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院生の独り言 |
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ある いんせい |
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私の常識は世間の非常識?? <2004/08/06> |
なんと・・・。こんなコーナーを担当することになろうとは! しかも独り言を公開せよとのこと! 朝の黒木瞳さんのラジオのように、5行詩なんか入れたりして? 自己紹介はおいおい・・・。あえて言わずとも、徐々に露呈するでしょう、私の人間性。ああ、恐ろしい。
先日、親友が我が家に来て、玄関に置いてあった老犬のトイレシートを発見。前夜、私が置き忘れたもの。「これは、郵便屋さんが目のやり場に困るから直そうよ」そう言われて片付けながら、私はふと10分前のことを思い出した。親友宅へ迎えに行った私が、玄関にところ狭しと置かれた靴を並べ、日々味をおとし乾燥しているドッグフードの開けっ放しの袋を見かねて、「封をしなっせ〜」と言ったこと。私達2人の感覚の違いは挙げればキリがない。
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アインシュタインが1903〜5年まで過ごした下宿先。ここで特殊相対性理論を生み出した。後年、「人生で最も幸せな日々だった」と話している。 |
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日本からの観光客の多くが立ち寄る |
私が「おいしいね」と言えば、彼女は「味がない」と言い、彼女が「ちょうどいいね」と言えば私は「辛い」と言う。買い物中も、私が明るい色の雑貨を手にすれば、彼女は「そんな派手なのは持てない。黒か紺か茶でないと」。しかしある時、彼女は好きなキャラクターの顔が太ももいっぱいにパッチワークされた縞々模様のズボンを履いて現れ、私を驚かせた。思い起こせば、知り合ったころ服で眼鏡を拭く彼女のクセにイライラして、またそんな些細なことが見逃せない自分にも嫌悪感。彼女は私のバッグのファスナーがしょっちゅう空いていることが気になって、よく指摘していた。一番気の合う親友ですら、この調子。何でも言い合える関係だからこそ違いに気づくものの、そうでない間柄の人を知らず知らずのうちにイライラさせたこともあるだろう。そして、自分も無理に合わせればストレスが溜まったり。
20数年間、自分も含めていろんな人を見てきたが、本当に人それぞれ。こだわりのあるところ、どうでもいいところが各々違って、人と話しているとそんなところを発見できて楽しい。相対性理論のアインシュタインはこう言っている。
『常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う。』(そう言えば一昨年、スイスのベルンで彼の住んだ部屋の前を通った。ぜひ寄ってみるべきだった。)
人は基本的に自分とは違う。だからこそ同じ価値観を発見すると嬉しい。社会が成り立っているのも、様々な文化があるのも、自分の苦手なこと、好きじゃないことを趣味や仕事にしている人がいるからこそ。これからもたくさんの人に会い、いろんな考え方を聴いて、自分を柔軟にしていこうと思う、今日この頃である。
さっきの親友とは、「これ私味ないけん、あんた好きど?」「あんたピンクは使わんけん、青ば買っとったけん。え?これなら赤でもいいと?」そう言って、違いを楽しめる関係が続いている。還暦を迎えるころも、お互いの「変なところ」探しを楽しんでいられたらいいなあ。
*出典:『アインシュタイン150の言葉』(ディスカバー21株式会社) |
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