初の夜間飛行を行っている航空郵便会社の、支配人リヴィエールとそこで働いているファビアンら飛行士たちの物語だが、いろいろなこ とが最後まで 描かれない、 いわば、ある一夜の出来事を切り取った話である。
そこに登場するものたちはみな、空の向こうの遠くの地のことを思っている。支配人も、無線技師も、飛行士の妻たちも。監督役のロビノーには何も見えていな い。飛行 士だけが操縦 桿を握り、その空に向かっている。その人々を強大な力を持った大きな空が包んでいる。そこにはリヴィエールの心を通して、強力な自然とそれに立ち向かう人 間精神のよう なものが描かれている。今ではこういった人間精神の話はあまり描かれなくなった。たぶん、あまりにも描かれすぎて、疲弊して、自分がどういうものなのかよ く分からなく なったのだ。

人間は疲弊した。
でもこれはちょうど1920年頃の話だ。人間はまだ活きが良い。二つの世界大戦の間の時代に書かれた物語はなんとなく、こういう自然と人間のバランスが拮 抗している感 じがする。ここを過ぎると自然は搾取と保護の対象に変わる。

この新潮文庫版はこの「夜間飛行」と処女作の「南方郵便機」の2作品が収録され、表紙は新潮からでているもうひとつの本、「人間の土地」も含め、アニメー ション作家の 宮崎駿によって書かれている。
彼のアニメでも同じように自然と人間のバランスが拮抗した世界が描かれているのは偶然ではないだろう。

もしかしたら人間は他の人間とではなく、自然と対峙した時にそういう人間精神のようなものがしっかりと機能するではないかという気がする。でも、この時代 のリヴィエー ルをしてすでに人間精神によって疲弊し、ただ何も考えずに空に向かうファビアンが活き活きと映るのが感じられる。これは20世紀を通った後の時代に生きて いる僕だから そう感じるのかもしれない。

そしてリヴィエールによって、郵便物は欧州便に載せられ、ボルヘスの住むアルゼンチンのブエノスアイレスから、フランスはツールーズに向かう。 (hayasi keiji,10/8/17)
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