今回のコラムは少々古いも
のを取り上げる。最終更新日が2010年7月24日なのでそれ以前に書かれた事になる。「草稿」としたのは未完成(その意味においてはどれも未完成である
と思う)という意味よりもむしろ、未発表のものと
いうのに近い。それに一切の手をつけずにアップしたかったということでもある。その時考えていたものをそのまま載せて、後から見比べて考えたい。よって後
々これらを生かして新たに書く可能性もそのまま保存したい。(2011/8/23 hayashi keiji)
草稿 「音楽学と歴史学」
今回は学問の話です。学問というのは大抵の場合、社会や文化に対してメタ的、つまり構造をあらわ
にするような役割をしています。
取り上げるのは2つ、音楽学と歴史学です。
1.音楽学
まず音楽学、音楽学というのは音楽とは何かということを学ぶものです。
音楽学がなぜ必要なのかというと
私たち音楽家が自分がどんな音楽をやりたいのかを考え
それを明確な言葉つまり音にするために必要なのです。
たいていの音楽家(クラシックからJ-POPにいたるまで)は、
ほとんどそういったことを意識することなく作曲し演奏しています。
それがだんだんと現代に至って度合いを強めています。
作曲技法を勉強しても最先端の末葉の表現方法でしか表現しようとしない人たち(現代音楽や、メディアミックスのような最先端技術をアートと称して自己表現
とごっちゃにする人たち)か、
何も考えずに、大抵は「こういうの良いよね」というような
みんなの音楽を作ってみんなと共感したいだけかどちらかです。
自分は何をしたいのか それに基づいて、明確な語法を勉強して、
勉強しなくても自分で自分の作っているものを観察して追及するそういったことをして
自分の音楽を作っていく方がいいです。
なぜかというと、こういうの良いよねと共感してもらいたいか、
最先端を追求するのが目的であってそれを達成できれば手段は「音楽」でなくても良い場合が多いからです。
だからすぐ飽きられてしまいます。
2.歴史学
さて、歴史学ですがこれも同じメタ学問です。
歴史とは何かということを学ぶわけです。西洋史や日本史とは違います。
「歴史」とは何かです。最近教科書問題で日本と韓国が合同で東アジアの歴史を研究をしています。
そのニュースを聞いてこれは歴史学の話だなと思いました。研究者の姿勢がそれぞれの歴史認識を「まあ、それはおいておいて」
と一度客観的にその構造全体を見直す地点まで戻っているからです。
ウィンドウズとマックの両方で使えるソフトを作るために、それぞれで同じ役割のソフトをつくっていた開発者が
「まあ、このソフトはおいておいて」と一度プログラム言語まで戻る。そういうことと似ていると思います。
なぜ歴史学が必要なのか。
それは今自分のいる場所。時間や空間はどういったものなのかを明確に知るためです。
歴史というのは得てしてその国の人がその国の視点で紡いできたわけです。大抵の場合外からの視点は導入できていません。
それは仕方のないことだと思います。でもそのことによって間違った共通認識が生まれることも多いです。
学校のクラスでいじめが発生したときにそれを中から明確に指摘できる人は少ないし、たとえ指摘できたとしても、大抵はいじめられる者リストに新たに追記さ
れてしまいます。
まして、海外との問題になれば、それを言うことは自分の帰属する最も大きな「国」から、苛められるリストに入れられる事になります。それは国民全体の世論
や、場合によっては国の機関であったりするわけです。
日本はいわゆる「空気」を重んじるから余計にそうなります。
歴史学はそれをずーっと前の視点に戻して「うちらの歴史の見方ってどうなのよ?」と問う訳です。心情的には良く分かるけど、ちょっと待って一回考えてみろ
よという訳です。やはりこういうことは必要だと思います。
歴史学は歴史を眺めるわれわれの目の使い方、その見方を学ぶものです。
日本の歴史の見方は特に単一的です。しかもこの小さな国を守るために、空気まで保って共通認識にしていきます。
それに対して、ヨーロッパの国々はすぐ隣に違う国が張り付いています。オーストリアやチェコのように四方に海がなければなお更です。その国境が長い歴史の
中で生き物のように動いてきました。当然そこに住む人々のいろいろな見方が入り混じっていきます。それでも国家の価値観や文化はそれはそれとして生き残っ
てきました。
その中で高度な歴史学がすぐに作られたかというとそういうわけでもないはずです。多分いろいろな人々が
いろいろな視点から見たものを持ち寄って議論し生まれていったわけです。私たちもそのようにいろいろな視点から見たものを
一度見直す機会をじぶんに持たせておくことが重要ではないかと思います。
こうしてみると「一度見直す」という行為がとても大事なのだと思えてきます。
一度見たものを再度見直す。つまり見ることを意識的に行うということだと思います。
それは先入観をなくすことにとても役に立つはずです。 |