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コラム
 今回のコラムは少々古いも のを取り上げる。作成日が2010年7月28日、最終更新日が2010年9月14日(別の草稿「2つの想像力について」と同じ日付だがUSBメモリに移し た日付が同じ で、それ以降にやはり同じ日に更新したためと思われる)なのでそれ以前に書かれた事に なる。「草稿」としたのは未完成(その意 味においてはどれも未完成である と思う)という意味よりもむしろ、未発表のものと いうのに近い。それに一切の手をつけずにアップしたかったということでもある。その時考えていたものをそのまま載せて、後から見比べて考えたい。よって後 々これらを生かして新たに書く可能性もそのまま保存したい。ちなみにこのときのTシャツは結局購入した。(2011/8/23 hayashi keiji)  


草稿 「タイムラグと迷いの種 」

肉体の持つ知性の話から少し経った。

この話に関しても他のことと一緒で、自分の中ではすこしずつ自然に融解される疑問や、自然に開けてくる道のようなものがあって、ほっておけば進んでいたり する。そういうものだろうと思っていたらなかなか理解が進まない。

もうちょっと整理されるといいのだが…。

で今回はこれに少しばかり関係のある話。

この前のこと、ずっとほしいと思っていたTシャツがあって、年に一回受注生産で作られるものでその注文が受付中になっていたので、注文をし、確認のメール が返ってきた。送料手数料込みで4,550円。受付終了まではその時点であと2週間ほど。
このときの動作に迷いはなかった。

しかし1日たってなんとなくそんな欲しいわけでもない気がしてきた。
まあいいかと放ったまま1週間経ち、他の事で16,000円必要になった。

そのときにTシャツのことを思い出した。

「だいたいがTシャツで4,550円? ばからしい。Tシャツだぜ?」

でもまあ、受注生産だ。取り消すのも大変だろう。どうやらメールで問い合わせなくてはならないらしい、やれやれ。
だが受け付け終了はまだなのだから作ってないはずだ、取り消しは可能だ。
でも僕はこのTシャツをここ2年ほど買い損なっているのだ。やはり買っておくべきだ…。
しかしこのときふと、他の事に気がついた。

それは、僕がこんなに迷っているのはタイムラグのせいなのではないだろうか。ということに。


例えば、このTシャツを新宿の伊勢丹で売っていたとしよう。Tシャツを見つける。欲しいと思う。レジカウンターに持っていき、お金を払う。
待てよ?と思う前に買ってしまう。

確かに1週間あって冷静になってどう思うか。いらないと思う場合もあるだろう。
何でこんなものを買ってしまったんだろう?たかがTシャツに、と。

でも確かに僕は欲しいと思っていたのだ。それも2年もの間。それは本当のことだ。
つまり僕が言いたいのは、本当に欲しいと思っていたものすらタイムラグによっていらないものになることがあるということだ。

優柔不断という事とは違う。迷いなく買ったものがタイムラグによって迷いが発生し、覆される。このことは実は以前からインターネットショッピングの問題点 だと思っていた。あるいはインターネットや、電子メール自体の。

感情的なメールを送り、1日たって返信がなく後悔する。でもそんなことをするなら、電話か直接会って言えばいい。
タイムラグが迷いを生む。確かな感情を覆す。


あるいは、迷いは人の動きを鈍くする。思考はおろか、行動を停止させられる。

サッカー選手がゴール前でシュートを打つかパスを出すか、迷うとどちらもうまくいかなくなる。

これもタイムラグと迷いの話だが、この場合順序が逆で、迷いがタイムラグを生み、シュートあるいはパスをするべきタイミングから実際にボールを蹴るまでに 時間差が起こる。そのことによって、キーパーに阻止されたり、シュートコースがなくなる。また、正確に蹴ることができずにゴールマウスを超える。あるい は、パスに失敗する。

つまり迷い、体が思うように動かなくなる。

これは以前「肉体の持つ知性」論で引用した、内田樹の言う”居着き”と同じだ。


ではタイムラグと迷いにはどう対処したらいいのだろう。

迷い→タイムラグ これには以前書いた、アフォーダンスや石火の機で説明される、情報、行動を現場で処理するという方法でいい。

タイムラグ→迷い これにはどう対処すればいいか。これは、outtakeで書いた執着の問題と同じではないだろうか?

つまり、本当の大きさを変えてしまう。増大するのと逆で、縮小する。あるいは、欲しくないという感情を増大している。ということだろう。つまるところ、そ のことを考えすぎている。ということだ。

ということは、五感の作用を利用して執着を抑えれば、欲しくなってくるかもしれない。


今回のことで、僕はアウトテイクで書いた「旅の思想」と「肉体の持つ知性」論はうまく繋がってきた。

迷いはタイムラグを、そしてタイムラグは迷いを生む。

それを乗り越えるには、頭ではなく体を、五感を研ぎ澄ますしかないのかもしれない。といっても、どうすればいいのか。 忍者にでもなるために山にこもって修行するのか。今の世の中には、ジェームズ・ボンドは必要でも、忍者は要らない。

まあ、とくに論理的に進んだわけではないのだが、タイムラグというのはすこしだけ分かりやすくなった気がする。
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