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院生の独り言

ある いんせい
速報!!にしては遅いけど・・・水俣病関西訴訟最高裁判決体験記    <2004/10/28>

カナダの(下)を据え置きにして、“体験したニュース”を割り込ませます。


判決前に久しぶりの再会を喜ぶ川上原告団長(右)と、水俣からかけつけた坂本しのぶさんと松本勉さん(中央)

「私達にこれから何をしてくれるのか」患者の質問にゼロ回答の環境省の役人

環境省の空疎な答弁に苛立ち、長時間の交渉に疲労する原告側

水俣病関西訴訟の最高裁判決で上京したのだが、正直なところ、私は行くつもりはなかった。個人的に顔見知りの原告もいない私が最高裁に行って、長いこと支援している方々と席を同じくするのもおこがましい気がして・・・・。でも、「最後だから行こうよ。」という坂本しのぶさんと先輩の田尻雅美さんの誘いで、私の重い尻は持ち上がった。

なんでも、入廷出来るのは抽選で当たったごく少数だという。「私のが当たったら、しのぶさんにあげるよ。」そう言いながら係の人に渡された抽選券を見た。私は21番、しのぶさんは22番。田尻さんの「21は当たるよ。私の生まれた日だから。」という予言(?)どおり、私は当たった。しのぶさんに“当たりクジ”を渡して敷地内を去ろうとした時、谷さんが自分の当たりクジをくれた。その代わりしっかり聞いて、メモして来いとのこと。思いがけない入廷。私はメモ用紙の束を片手にしのぶさんと腕を組んで中に入った。空港なみのセキュリティチェックを受け、係員の視線にドキドキしながら歩いた。法廷の入り口に来て初めて、入り口で渡された券の番号が席順であると知った。私はしのぶさんの隣、一列目のど真ん中だ。14時45分、入廷後は退廷できないと言われ、トイレに駆け込んだ。女子トイレで、しのぶさんと席が離れて残念がっていたアイリーンさんと券を交換し、いざ入廷。私は二列目で、原田先生と川本ミヤ子さんの間だ。前にしのぶさんが座っている。14時55分、係員の説明後、皆が沈黙し、ピーンと空気が張りつめている。時折、乾いた咳払いのみが響く。私はとりあえず、傍聴席の席順をメモして時を待った。

15時、4人の裁判官が入廷。全員起立・礼の後、報道陣の写真撮影。パシャリ、パシャリとシャッターの乾いた音が響く。新聞の一面記事が頭に浮かぶ。メモはまだ空白だ。廷内の緊張感がピークに達した。15時3分、判決文が読み上げられる。「・・・破棄する。・・・棄却する。・・・変更する。・・・棄却する。・・・・・」

あっという間に終わった。英語のヒアリング同様、単語は聞こえても、文全体がどんな意味を持つのかが分からなかった。せっかくの判決を聞いたのに、喜んでいいのか、怒るべきなのかさえ分からない自分に、呆然としていた。周囲の人も、何の反応も見せない。起立の時、原田先生が「国の責任は認めたね」ぼそっと言われた。「えっ?」と溝口さんが聞き返したが返事がない。すぐ退廷を促された。原告席あたりから、女性の抗議の声が上がった。それを聞いて、「負けたのか?いや、しかし・・・。」頭が混乱している。しのぶさんは、泣き崩れる一歩手前。私は、しのぶさんの表情を見て、悲しくなって涙ぐんでしまった。確たる証拠もないまま落ち込む私達二人を見て、アイリーンさんが冷静に、いろんな人に聞き回ってくれた。

建物から出ると、原告団の方々が笑顔で話しながら階段を下りてくるのが見えた。「ひょっとして・・・?いや、本当に・・?」(そんなに落ち込まなくてもいいみたい・・・。)そんな曖昧な状態のまま、とりあえず歩いた。裏門で多くの報道陣の間を歩いた時も、社会文化会館で宮澤さんの分かりやすい説明を聞いたときも、原告の方々の笑顔に向けて拍手を送ったときも、「良かった良かった。」と言いつつ、一種のショック状態のままだった。その後行われた環境庁交渉では腹立つばかりで、とても勝訴を実感できずにいた。私が本当に勝訴の喜びを実感したのは、翌日の東京見物も終わった後、熊本に帰って参加した同窓会で、友人に「勝ってよかったね。」と言われた時だったような気がする。

この勝訴をどう受け止め、どう活かすのか。今、「ミナマタ」は再び動き始めた。明日も初申請のために受診する出水の患者に会う。「今こそ、動き出さねば。」そんな波が、不知火海に打ち寄せ始めたようだ。


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