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コラム
vol.41 人間としての 野生について〜文化に関する試論〜


「人間としての野生」はもう何度か言葉として肉体の持つ知性論のなかに登場している。それは木村沙織やメッシのようなスポーツ選手、また武松や鉄牛のよう な豪傑を指して使っている。それは非社会的でありながら社会を作るものでもある。そのような「社会の外側で生きるもの」に対し、実際には社会の中でも野生 は起こりうる。
社会の中での野生には二種類あるように思う。

1.環境としての野生
2.文化としての野生

の二つである。

だが、この二つの関係性は簡単に割り切れるものではない。それを考えてみようと思う。

まずそれらの形成の流れについて書く。

環境の下で人間の生活が営まれる時に、まずそこに共同体としての社会が現れて、その環境に対応する形で作られていったはずだ。その社会を作っていった人々 を「環境としての野生」をもつ人々と呼ぶことにする。

それがある程度の安定性を持ち始めた時に、あるいはその過程で、形成され共有され定まっていったものが文化となる。

その文化の下で生まれ育った人間はある程度、文化的な人間となる。だがその文化がその作られた環境の下にあるうちは、その文化も変化しうるし、そこで暮ら す人と文化と環境は機能しあっている。

だが、人々はいろいろな理由で移動していく。その結果、違う環境に移ることになる。

そこに移った人々は彼らの生まれ育ったところの文化を持っていくことになる。そのようにして文化は人と共に移動する。
すると、その文化はそこの環境と関係ないものとして人と共にすえられる。

その時に文化はその環境によって改変されることもあるが、そこの環境ではなく共同体の中で環境の影響をあまり受けずに、守られた文化によって育った人々 は、保守的になり、文化を保つために、逆に環境を整えようとする。

そのような人々を「文化としての野生」を持つ人々と呼ぶことにしよう

もちろん移設された文化はその新しい土地の環境の影響によって、本人たちが意識せずとも改変をこうむることもあるし(メキシコの教会装飾)、逆に共同体意 識によって保守的になり、結果的に旧態を保つこともある(例:ブラジル・ポルトガル語、海外県人会)。また旧態を保とうとするがあまり、旧態とは別のもの になることもあるだろう。
その中には例えば、アメリカの保守派も含まれるだろうと思う。

問題というか、ここでポイントなのは、その人々は、環境にしろ、文化にしろ、自分がやっていることに気づいていないということである。
それは本人にとってあまりに「自然」であり、だから「野生」なのである。

あるいは、そうすることが共同体にとっては「良い事」であると思っている。

次にそれぞれを単独で区切ってみていこう。


1.環境としての野生

環境としての野生は、分かりやすく言えば田舎者である。

その土地の環境で生まれ育ち、そこで作られた文化の下で生きている。つまりローカリティの塊なのである。
そして環境としての野生は他を知らないこと、つまりそれしか知らないことによって、正直者のような形をとる。

だが、外の世界があること自体は知っている。ただ、その土地と暮らしが一体化しているがゆえに、離れることができないのである。
これは農村社会の形態的特徴とも言えるかもしれない。そこに新たな情報を持ち込むのは宮本常一の「忘れられた日本人」にあるような、各地を回り、やってく る「世間師」と呼ばれる人たちに代表される移動する人たちである(もちろん一部には牛や塩を運んだり、魚を運んだりと、他の社会に触れる要素もないとは言 い切れない)。

また土地を守っている以上、共同体意識はやはり強いので、入ってくる情報に対し共同体の安全性にとって脅かされる要素があるかどうかに対する疑いはもつだ ろう。だがそれを確かめるすべもあまりないので、それらの情報自体の信憑性の判断はつけることができない。

ただし、かれらは信仰的に今の暮らしを信じているというよりも、それが実際にその暮らしにとって、必要であり、機能しているから実践していると言える。感 覚的な自然に対する反応や暮らしの構造と自然との一体性があり、精神的な面よりむしろ肉体的な面のほうが強い。精神的な面はむしろ自然と暮らしの一体感に よって結果的に生み出されている安定性のようなものだ。だから環境の変化に対応するために、社会構造を作り変えるということも起こりうる。

そのようにして常に暮らしを安定的にするために、社会の安定を作り続ける必要がある。環境に手を加えることもあるだろうが、おおむね自然の摂理を利用し、 整えているだけである。
それはけして不自然なことではなく、むしろ自然の一部としては当然の行為で、自然界にいる他の生物も同じように環境を改変しうる力は持っている。ただそれ がバランスの中にあるうちはそのような力が目に見えないだけなのだ。だから環境としての野生であるもの自身はそのことに自覚的ではない。環境にすべてを 頼っているものたちは、その環境から出ることはできない。

基本的には環境があって、そこに暮らしの側をあわせていく社会である。


2.文化としての野生1

文化としての野生は最初に述べたように、環境から生まれた文化をもった人が移動の結果、その環境をはなれ、独立することで起こる。
これは主に単独での移民ではなく、集団での移動によって起こる。

アメリカ大陸に移住したヨーロッパ人たちは、その新たな環境にヨーロッパから持ち込んだ文化をすえて生活を始めた。
移住者たちは農地の開拓をし、積極的に環境を変えていく。

アメリカの独立から南北戦争のころの出来事はヨーロッパ、特にフランスとイギリスの関係や、中南米の独立、産業革命による社会情勢の変化などの国際的な影 響下にあり、単純化して捉えることは難しい。そのあたりの問題にここで深く触れることは出来ないが、アメリカ合衆国に住む人々の意識の変化という点でこの 時代を見ると、「本国」の文化の影響が見えることは確かだ。

アメリカがイギリスの恒久的植民地から独立し、領土を広げ南北戦争にいたってもいまだ実態としてはヨーロッパ、特にイギリスの影響を強く受けた。
イギリスからの脱却という点で見ると、北部は米英戦争以後の急激な工業化の中で「アメリカ」としての独自の自立を果たしていき、南部はあいかわらずイギリ スへの農業的原産地でありつづけることで二極化したことが南北戦争の一因となっている。
つまり、アメリカに根付くという点では北部は白人労働者を中心に主体的に行っていて、南部の白人経営者はイギリスへのある意味での帰属意識があったといえ るだろう。 それは自分たちはアメリカ的文化ではなく、植民地としてヨーロッパ的文化に属しているということだ。
このような意識は当然貧しい庶民や独立自営農民ではなくプランテーション経営者やその利益をこうむっていた南部の白人富裕層のものでしかない。

そもそもヨーロッパ中心主義が、植民地開拓を推し進めたのならば、アメリカ合衆国の南北問題はアメリカという新しい土地を自分たちの故郷と出来るか、ある いはこの土地は自分たちにとって何なのか?という精神的な根の問題ともいえると思う。

また保守主義とキリスト教徒の関係という点では、ピルグリム的な新しい土地での敬虔な暮らしと、キリスト教信仰の振興という意識が結びつけば当然保守的な 世界観によってアメリカは自分たちに与えられた「幻想としての土地」になる。

アメリカにおける保守の考え方は独立当時のアメリカに立ち返るという意識だが、そこにはキリスト教(プロテスタント)的な価値観と、当然だが東部13州と いうイギリス植民地から生まれたヨーロッパ的な特殊な事情があるわけで、それを現代のそれこそ人種の坩堝であるアメリカ合衆国に当てはめるのは無理があ る。文化としての野生はこのように移動した先の世界を、その前にいた世界の価値観、常識で捉えるということだ。

とはいえ、19世紀というナショナリズムの席巻した時代であることを踏まえても、結果的に南北戦争で北軍が勝ち、ヨーロッパからの自立が国民国家的な意識 を作ったということを考えると、どちらにしろ移住した人々が”人為的”に共同体を作っていくこと(ルーツの違う人々がまとまるのは「国家」のもとであると いう考え方)自体がどうあっても文化としての野生に至るということかもしれない。

だが歴史的に見ると、このような「文化移動」を伴わない状態での、文化としての野生も発生する。

アメリカの場合、その発見と移住にはいろいろな理由をともなうが、ヨーロッパ列強が文化的に成熟し、自分で運び移設できるだけの文化的自立性、つまり環境 に頼らずに技術である程度まで独自の居住空間を生み出せることが必要だった。それにはもちろん本国のバックアップという非常に大きな後ろ盾がいる。だがそ んな段階に達する前にもいろいろな理由によって人々は移動している。


3.文化としての野生2

遊牧民というのは肥沃ではない土地をうまく利用するために移動をして暮らしている。モンゴルの遊牧民に見るように、それは非常に優れた生活技術を持ち、豊 かな精神を持っている。

遊牧民がいつどのように誕生したのかは分からないが、ユーラシア大陸には古くから遊牧民の文化が現れている。

ユダヤ教にまつわる問題も文化としての野生の問題と重なるのではないかと思う。

アブラハムは遊牧民の子であるが、遊牧というのは環境を利用するだけでなく、人為的な力も強い。牧草が絶えないようにすこしずつ利用地を移動するのは環境 とのバランスという点では、しっかりと大地につながれている。だが遊牧というのは非常に暮らしが厳しい。そこには宗教的な厳しさが必要だったのかもしれな い。
ユダヤ人というのは民族なのか信仰者なのかよく分からないところがある。そのくらいこの宗教が強いということだろう。
荒地で生きていくには宗教的な力で共同体意識を高め、その中である程度の強制力のある強い宗教になった可能性はある。

ユダヤ教についてはあまりに古く旧約聖書の物語をそのまま受け取ることはもちろん危険だ。それを踏まえて旧約の物語をたどってみる。
「創世記」の文章はいくつかの資料が合わさっており、彼らの神の名前は安定しない。
もともとは「エル・シャダイ=山獄の神」と呼ばれていたアブラハムの神がやがてイスラエル全体の神、ヤハウェとなる。これはもともとモンゴルの遊牧民と同 じように雨を降らす「山の神」の信仰が、変形したものであるかもしれない。山の神への信仰は、まだ環境としての野生としてのものだといえる。遊牧民も無作 為に移動しているわけではないし、モンゴルの人々のように定住している人がいることで暮らしが成り立っている面はある。つまり草原という海を回る漂海民の ようなものだ。


だが暮らしよりも宗教のほうが人々の中で強くなった場合どうなのだろうか。カナンの地を宗教的に正当なユダヤの土地とし、そこに強制的に移住する。つまり 定着する。そこに住んでいたカナン人たちは土地を追われることになる。
アブラハムがカナンの地に定住した時は、侵略というよりも、井戸の権利を手に入れ、受け入れてもらうという感じだったはずだ。
だが、エジプトを出たユダヤ人たちがカナンの地を侵略した時は神の名の下に「聖絶」をしているのならば、それは自分たちの信仰をもとに世界を決定するとい う文化としての野生ともとれる。それはその文化の力で環境を変えるということもあるということだ。
暮らしの中での必要で生まれた厳然とした精神性が、やがて暴力性を伴う強さを生むことは十分に考えられる。


とはいえユダヤ人がカナンを侵略したことが今現在そんなに責められるべきかというのは難しい。当然当時、侵略された土地に住んでいた人が「はい、そうです か」と土地を渡した訳ではないはずだ。それはユダヤとその神の契約でしかないのだから。であるならそれは武力による侵略か、あるいは共存共栄的な状態で あったはずだ。ただし「聖絶」の観念からすると共存共栄は難しいが。
当時の世界ではそのように侵略し、力でもって何かを手に入れるのはどこでも当たり前のようにあった。十字軍だってそうだし、侵略したから正当ではないな ら、西ヨーロッパはケルトに、アメリカはインディアンに、北海道はアイヌに、オーストラリアはアボリジニに返さなくてはならない。
それでもやはり今のイスラエル、自分たちの占領政策を正当化する現在のイスラエルを見たときに危うさを感じる。


いまでもそうだが、移住者の多くは戦争や侵略によって住み慣れた土地を追われる。
どのようなところでも人は環境にあわせて暮らしの形態を変えるとは確かに言える。ユダヤ人はそのようにして遊牧民であり農耕民になる。

つまりユダヤという存在はそもそも土地的ではなく、人に帰属する観念的なものであるように思う。文化が発生した後に土地に帰属する。だがそうなれば土地は いくらでも改変しうることにもなる。

腑に落ちないのは、ただその土地が”神に約束された場所”という暴力に対する非主体性だろう(これはモンゴルの屠殺儀礼にも見受けられる。自分たちで家畜 を殺さなくてはならない時に「殺そうとして私は殺したのではない 横たわっていて喉がつまって死んだ」というような祈祷句を唱えたりするらしい。これは家 族同然の家畜を殺すという矛盾に耐えるための痛みを背負わない、一つの 文化的姿勢であるように思える)。
それはここでの問題を踏まえれば、侵略よりも、その疑わなさのほうに危険を感じるのではないだろうか。


今のイスラエルが出来たのは宗教的な理由よりもむしろシオニスト運動のような急進的な政治的運動による。それは一種のナショナリズムであるように思う。

その点から見ると19世紀のヨーロッパのような、周囲の列国との戦争の結果、生み出された独自性としての国民国家創出の流れとしての文化としての野生もあ るだろう。
文化が土地を規定する観点に立つと、そこは作られた”単一民族”あるいは”単一文化”しか住めない土地という発想が現れる。
それはその後ファシズムという先鋭化した形を取って、ヨーロッパや、日本などで二つの戦争の間に見られたし、今アフリカやイスラームの土地では同じような ものが見受けられる。「単一民族」ではないが、自由主義という面ではアメリカにおいても保守の動きにそのような対外的な思想が見られる。

イスラエルもアメリカもそこは「彼らの土地」ではなかった。そこにはそこで自然と一体となって生活をする人々がいた。それを彼らの幻想で変更していった。

それらの中で生まれ育ったものはその基になった文化が生まれた土地や今住んでいる環境との関係性ではもはやなく、文化独自の動きの中で無意識に、信仰的に 行動する。
だから文化としての野生の人間は、ある観念やアイデンティティーによって存在している。それは土地ではなく周囲の人間の価値観によって作られる。
それが失われれば、土地とつながれていないのでその人間は「生きていくこと」が不可能である。つまり、彼らはその根源的な観念の部分を「絶対に疑えなく なってしまう」のである。

文化が環境とつながれているうちは、その文化はタッチャブルであり、改変可能であり、根源性はむしろ土地のほうにあるために、人間もそのような精神的なア イデンティティーで存在しているわけではない。先ほど言ったように「精神的な面はむしろ自然と暮らしの一体感によって結果的に生み出されている安定性」な のである。文化はそのような一体感の中で発生的に生まれてくるだけなのだ。


4.鉄牛はどっちか?

今まで取り上げてきた中で、野生としての人間として取り上げたのは、現実的にはバレーボールの選手を代表とするスポーツ選手、物語では、水滸伝に登場する 鉄牛、武松らの豪傑たち、そしてマカロニウェスタンのアウトローたちであった。

コラム「豪傑たち〜悪の知性論〜」でも追って考えるべきと言ったが、では、鉄牛の「人間としての野生」は果たしてどっちだろうか?

まずそれには「物語の登場人物」は実際の社会に関する考察対象になりうるのかということを考えなくてはならない。

そこでも書いたが民話や物語の中ではある行為が、まったく別の結果にたどり着くことはよくある。それは物語がその社会の価値観に照らし合わせて、ある道徳 性を物語るからである。つまりそれぞれの社会の中で同じ行為が別の意味を持つからだ。

だが、それを踏まえたうえで読み取れば、社会のさらに外側と社会の関係は別の観点で捉えうる。社会がそのような道徳性を持つのは、自然という社会の周囲に ある環境に対し、その社会が対応的に作られるからであり、自然の部分は固定的に存在している。だから自然の側に近い存在はある程度は同じような表象性を持 つことになると考えられる。それは各環境(砂漠、山岳、海、森、草原、氷原など)の個別性に併せて、そのさらに向こうにある、根源的な存在の仕方を保有し ている。それは大抵人間の理解を上回る力として表現される。


社会が自然をどう考えるにせよ、それは対応的な意味での考えであって、それが神話や民話として現れる。
その社会はそれぞれの神話のもとに共同体が作られ、環境に対応しているとして。

そのような神話にもいろいろあり、一概には言えない。
神々の戦いと、人間と異形との戦いでは少し趣が違う。

社会の創世神話として人間の代表が出てくるものはやはりその社会の自然との付き合い方として現れることが多い。ヤマトタケルは力を持つが、人間の代表であ る。彼のように自然を制御し、人間の知恵で社会的に自然を押さえつけるという感覚は古くからある。

だが彼らはそのような知恵だけでなく、超人的な自然力自体も身につけている。

それはある強さのあるものとして描かれる。それは精力の高さ(大量の子供をたくさんの女に産ませる)とかやたらと強い(虎や竜を倒す)とかいった形で。 自然への対応力はこのように社会共同体の知恵と、野生的な動物的能力という二面性を持つのである。
ともかくとしてそれらはまだ、環境に対応するための行為の物語であり、環境としての野生としての人間が作った物語ではある。


だがそのような神話の世界と水滸伝のような物語の世界は少し異なる。なぜかというと、水滸伝は人間と人間の戦いだからである。だからそれはある社会的な価 値観の中での争いとも言える。反社会的勢力としての梁山泊の豪傑たちが物語として民衆に支持されたのは、社会的な腐敗に対し、人情や義理を大事にする民衆 的な価値観が戦いを挑み、勝利するからであろう。

だが、結果としては彼らは官軍となるのであり、社会の体制になるのであって、結局のところ社会の中での話なのである。
もともと宋江たちは役人であったり、地方の豪族であり、社会的存在である。特に中国では役人は同じ土地に居らずに移動する。その点では土地の人とは違う結 びつきの中にいる。だとすれば彼らの力は”文化の持つ野生”ともいえるのである。


さて鉄牛はどうか?それには鉄牛自身の生い立ちや周囲の環境をみてみるのがよいだろう。

彼は沂州沂水県百丈村の農家の息子で、けんかで人を殺し、土地を売ってつかまり、一度は恩赦になったが村に帰らず、今では三千貫という懸賞金のついたお尋 ね者であるということになっている。
役人とは訳が違い農村出身者である。高島俊男の話では、中国には農家の長男以外の暇で手をもてあましているものが多く、そういうものが軍人になったり盗賊 になったりするというようなことを書いていた。鉄牛も故郷に兄が居りその点は同じだ。
田舎の農民で、まさに民衆の代表ともいえる。その彼は宋江が体制側に戻ろうとするのに対し、文句を言うことも多い。

つまり、社会体制の変動で上に立とうとするよりも、どちらかといえば普遍的な農村民衆的な価値観の代表であり、環境としての野生の側と言えるかもしれな い。またこういう話もある。公孫勝の師匠の羅真人によると、下界の人間が悪事ばかり働くので、それを罰するため天殺星である彼が、天に代わり一身に殺劫を 引き受けているらしい。つまり彼は社会の側というより、自然の側に近いのである。

そう考えれば、鉄牛は環境としての野生であることになろう。もちろんそのような水滸伝全体に流れる「星」のはなしは道教的な考えでありそれ自体も文化に よって生み出されたものであるので簡単ではない。とはいえこのような鉄牛の立場が、民衆にどのようなイメージをもたせ、どのように受け取られるのかという 意味では、彼は人間の中の社会的な面ではなく、自然の面の代表であるといえると思う。つまり、本来の自然のもとで寄り添って暮らした社会からかけ離れた時 に、その社会に対し自然の「ゆり戻し」のようなものとして現れた存在として鉄牛はいる。


5.クレイトン

ではマカロニウエスタンはどうだろうか?

以前取り上げた、クレイトンのように彼らは流れ者で移動するものであり、いくつもの文化、環境を渡り歩く旅人、「世間師」であると言える。

そして彼らは野生化した者でもある。
最初からそうであったのではなく、取り除かれていったことで、「信じないもの」になったのである。信じないものになった理由は裏切られた、家族を殺された など、いろいろある。あるいは特にないが銃ひとつで生きていこうとした結果そうなったものもいるだろう。その結果社会や自己が対象化され、野生を自分のう ちに見出す。そのことによって野生化したのである。

もちろん実際の社会で、「実際に」そのようなことがどのくらい起こるかはわからない。けれど、アウトローたちはそのようなものの類型であると思う。

とはいえ、「信じないもの」というのは「憎い相手を倒すため」という一念の元に置かれている、見方によれば狂った人間性の賜物としての、ある意味での”文 化としての野生”と見ることもできなくはない。ただその信じているものは非常に個人的だ。

ストーリー的にはそういう面を持つもの(荒野の一ドル銀貨・ウェスタンなど)もある。また「荒野の用心棒」や「続・夕陽のガンマン」はむしろそれが自分に とって心地よい生き方だからといった感じに近い。

どちらにしろ彼らが敵を倒すには銃をうまく扱い、相手と対峙して倒す、命のやり取りをする必要がある。それが心ではなく身振りに物理的な身体の使い方とし て現れている。つまり、文化としての野生にしろ、環境を渡り歩くにしろ、自分の身体という自然にすべての文化を取り除くことでたどり着いている。


相手と対峙するシーンを描く時に、どうやったら相手より強くあれるか、物理的に強い人間とはどういう風に行動するかという点が、自然と研ぎ澄まされて映像 化されている。それは民話の世界と同じで、そのような集団的な無意識の類型化として、映像に現れているのだと思う。その結果ストーリーの側にはそのような バリエイションをもったいくつかの軸が現れるがそれが最終的には強さになる。いろいろな理由で強くなる。そのなかには「信じる」ことで強くなるものもいれ ば、「信じない」ことで強くなるものもいる。

どちらにしろ「殺る」にはある種の冷静さが必要であり、信じる場合もその信じているものを深いところにとどめて置かねばならない。それは強い相手であれば なおさらである。それが結果的に物理的人間に回帰させているように思える。

「信じる」ということは常に先ほどの文化としての野生と同一の危険性を孕んでいる。だから自分を対象化し、信じている自分を意識し続ける必要がある。それ は文化ではないから自分だけがしっかりと心に刻み付けておき、それがゆえに復讐が可能になる(「一度たりとも忘れたことはない」)。


アメリカのウェスタン映画のように社会を守るための反社会勢力に打ち勝つ力を持つ代表というあり方とは別の、移動するものとしての、文化ではなく個の強 さ、身体の強さを持つものがここに現れているのではないだろうか。それが世間師となったものであり、それは環境としての野生ではないにもかかわらず、環境 と対話する能力を有していると考えうると思うのだ。

だとすればこれは環境や文化から抜け出て、自分が直接自然と繋がるという意味で、本当の野生になった。ということである。


6.身体と環境

環境としての野生は身体を通して物理的に環境とつながれている人間として、精神が出来ている。だがそれはそちらのほうが文化としての野生より強いというこ とではない。

信じるものも信じないものも同じように強くなりうる。
だが、強いことと生きることは違う。家族を殺され、「殺る」の一念にある者も、それを済ませ、その先にある解放された状態を目指しているとも取れる。

文化としての野生の問題は「信じている」というわけでもないということなのである。復讐するガンマンの一念は意識されているものだが、文化としての野生は 信仰が意識されていない。それが危険なのである。

だが意識されていないということは環境としての野生においても同じで、ただそれが生活の中での身体を中心としているがゆえに、環境の変化に対応することが 出来る。だが自覚がないために移動したときに文化としての野生になる。

だから移動した先の世界に対応するように意識が身体と結びつきを保ち続け、変化していけば文化としての野生にはならない。それには自覚が必要になる。


ユダヤの「約束の地の収奪」は「神との契約」という形をとって宗教化され意識されている。わかっていて奪いに行ったわけだ。だが宗教としての信仰を疑いえ なければそれは文化としての野生と同じで、正当化を生む。宗教はそのようにもはや改変不能な契約にしばられ非主体的になる。だが実際のところユダヤ人には イスラエルの正当性に疑いを持つ人もたくさんいる。先ほど言ったようなシオニストの強行的な建国にすぎず宗教的にも正当ではないという意見だ。実際建国以 前には「どこに建国するか」という議論があったのだ。
それに対しヨーロッパ人はネイティブアメリカンや黒人は人間ではないと本気で考えた。もちろんそこにもそうではないと思っていた人もいる。分かってやって いるほうが悪いか、それとも、分からないでやっているほうが悪いかは僕には判断が付かない。

だが、疑い得ないものによって袋小路に追い込まれていることは大きな問題だ。
人間は新たな土地で新たな考えを育むことで、自己を客体化できたときに未来が開ける。ならば、それまで信じていたものが「不自然」だったということではな いだろうか?

以前から考えているバレーボールでは「無意識に体が動く」ことも「絶対に勝つんだ」と信じることも大事だという。

「楽しむ」のコラムでみたように、「環境=文化」としてのスポーツに関わるものの中心に野生と現場主義者がいる。
そしてコラム『2つの問題』で考えたように、そのスポーツにおける野生は専門家、職人的な姿勢から最終的に生身の人間、「人間としての野生」にいたる。

つまり意識と身体と環境をつなぎ、そこにあるものを自覚的に捉えられるようになること、それが個と集団が生き延びるのには大事なことだということが分か る。「バレーはチームスポーツ」と木村沙織が言っているように、人間は一人では生きられない。それがゆえに彼らは関係性を捉え返すことができるようになる ことで、強くなる。
バレーボールには個が生き延びるために集団になるその最初の姿がそこにある。

木村沙織やメッシの野生はボールを中心にして、社会を外から貫くということをコラム『野生の可能性』で考えたが、それをこの環境、文化としての野生と比べ ると、彼らの野生は、アウトローのつまり、拳銃一本で社会を対象化する、「それが自分にとって心地よい生き方」であるがゆえの移動可能な野生である。移動 可能というのは環境ではなく自分を自然と捉えるということだ。
このような専門性はボールスポーツだけの問題かもしれないが、そのような非社会的な野生の力を関係性と結びつける特殊な地点であると言えるかもしれない。 それにはそこでも最終的には関係に対する自覚が必要になる。だがそれは文化としての野性ではなく、自分の身体を通し、自然と結びついたがゆえにその野生の 力を持ったまま可能なのだ。

それはけしてスポーツという「社会の中の社会」だけではなく実際の社会にも起こり得ることではないだろうか。
もちろんこれは一つの見方でしかない。つねに物事や人には差異があり、それは軽々と予定調和やシステム論をこえる。
だが一つの試論として環境としての野生と文化としての野生の関係から共同体のありかた、世界を見渡してみると、新たな発見があるのも確かだと思う。 (hayasi keiji,13/2/20)


修正:3章のモンゴルの屠殺儀礼に関して、「ロシア人が殺した」というのはモンゴルより北方の狩猟民
が狩猟 の際に殺した獲物に関して言うもので、モンゴルの場 合は訂正後のような祈祷によっている。(hayasi keiji,13/2/21)


追記:なお、ここで触れたコラム『2つの問題』、『野生の可能性』とは三つ巴になっており、順次UPします!


   
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