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コラム
 vol.26 ナウルのグ ンカンドリについて

ここ何年か、歌もののアルバムや”林奈堀”名義のインストと並行して書いている曲群がある。
それはもともと「20世紀のグンカンドリ」というアルバムを作るために書いていった曲なのだが、いまやグンカンドリだけではなくカラスや渡り鳥のための曲 にまで至っている。
それらも最初にナウルにいるグンカンドリにかんする曲を書いたのが発端である。

そもそもグンカンドリの曲を作ろうと思ったのが先かナウルについて知ったのが先か思い出せないのだが、ナウルという島には個人的に興味深いだけでなく、日 本人にもかかわりの深いことがいくつもあることを知った。太平洋諸島センターの発行する資料に基づき概要を上げる。


ナウルというのは東京とニュージーランドのオークランドのほぼ中間である東経166度、赤道の南40キロにある小さな共和国である。
その大きさは21平方キロ(伊豆大島の約4分の1)で世界で3番目に小さい国だ。

単独の島で構成されており、太平洋の島ではめずらしく珊瑚礁のリーフが発達していないので、海水浴にもシュノーケリングにも向かない(最近は毎年夏に三浦 でシュノーケリングをしている僕にとっては残念な話だ)。
ナウル先住民の歴史は良く分かっていないが、ナウルに西洋の力が強力に及んできたのは、20世紀に入ってからだ。1890年代に発見された燐鉱石の採掘が ドイツの手ですすみ、その後の両大戦の間にいろいろな国に占領され(1940年 第二次世界大戦が始まり、ドイツの仮装巡洋艦がナウル沖でイギリス商船を攻撃している) 、そのつど燐鉱石が発掘され、その枯渇への危機が高まったことで独立の声が上がり、1968年に独立した(ちなみにナウルで一番高い山は燐発掘ででた土を 捨てた場所に出来た堆積である)。

日本との大きなかかわりというのはもちろん太平洋戦争の時だ。
戦争当初から日本は狙っていたようで、爆撃がされ、1942年の8月に旧日本軍により占領された。1943年にはトラック島での労働力として島民1201 人が強制移送され、帰ってきたのは737人である。ナウルでは人口が1500人を下回ったことが42年を入れて2回あり、そのあと再び1500人を超えた ことを祝 う「アンガデ・ムー」という祝日(10月26日)がある。、また独立の日である1月31日は737人の生き残りが帰還した日である(それらの日本が起こし た出来事を本当に心から申し訳なく思いお詫びします)。

独立後も台湾と中国との国交を通して中国とけんかしたり(現在も国交断絶)、オーストラリアに向かうアフガン難民を一時的に収容したり(この問題は現在ま で続いている)と大きな波にさらさ れながら現在に至るという波乱に富んだ国なのである。

さて、この国にグンカンドリ狩りという伝統的な狩りがある。
これはナウルの男たちだけで行われている狩りで、はるか高い空の上を旋回するグンカンドリを、下から重りをつけたひもを投げて、足に絡めて捕まえるという ものだ(どう考えても難しい)。
捕まえた鳥は食用にするわけではない。それどころか、ナウルではグンカンドリは生と死の世界の間を渡る使者として考えられており、捕まえたグンカンドリは 一定期間、小屋で飼育され、放される。
グンカンドリをたくさん捕まえて飼育する男はナウルでは伝統的に尊敬されるという。
ところが、このグンカンドリは水平速度で時速150キロ、降下速度では400キロに達するという、世界で最速の鳥のひとつである。それをひもでつかまえる とはいったいどういうことだろうか。
とにかくこの島とグンカンドリには興味深い話がいくらでもある。

そういうわけで、このナウルとグンカンドリの世界に惹かれて、曲を書きはじめた。
南太平洋の島で歴史以前からひっそりと暮らす鳥と、そこにやってきては消える人間の対比がとても魅力的なイメージをあたえてくれたのである。


はじめに書いた「グンカンドリのためのスケッチ」という曲は以前にライブで一度演奏する機会があり、鳥の動きが見えるようだ。となかなか(褒めすぎな)好 評をいただいた。その後もいくつかの曲を書いていくうちに、ナウルだけでなく世界中の鳥と人間の関わりを意識するようになった。

たとえば「カラスとカルラ」という曲は、日本におけるカラス信仰とカルラ信仰へのイメージが元になっている。迦楼羅(カルラ)とは密教における二十八部衆 の一人で、もとはインドのガルーダという神が仏教に吸収されたものである。
それが日本に渡りカラス天狗になったという。
カラス信仰については五来重の「熊野詣」に詳しい。それによればカラスは神の御先(ミサキ)であるという。

黒田硫黄の「大日本天狗党絵詞」という漫画ではカラスと天狗のすばらしい物語が描かれている。その黒田硫黄の「あたらしい朝」という漫画では奇しくも太平 洋戦争でのドイツの仮装巡洋艦の物語が取り上げられている。ナウルのグンカンドリとカラスも生と死の使者なのである。どこかでつながっているのかもしれな い。

吉成直樹の「俗信のコスモロジー」によれば、四国には「トリツバサ」という幼児葬法がある。

これは幼くして死んだ子供は「トリツバサになる」とか「鳥に飛ばす」といって、簡単な埋葬をして、年忌やおまつりはしない。というような習慣である。この なかに収集した話がいくつも載っており、春野町の大正生まれの女性の話の中に、「七人ミサキ」のはなしが出てくる。

「一〇五日目に死んだ子供は引き潮に生まれ、原因が分からないまま死んだ。太夫(=民間宗教者)にみてもらったところ、『辻風、七人ミサキに行きおうた』 と言った。」

それに関する吉成の解説によると「七人ミサキとは転生できない悪霊のことであり、自分が転生するためには七人の人間を道連れにしなければならない」とあ る。そこにはないが、ミサキとは多分「御先」のことだろう。

「行きおうた」という表現からすると、「鳥に飛ばす」とは「鳥によって連れて行かれる」という意味になるのではないだろうか。ただ吉成は中国における大鳥 の羽を添えて死者を飛揚させる習俗とくらべて、「前者(中国の習俗)では、鳥は死んだ人間の霊魂の運搬者であるのに対し、後者では、死後、霊魂は鳥になる という観念を窺うことができる。」という。多分に丁寧に取材がなされている本書から考えれば吉成が言うことがもっともだと思われる。名づけ以前に死んだ子 を「鳥のようなものだ」と言う話からすればそうなのだと思う。また間引くときに首を絞め、泣いたら人間に泣かなかったらトリツバサになるとも言うらしく、 そうだとすればトリツバサとは人間の社会の外にいて、まだ人間でないかぎり、人間的な儀式である埋葬も簡単でよいという意味なのだろうか。社会性の強い儒 教の葬儀へのこだわりがその宗教性の根底にあるということと比べても、「社会性=宗教性=人間性」の外にある、「非社会性=非宗教性=動物性」ということ なのかもしれない。それならば宗教的な側面として鳥と人間の関わりが多いのはなぜだろうか。

少し深入りしすぎた感があるので話を戻そう。

ヨーロッパに目を向けると「ケユクスとアルキュオネ(アルシオネ)」の話がある。海で難破し、波に運ばれて戻ってきたケユクスの死体を遠くに見つけ、 海に身を投げ出したアルキュオネは鳥に姿を変え、夫のもとまでたどり着き二人とも鳥になったという話である。やはり以前にバンドのために書いた「アルシオ ネ」という歌はそこから取った。
ギリシャには他にも死んで鳥になった話がある。また古代イタリアにあったエトルリアでは「鳥占い」というものがあったらしく、エトルリア人の墓に描かれて いる(この壁画に関しては鳥占いではないという解釈もあるらしい)。

中国にも鳥が占いに使われる伝統があるが、中野美代子によればその中国には「青い鳥」というものがいて、これは死者の魂が向かうという崑崙にすむ西王母の 使者であるという。また司馬遷の「史記」によると西王母の使者は三本足のカラスだという。三本足のカラスは道教では太陽に住むといい、日本ではヤタガラス と呼ばれる神の使いとされる。

また太平洋に戻れば太平洋全体には「鳥人信仰」と言うものが見受けられる。例えばイースター島におけるクロアジサシの卵の獲得を競う祭礼がある。勝者は鳥 人の名である「タンガタ・マヌ」と呼ばれる。
これは鳥の頭をした人の像として描かれ(手塚治の鳥人大系については以前にも日記で書いたと思う)人間が卵から生まれたという思想も一部にはあるらしい。

このように列挙すれば暇がないほど、人と鳥の関係は奥深いのである。これはひとえに鳥が人にそれだけの創造力を与えるからに他ならない。だからこそ鳥を テーマにした曲などと言うものが書けるのだと思う。

まあ音だけなので所詮はイメージ的になるのだが、メシアンのように鳥のさえずりを分析して曲にするのは確かにすごいが、曲としての力が鳥たちだけでなくそ の世界全体を照射するような風にできたらその方が私の書きたいものには合っている。例えばカラスならインドから日本への流れを意識した音階(密教的な音楽 というのがあるのだろうか?)、ヨーロッパならその時代の音階を(ギリシャならリディアンモードなど)、音学的な解釈もしていきたい。またやはり想像では なく、実際にナウルを見て曲が書けたらと思う。
簡単ではないだろうが、ナウルにも一度足を運んでみたいものだ。

すべてを取り上げるわけにはいかないが、これからもこつこつと書いていき、まとまった形で作品にできたらと思う。(hayasi keiji,12/2/14)

参照:吉成直樹「俗信のコスモロジー」(白水社) 五来重「熊野詣」(講談社・学術文庫) オウィディウス「変身物語」(岩波文庫) 中野美代子「中国の 青い鳥」(平凡社ライブラリー)黒田硫黄「大日本天狗党絵詞」「あたらしい朝」(講談社・アフタヌーンKC)    
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