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コラム
 vol.15  マシーン・ミュージック〜量子の海の子守唄〜

僕らは量子の海で生まれ、電子の海を泳ぎ、育った。

生まれついたときにはゲーム・ミュージックが子守唄のように僕らにささやきかけた。
そして、僕らはそれに答えた。

1980年に生まれた僕にもその歌はささやいた。今でも生涯で一番影響を受けたのは植松伸夫のファイナルファンタジーシリーズT〜Yの音楽で、それはすべ ての基礎であり到達地点だ。彼はマシーンというオーケストラで交響曲を奏でた。

特にその初期T〜Vは多大な影響を僕に与えた。電子音3声という制約のなか、バッハ以来のクラシックの音の構築法でそれを克服したその初期はまさに僕に とってのバッハだった。それはYMOがゲームミュージックを取り入れたようなレベルではなかったと思う。取り入れたのではなくて、それで出来上がってし まった。機械と人間の要素でできた僕はそんなサイブリッドの一人ではないかと思う。

遠くアメリカでもそれは同じだったようだ。少しづついろいろな音楽の端々に見えていたその影響が、デンジャーマウスという男を通して全貌を明らかにした。 彼は巧みにマシーンを操り、いろいろなミュージシャンに電子の化粧を施している。

またスフィアン・スティーブンスも同じように、「AGE OF ADZ」でそれを現した。きっと元はマーヴェル・コミックスだったり、キャプテン・ヒュー チャーだったり、ゲームだとしても種類も違うだろうとおもう。

ただともに遠く隔たってはいるが電子の海で泳いだのだ。


マシーンと不可分の僕らは一度生まれ育った電子の海を離れ、それなしで音楽を作る努力をし、音を音楽に組み上げる力を持った後、再び電子の力で音楽を描き 始めた。僕らがサイブリッドであるために必要な行為だった。僕らがマシーンと一体になるために。

植松らと僕らの間を埋めたのがスクエアプッシャーだった。僕らが高校生になり、初期ゲーム音楽はその歌を歌い終えた。電子の海は静かに時を待った。ちょう どそのとき、マシーンを相棒に彼は現れた。彼は本当に一人でその不在の期間を埋めた。彼がバンドを組みロックを始めたとき、僕らは戻ってきた。

植松という偉大な先人と同じように音を組み上げる力を持つ必要があった。僕らは同じ道をたどっているのだ。彼らはさらに前、プログレの影響を受け、サイ バーの世界に入った最初の先住民だった。僕らの父親だった。あり方は違えど、吉松隆も同じようにプログレからクラシックの道に入った。

その行方に僕と同じ80年生まれのピエタリ・インキネンやまだ若干19歳の岡田奏のような、世代がいる。インキネンはオーケストラを命あるマシーンのよう に扱う最初の世代になるだろう。僕らとは兄弟のようなものだ。量子化された左脳と電子化された右脳を融合させられる最初の世代になるのだ。

これから僕ら以降、量子と電子で育った子供たちが音楽に限らず、いろいろなところで新たな地平を切り開いていくだろう。

サイブリッドに幸あれ! (hayasi keiji,10/11/17)


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