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院生の独り言 |
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ある いんせい |
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終わりのない『命がけの闘争』―「水俣病出水の会」の総決起大会 <2005/02/09> |
●2005年2月6日(日)
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約80人の人たちが集まった
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出身の獅子島の世話役をしている滝下さん(中央・立つ人)の音頭でこの後シュプレヒコールを行なった
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もう3ヵ月近く前になるが、2004年11月15日、水俣病患者団体の「出水の会」は、総決起大会を行った。場所は出水市名護漁村にある「漁民の家」。当日は80人ほどの会員が集まった。
私と水俣病研究会の阿南さんは、翌日に行われる原田先生の検診で問診を手伝う目的もあり、総決起大会に参加した。風邪でぐったりしていた私は阿南さんの車に便乗して出水に向かった。当日会場に着いてみると、阿南さんは図らずも来賓として講演を頼まれた。また、司会をするはずの人が急に来られなくなったということで、私は司会をすることになった。阿南さんは、関西訴訟判決の意味などを分かりやすく説明し、津奈木町の松本医院の事務局・村上 真理さんは、申請のお手伝いをした感想を話された。様子を見に来られた水俣病患者互助会の谷さんも、出水の会会長の尾上さんに頼まれて行政の対応など近況を話された。
来賓挨拶の後に会員が数人、個人の体験や今の気持ちなどを述べた。水俣市在住のAさん、獅子島在住のTさんらが、これまでの辛い体験や今回の申請にかける気持ちを切々と訴えた。最期にシュプレヒコールで、獅子島で世話役をしている滝下さんが、「認定を勝ち取るまで皆で闘おう!」と叫ぶと、会員全員で「エイエイオー!」とかけ声を上げた。この決起大会において、会をあげて申請運動を行なっていくという方針が確認された。
この日、記名簿を回覧したら67名の記入があり、うち18名が今回初申請と回答している。しかし、明らかに以前申請したと私が知っている老人も「初申請」と勘違いして記入していたので、確実な人数は未だ不明である。
2時間程度の決起大会の後、私は翌日検診を受ける人々に聞き取りを行った。2億円もかけてイリコ製造設備を建設したが漁に出る体力がなく、設備を遊ばせ借金を抱えている漁師や、様々な漢方や民間医療を工夫して症状緩和に努力している元コンクリ会社社長と出会った。皆一口では語れない、それぞれの苦しみや努力によって積み上げている今の生活があった。新たな人に会えば会うほど、新たな水俣病患者像を知ることになり、そのつど新しい話が出てくる。彼らの口から語られる1つ1つの体験を、自らの研究材料として有効かどうかという価値判断で差別せずに、平等に、もらさず受け止めて行きたいと考えている。
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