vol.47 自転車に関す
る覚書1
ツール・ド・フランスは今年(2013)、100周年記念大会を迎えている。これを書きはじめた7月19日現在、ラルプ・デュエズを2回登るという前代未
聞、意味の分からないコースをフランス人のクリストフ・リブロンが勝ち、マイヨジョーヌはクリス・フルームが2位以下に5分差をつけ、あいかわらず確保し
ている。この差はやはり大きく、フルームは総合優勝に限りなく近いところにいるといえる。
私がツールドフランスを見始めたのは割りと最近で、2006年のことだ。
その年はランス・アームストロングが前人未到の7連覇をして、引退した次の年で、王者不在の中、次に現れるヒーローを待つという状況だった。この年すごい
走りをしたのはディスカバリーチャンネルのフロイド・ランディスで、どのステージだったかは覚えていないが、途中から一人で逃げ、体中に水をかけつづけ実
況に”
スーパー・ランディス”と形容はされる走りで勝ち、マイヨジョーヌを手にした。と思ったのもつかの間、ツール終了後だったと思うが、ドーピング陽性が伝え
られ、マイヨジョーヌを剥奪され、ロードレースの世界からもいなくなった。
その前までを知らないから不確かなのだが、たしかランディスはジョージ・ヒンカピーと並びランスのアシストとして長い間彼を助け、ランスがいなくなったこ
とでエースになったというように記憶している。
なぜロードレースを見ようと思ったのか、いまいち覚えていない。もともと自転車は中学の頃に読んだ、九里徳泰の『チベット高原自転車ひとり旅』という本の
影響でマウンテンバイクに興味を持ち、ツーリングをはじめたので、ロードにはあまり興味はなかった。だから実際にロード車を買ったのはロードレースを見始
めたあとの2007年の正月ごろのことだ。
私はツールをその年再放送で見始めたように思う。そう考えると、ランディスのドーピングの話がいつごろ出たのかはわからない。
個人的なことだがその年は体調が悪く、その再放送を見ている期間に私は仕事の途中で急性腎盂腎炎になり、すぐに自力で帰宅し、なんとか家には帰り着いたの
だが、倒れた。
その頃私は不摂生で、しょっちゅうバーに行き、テキーラばかり飲んでいたのだから、その上夜中までツールを見る日が続けば、仕方ないともいえる。今ではテ
キーラを久しく飲んでおらず、体調も問題はなくなった(そういうこともあってずいぶんと”体”のことに興味を持つようになった)。
まあ、自分の話はいいとして、ロードレースの話に戻る。
今年のフルームの強さはピレネー初日や、タイムトライアル、モン・バントゥーでの頂上ゴールでも明らかであり、その強すぎるがゆえの逆風というか、ドーピ
ングでもしてるんじゃないかと疑いたくなるような状況だ。この「ドーピングでもしてるんじゃないか」という考え方そのものがフルームに失礼であることは確
かだが、ロードレースのスポーツとしての複雑さを証明しているように思う。
もともとフルームをエースに掲げ今年のツール・ド・フランスにやってきたスカイ・プロサイクリングは、去年のツールをブラッドリー・ウィギンズで勝ち、そ
のレース運びの”つまらなさ”がゆえにフランス中から批判を浴びた。このイギリスのピューリタン的なプロチームは現在流れているスカイのスポンサーのCM
からも分かるようにストイックさと、科学トレーニングによる精密な体調管理と戦略という硬いイメージが付きまとっている。
たしかにそれを感じてしまうのは、逆に言って、ロードレースファンのロードレースというものの見方が勝利至上主義ではない、ということに由来している。そ
もそもそういうレースの見方があるがゆえに、何も悪いことをしていないスカイが、まるでスターウォーズのダースベイダーを擁する帝国のように、”スカイ帝
国”と形容されるのはその黒いジャージのせいではなく、見ているほうのロードレースに対する見かたによるほうが大きい。
私にはまったく分からないほど昔のことだが、現在のツールの毎回のステージの表彰台で、各賞のジャージのチャックを後ろで閉めてあげているベルナール・イ
ノーが活躍していた時代はドーピングとどのくらい無縁であったのかは分からない。いつだったかテレビの番組で見たのだが、戦前のツールで、汽車に乗って
ショートカットをして勝った選手の話をありえないような本当の話として、紹介していた。だが、今も昔も勝ちたいがゆえに「ずるをすること」は常にすぐそば
に誘惑として漂っている。
「ロードレースに対する見かた」というのは、例えば何をしでかすのか分からないがゆえにプロトン(”走っている大きな集団”というような意味)のなかでも
よい意味でも悪い意味でも一目おかれ、無線のイヤホンをはずし、チームカーの言うことを聞かず(練習ではパワーメーターも見ず心拍数もはからないとい
う)、それでも去年のツールで山岳賞に輝いた、フランスでもっとも人気のある、英雄トマ・ボクレールを見れば分かる。
また逃げきった2人の選手が、それぞれのここまでのがんばりと自分の位置を踏まえて、まれに相手に勝利を譲ることがあるというところからも分かる。
そもそもロードレースというのはスポーツのなかで一番分かりづらいもののように思う。どういうスポーツなのかを人に説明しようと思ってもルールがあるよう
なないようなもので、ただある距離をみんなで走って、最初に還って来た者が勝者になるというだけだ。
だが、いろいろな価値が−例えば高い峠を最初に登ったものに相応のポイントが与えられ、そのポイントの一番多いものが山岳賞を与えられるなど−各所に準備
され、それをそれぞれのチームが、それぞれの選手の脚質と脚力に応じてその「価値」とその結果としての栄誉を狙うことでレースが複雑なものとなる。スタジ
アムではないがゆえにフィールドが毎回変わることで、レースの内容が変わる。
だが、それにしてもただ勝つだけ、あるいはそのポイントをとるだけではどれだけ強くても人気は得られない。ロードレースは観客から金を取れないスポンサー
競技なので、勝利と同じくらい、テレビに映ることとファンからの人気が大事だ。
テレビに映るには、逃げることか、人気があることが非常に大事になる。極端に言えば、強くても人気のない選手は勝ってテレビに映っても写るぶんだけスポン
サーには悪影響になる。それはスカイの黒いジャージにつきまとうイメージを見れば明らかだ。
ここまで言うと私がフルームを極端に嫌っているように見えるかもしれないが、まあスカイは好きではないが、フルームはそこまで嫌いではない。ちなみにスカ
イの中でもキリエンカはモヴィスター時代から好きな選手だ。早くスカイを出てくれないかを思っている。
ボクレールのファンである私がスカイが好きなはずはない。それはスポンサー競技で、プロ競技なのだからそういう見方でよいのだ。だから逆にストイックであ
るがゆえにスカイが好きな人もいるだろう。
それでも、今年見ていてフルームはよくやっていると思うようにはなった。
今年フルームの対抗馬の筆頭だったのはサクソ・ティンコフバンクのアルベルト・コンタドールである。期待していたのだが序盤の落車の影響か、ここまでは5
分近く差をつけられている。
私は以前はチーム・レオパード(現レディオシャック・レオパード)のアンディ・シュレクに肩入れし、復活した鉄人ランス・アームストロングを配下に従えた
コンタドールを憎い悪の親玉ぐらいに思って見ていたものだ。だが、上には上がいるものだ。ウィギンズ擁するスカイがこういう走り方をし始め、シュレク兄弟
はチーム内の揉め事や怪我に苦しみ、コンタドールもドーピングにひっかかり去年のツールに出場できなかったたことで、「来年はコンタドール何とかしてく
れ!」と思うようになっていたため、ずいぶん期待していた。
コンタドールは強い時はひとりでがんがんこいで勝ててしまう選手だ。だから、その点スカイよりはましだ。去年の覇者ウィギンズはタイムトライアルこそ強
かったが、山ではそこまでではなかったから余計にそう思ったのだ。
だが今年のフルームは圧倒的に強い。そして1人でもやれてしまう。それは十分尊敬に値する。だから今度はスカイを出て戦って欲しいと思ってしまう。
スカイはそもそもアンチドーピングで作られたチームだからこのような「黒いうわさ」はまず考えられない。フルームにドーピングという話はまずありえないこ
となのだ。だが、ひどい話だとは思うのだが、見ているほうはまだドーピングしていてくれたほうがましだと思っているわけだ。つまりドーピングとの戦いも人
間味の話であり、あくまでも人間味があるままでドーピングの誘惑に打ち勝ち、王者になってほしいと思っているということだ。
なんという複雑なファン心理だろうか。結局ロードレースファンはスポーツではなく人間ドラマを見ているということだ。だが、ランスの事件ののち、最初に大
きく話題となったディルーカのドーピングの話と、ディルーカ自身のプロトン内での”評判のよさ”の関係を見ても複雑さを思うのだ。
ランス・アームストロングのドーピング疑惑によるツール7連覇の剥奪と追放はあまりにも衝撃的だったが、そのことに関するニュースの中でさらに印象的だっ
たのはその当時の2位以下の選手にも同じようにドーピング疑惑があり、結局みんなやっていたのだったら、やはりランスが一番強かったのではないかというこ
とだ。結局ランスはツールの「クリーンさ」への改革イメージの犠牲となったという風に見るべきだろう。
しかしこのようにドーピングの話題ばかりのロードレースだが、そもそもロードレースというの多分スポーツの中で最も薬物に厳しく、”風邪薬も飲めない”と
いうようなスポーツだ。それをかいくぐりドーピングをする。だがドーピングというのは勝利するためにしか役には立たない。だからこそファンの姿勢は大事
だ。勝利よりも大事なものがあることをファンが支持し続けることが、レースをクリーンにする唯一の方法なのだ。
今回のラルプデュエズで勝ったリブロンのバイクの後輪に挟まったゴミを、一緒に走りながら本人も気づかないところで取り除いてあげていたシーンがカメラに
写った、レース出場中最年長選手(41歳)であるイェンス・フォイクト(かつてフォイクト軍曹とも呼ばれていた)もツールの人気者であり、プロトンのリー
ダー的存在だ。
このステージの実況中に解説者が話していた談話で、フォイクトが走りながら子供にあげるために投げた空のボトルを、その子供が拾う前に大人が押しのけて
拾ったのを見て、わざわざブレーキをかけてもどり、「それはその子にあげたんだから返してくれ」と言い、周囲にいた観衆から拍手が巻き起こり、結局それが
影響して遅れてしまったというエピソードもこのロードレースという競技を物語っている。
復活した時のランス・アームストロングの走りに私は感動した。その時はまだドーピングの疑惑はなかったのだが、今でもその感動はあまり変わっていない。そ
れはその走り自体がドーピング云々だけではどうしようもない力強さをちゃんともっていたと思うからだ。
100年という長い間続き、多くのファンに支えられているレースなのだ。どの選手も噂に振り回されずに走りきって無事、凱旋門まで還ってきてもらいたいも
のだ。(hayasi
keiji,13/7/20)
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