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寄稿

大阪市立大学教授の畑 明郎さんが今年8月、10日間にわたって韓国の環境問題調査を行った結果を寄稿してくれた。その総括的な感想として、「日本の高度成長期の公害問題が激化しているようだが、公害被害者救済制度がなく、公害病認定制度が必要である。イタイイタイ病の患者認定では、日本の医学者の協力が必要だし、放置された鉱山を開発した日本帝国主義の責任も問われると思った」と、相互の現状認識が正しく行われれば日本側には“学習効果”を活かせば共同作業の可能性を示唆している。


韓国環境調査紀行
畑 明郎
高度成長と複合汚染−日本の高度成長期の公害問題発生に酷似
干拓事業の中止や高速道路取り壊しなどでは先鞭も

 2004年8月22日から31日まで10日間、韓国の環境問題調査に行った。文部科学省科学研究費補助金・海外学術調査研究「アジアにおける循環型社会の形成と課題」(研究代表者:北海道大学大学院経済学研究科教授・吉田文和)の一環として行なった。調査には、私のほか、坂巻幸雄氏(元通産省工業技術院地質調査所主任研究官)、姜永根氏(大周椛纒\取締役)、金恵珍氏(大阪市立大学大学院後期博士課程)、高島邦子氏(大阪市立大学大学院前期博士課程)および鄭城尤氏(北海道大学大学院前期博士課程)の5人が同行した。

 本稿では、[表1]の調査日程と、[図1]の調査地点に沿って紀行をレポートする。

[表1] 韓国環境調査日程
[図1] 韓国環境調査地点(ブルーガイド『わがまま歩き韓国』p.7に加筆)

1.釜山(プサン)金海(キンポ)国際空港から馬山(マサン)アリラン観光ホテルへ

 8月22日12時50分関西国際空港発の大韓航空機に乗り、14時15分に金海国際空港に着いた。1時間半程度で北海道や東北に行く国内便気分だった。空港で両替をしたが、1万円札10枚が1万ウォン札102枚とほぼ10倍となり、一桁多くなが狂った。また、レンタルの携帯電話を借り、ガイド兼通訳役の金さんが持つ。
 雨天だったが、空港リムジンバスに乗り、馬山に向かった。すぐに高速道路に入ったが、片側3車線以上の道路で日本よりも立派であり、国土の縦横に張り巡らされていた。現地で聞くと、「朴大統領時代にベトナム戦争に韓国軍を派遣した代償としてアメリカから補助金をもらい高速道路建設を進めたので、いわば韓国軍人の血て造った道路」という。
 国内を走る自動車の7割は現代自動車製で日本車はほとんど見かけなかった。中国や台湾と違って日本企業の進出は少ない。電気・電子製品でも三星(サムソン)やLG製が多く、わずかにKBSテレビのビデオカメラがソニー製だった。
 農村の風景は、水田や里山風景の日本と似ているが、住居は農村部ではレンガやコンクリート造りの平屋、都市部では鉄筋コンクリート造りの高層マンションと違っていた。里山には、土饅頭(古墳の原型?)のような墓が多数散在するが、韓国では先祖代々の墓はなく、一人ずつ土葬する方法なので、墓地が国土の1%を占めるという。
 1時間ほどで馬山駅前に着き、駅前の馬山アリラン観光ホテルにチェックインした。慶尚南道固城郡に先祖の墓があり、今回墓参りを兼ねて参加した姜夫妻は、21日にチェックインされていたが、「22日は雨天で墓参りできなかった」と在室だった。雨天で墓参りできない理由がよくわからなかったが、後で聞くと、「山中に10箇所近く散在し、雨天では山道がぬかるんで行けない」とわかった。姜さんの祖父は日本植民地時代に日本に来たので、先祖の墓は韓国にあるのである。
 馬山のホテル付近のレストランで、韓国料理を現地で初めて味わった。牛肉鍋料理だったが、さまざまなキムチ漬物の突出しがたくさん出た。キムチには赤唐辛子がたくさん入っていたが、そう辛くなく抵抗なく食べられた。以後、韓国各地のレストランでもステンレス製の箸とご飯茶碗が出たが、金泳三大統領の時に、箸のごみを減らすため金属性の箸にしたそうである。ビールを飲んでお腹いっぱい食べても、一人1万ウォン(1千円)程度であり、料理は安く、バス・タクシーなどの交通費も安かった。



2.慶尚南道(キョンサンナムド)固城(コソン)郡三山(サムサン)第一銅山調査
[写真1]三山第一銅山坑口跡から流出する坑内水
 今年6月に固城郡三山面でイタイイタイ病発生? の報道が、韓国内外でなされた。農地土壌や産米のカドミウム汚染と住民の骨疾患が見られたという。イタイイタイ病の研究を30年以上継続している私にも、韓国環境運動連合(韓国最大の環境NGO)やKBSテレビから現地調査の要請があり、急遽、訪れることにした。
 23日朝10時に馬山のホテルで馬山環境運動連合の李委員長らと会合し、李委員長らのマイカー2台に分乗して固城郡に向かった。固城郡は人口5万人程度の半農半漁の海岸地域であった。イタイイタイ病発生報道により、固城郡の農産物が売れなくなり、風評被害が出ており、現地に着くなり、現地農民代表らが会場に数十人集まっており、「馬山環境運動連合がイタイイタイ病発生報道のきっかけを作った」と猛烈に抗議された。
 結局、銅山付近の調査が困難となり、馬山に帰らざるをえない事態になった。しかし、鉱山前を通り、遠くから見る程度なら大丈夫だと、少人数による隠密行を取った。KBSのテレビ取材車も付いてきて、現地に人気がなかったので、三山第一銅山調査を実施した。 三山第一銅山には、二つの坑口、選鉱場跡、工場建物、廃滓堆積場(約75,000m3)などが残されていた。下部の坑内水には、底石が緑青(ろくしょう)で緑色しているほど硫酸銅が含まれ、pH5.9と低く、電導度は334μS/cmと高かったが、無処理で放流されていた。上部の坑口から排水はないが、廃滓堆積場の排水はあり、無処理で放流されていた[写真1]。
 韓国環境部・慶尚南道の周辺土壌汚染調査によれば、銅や砒素が基準を超過しており、カドミウムの基準超過はわずかだった。産米のカドミウム濃度は0.2ppm軽度であり、カドミウムよりも、砒素や銅の汚染の方が強いと思われた。
 なお、KBSテレビ取材車が蔚山まで3日間付き取材されたが、9月中に特別番組が放映されると聞いたので、「放映されたらビデオを送って欲しい」と依頼した。



3.慶尚南道陝川(ハプチョン)郡鳳山(ホウサン)金山調査
[写真2] 鳳山金山跡周辺の被害住民たち
 当初、三山第一銅山調査に2日間を予定していたが、大っぴらに現地調査できなくなり、馬山環境運動連合の崔さんのマイカーで韓国内で最も高い1ppm以上の産米が出ている鳳山金山を調査した。馬山から2時間以上かかる慶尚南道の内陸山間地で、陝川湖というダム湖の上流に鳳山金山跡があった。
 坑口は草木に覆われて分からなくなっているが、坑内水は無処理で流出しており、電導度は108μS/cmと若干高かった。水銀や砒素を使った金製錬所跡は水田になっていたが、カドミウム汚染米が検出されたため30cm覆土して水稲を植えたものの、農民らは30cm覆土では心配だと言うので、日本の土壌復元工法を教えた。金山下流の谷川敷に廃石が捨てられており、谷川水を潅漑した600m下流の農地でも1ppm以上の産米が出て、30cm覆土工事を行政が実施したという。
 地元農民代表の慶さん宅で中高年女性4人と話したが、4人とも腰痛、関節痛、神経痛、骨折など骨疾患を患っており、カドミウム腎症やイタイイタイ病の疑いがあった[写真2]。三山第一銅山周辺よりも鳳山金山周辺の方が、イタイイタイ病の疑いが濃厚だった。韓国政府の調べでは、900ヵ所にのぼる廃止鉱山があり、うち200ヵ所以上の廃止鉱山に問題があるという。全国的な廃止鉱山の詳細調査が必要とされている。


4.蔚山(ウルサン)広域市温山(オンサン)工業団地調査
 8月24日夜、馬山(マサン)から釜山(プサン)へ高速バスで移動し、釜山駅前のホテルにチェックインした。翌25日朝、釜山のホテルを出発し、蔚山環境運動連合専従者のマイカーに乗せてもらって、蔚山に向かった。
 蔚山は、1960年代に始まる韓国経済発展の先導地域で、韓国最大の財閥・現代グループの拠点であり、市北部に現代自動車、現代重工業などの工場が集中している。市南部の温山地区には、日本の四日市石油コンビナートを上回る大規模な石油化学・非鉄金属工業団地として、1980年代に開発が始まった温山工業団地がある。
[写真3] LG日鉱銅製錬所横の禿げた小山
 蔚山環境運動連合の事務所では、1990年代に温山でイタイイタイ病発生と報道されたが、イタイイタイ病や水俣病でなく、「温山病」と名付けられた複合汚染による公害病が発生したMBSビデオを見せてもらった。日本の水俣病研究者・原田正純氏も出演されていた。 温山病は非鉄金属製錬所付近で発生し、汚染源としてLG日鉱銅製錬所と高麗亜鉛製錬所が疑われたという。今回、LG日鉱銅製錬所は工場見学を拒否され、高麗亜鉛製錬所は「環境問題の質問をしない」という条件付きで工場見学を認められた。午後見学した温山工業団地では、LG日鉱銅製錬所横の荷揚げ港付近の小山は、樹木が弱っており、大気汚染の影響が見られた[写真3]。
 高麗亜鉛製錬所は、亜鉛43万トン/年、鉛20万トン/年、銀1千トン/年、カドミウム2千トン/年などを生産し、日本の神岡鉱山の生産量、亜鉛7万トン/年、鉛3万トン/年、銀40トン/年、カドミウム160トン/年などと比べて約6倍規模の大製錬所である。亜鉛電解工場を見学したが、神岡鉱山の亜鉛電解工場と同様、ベルギーから技術導入した設備で、6倍規模の大設備であった。


5.蔚山(ウルサン)広域市達川(タルチョン)鉄鉱山調査
[写真4] 達川鉄鉱山跡地の選鉱廃滓捨場とポンド
 馬山環境運動連合から「蔚山で鉄鉱山による砒素汚染が問題になっている」と聞いていたので、25日夕方に蔚山環境運動連合の案内で訪れた。鉄鉱石を採掘していた鉱山だったが、硫砒鉄鉱も含まれ、鉱山敷地内外が砒素汚染されたのである。鉄鉱石は、現代重工業や蔚山市の北にある韓国最大のPOSCO浦項(ホポハン)製鉄所などに供給されたという。
 調査団の何人かが迷子になったほど広大な鉱山跡地には、鉄分が多いために真っ赤な土、建物跡、坑口・比重選鉱場跡、選鉱廃滓捨場、ポンド(池)、露天掘り跡などが放置され、排水は無処理放流だった[写真4]。とくに、坑口・選鉱場跡の湧水は、電導度が767-788μS/cmもあり、かなりの汚染水と推定された。
 鉱山跡地横に高層マンションが建設中であり、付近の学校敷地土壌や下流の農地土壌が砒素汚染され、農地は覆土工事を行政が実施したという。鉱山跡地全体を住宅団地に開発する計画があり、蔚山環境運動連合は砒素汚染地域なので、開発に反対しているが、行政当局は開発を認めているという。
 なお、蔚山で原発増設が計画されており、蔚山環境運動連合は増設反対運動をしていた。


6.京畿道(キョンギド)梅香里(メヒャンニ)クーニー米軍射爆場調査
[写真5] 梅香里クーニー米軍海上射爆場の標的島
 8月27日朝ソウルを日借りタクシーで梅香里に向かった。梅香里はのどかな半農半漁の村だったが、クーニー米軍射爆場が陸上と海上に設置されていた。事故による住民死亡や騒音被害が深刻であり、住民の反対運動で陸上射爆場は2000年に使用中止されたが、海上射爆場は現在も使用中である。沖縄やグァムなどの米軍基地から飛来した戦闘機が、島の標的に爆弾投下する演習場で、大小二つあった島の大島が小島よりも小さくなってしまうほど、爆弾を投下したという[写真5]。
 住民対策委員長の全さんから反対運動を特集したKBSビデオや説明を受け、全さんの奥さんが経営する浜辺の海鮮レストランで海鮮バーベキューを戴いた。食事中も戦闘機が飛来し、毎日8時から22時までに200〜400回の爆撃があるという。浜辺は干潟で漁港もあったが、干拓事業や米軍射爆場のため漁獲量が減少したという。
 2004年3月に国家賠償訴訟の最高裁で勝訴し、2,300人以上の住民に総額130億ウォン(13億円)の賠償金が支払われ、その一部で平和公園をつくる計画であるという。2005年8月に韓国から米軍一部撤退の計画があるが、梅香里は、民家が近くにあり、射爆訓練には最適なので、撤退しないだろうという。


7.京畿道始華湖(シワコ)・工業団地調査
[写真6] 始華湖に残された干潟に集まる水鳥たち
 27日午後、梅香里から始華湖に向かった。始華干拓事業は、総延長12.6kmの締め切り堤防で干拓地9,400haと淡水湖(始華湖)6,000haを造成する計画だったが、締め切り後、始華湖が水質悪化し、淡水化を中止した。始華湖に残された干潟を陸地化する計画があるが、環境NGOは反対している。始華湖は、華城市・安山市・始興市の3市にまたがるので、NGOは連合して始華湖を守る運動を行なっている。
 始華湖は、20年前までは韓国最大の干潟で漁獲量も多かった。1970年代に海面を1m低くする工法で、1,000haの工場用地を造成する工事を開始した。その後の計画では、3,600haの農地と5,900haのレジャー施設用地を造成し、淡水湖から農業・工業用水を供給する。工事期間は1987〜94年で、堤防建設費に6,500億ウォン(650億円)、排水処理施設に4,000億ウォン(400億円)が必要だった。
 工場排水が無処理で放流されたために、淡水湖の水質が悪くなり、魚が大量に死んだ。工場排水処理施設を2ヵ所つくったが、水質は改善されなかったので、2001年に淡水化を止めて、内海と外海を隔てる水門を開けた。その後、魚や渡り鳥が戻ってきて、生態系が回復しつつある[写真6]。
 始華工業団地には6,000以上の中小工場が立地し、周辺に住む8万人に大気汚染や悪臭被害が起こっており、日本の四日市公害を研究中という。しかし、中小工場による大気汚染や悪臭公害は、阪神工業地帯と類似しており、現地は阪神公害地帯の再現のようだった。
 政府、自治体およびNGOで対策協議会を設置した。NGOは残された干潟の保全を主張しており、政府と産業界は干潟を埋め立てて工業団地にしたいと主張するが、NGOは公害汚染源が拡大すると反対している。
 27日夕方ソウルに戻り、固城郡三山第一鉱山周辺のイタイイタイ病発生? 問題に係わる学者・弁護士・NGOと会合を持った。


8.全羅北道(チョンラプクド)セマングム干拓事業調査
[写真7] セマングム干拓事業の総延長33kmに及ぶ締め切り堤防
 8月29日は、世界最大規模の干拓事業であるセマングム干拓事業を調査した。ソウル江南バスターミナルから朝出発の高速バスで約3時間かけて高速道路を南下し、扶安(ブアン)バスターミナルに昼頃到着した。「扶安セマングムいのちと平和の集まり」というキリスト教系の環境NGOメンバー2人がレンタカーで案内してくれた。
 セマングムのセは新しいという意味で、マングムは万頃と金堤の二つの広い農地から付けられた。セマングム干拓事業は、総延長33kmの締め切り堤防を築造し、28,300haの土地と11,800haの淡水湖を造成する世界最大規模の干拓事業で、諌早湾干拓工事の10倍規模である。1991年に着手し現在、堤防工事は90%以上完了[写真7]、水が滞留して内湖の水質悪化が目立ってきた。地元の漁師に取材したところ、「干拓事業で漁獲量が激減し、最近はハマグリしか獲れず、そのハマグリもシーズンの約3分の1に減少した」という。
 当初は農地造成が主目的だったが、米余りで農地の用途変更が予定され、全羅北道知事はゴルフ場・カジノ・ヨットハーバー・テーマパークなどを誘致する国際観光都市建設へ換する構想という。セマングムには、辺山半島国立公園が隣接するが、半島沖合の蝟島に核廃棄物貯蔵施設を建設する計画があり、現在反対運動が行われていた。


9.ソウル市清渓川(チョンゲチョン)復元工事調査
 8月28日は、都市環境再生事業として世界的に注目されているソウル市清渓川復元工事を調査した。清渓川は、ソウル西北の山麓2ヵ所に始まり、都城の真ん中で合流し、ソウルの中心部を西か東に流れる延長約11kmの都市河川である。朝鮮王朝時代から都市下水路と化し、景観や衛生面の問題を根本的に解決するための最も簡単な方法として「覆蓋(川にコンクリートの蓋をする)」が、朝鮮王朝末期に計画された。清渓川の全面覆蓋事業は、1940年に日本帝国が「大京城計画」として確定したが、日本の敗戦で一部しか完成しなかった。朝鮮戦争後の1958年から覆蓋工事が始まり、1978年に全面覆蓋工事が完成した。
[写真8] ソウル市清渓川復元工事現場
 その後、延長約5.4km・道路幅約50m覆蓋道路を中心に商店街が立ち並び、交通量が増加したため、覆蓋道路上に高架道路建設が1967年から始まり、1971年に延長約5.9km・道路幅16mの高架道路が完成した。1992年に高架道路構造物の安全診断を行った結果、補修と補強が必要とされ、1994〜99年に全面補修・補強工事が行われた。1999年には、覆蓋道路構造物の安全診断の結果、老朽化が進み、補修・補強が必要とされた。
そこでこの際、老朽化した道路を取り壊して、清渓川を復元することがソウル市により計画され、効果として次の4点が挙げられた。
@都市型自然河川の復元による水辺文化空間創造
A歴史的文化遺跡としての清渓川復元
B環境にやさしいソウル市づくり
C都心経済の活性化
などである。工事費用は約4,300億ウォンを上回り、工事区間は約5kmに及ぶ大規模なものだが、現代的なデザインの護岸・橋梁工事であり[写真8]、NGOからは古い石橋の復元要求と、漢江や下水処理水の導水反対意見が出ている。ハンナラ党から次期大統領候補を狙う現ソウル市長の政治的野心事業との批判もある。


10.京畿道龍仁(ヨンジン)市の首都圏家電リサイクルセンター調査
[写真9] 首都圏家電リサイクルセンターで処理される冷蔵庫
 8月30日は、ソウル東バスターミナルからバスで約1時間南下した韓国民俗村付近の龍仁市にある首都圏家電リサイクルセンターを訪れた。同センターは、三星(サムソン)電子、LG電子、大宇(テウ)エレクトロニックスなど5社の大手家電メーカーが共同出資し、2003年5月に約200億ウォンかけて建設された。センターは、冷蔵庫・洗濯機が20万台と、その他テレビを除く小物家電を16万台の合計、年間36万台を処理する能力がある。設備としては、シュレッダーと選別機はドイツ製で、その他の機械は韓国製で、従業員は41人である。
 廃家電製品の回収ルートは、廃棄物法とリサイクル法により、消費者やメーカーからセンターに運び込まれる。しかし、韓国では、不況の影響もあって家電製品が廃棄されず、田舎で再使用されるので、廃家電製品が多く出ず、リサイクルされるのは16〜20%である。当初、リサイクルセンターは全国に8工場建設する予定だったが、4工場しか建設されず、同センターの稼働率は65%程度である。
 現在、冷蔵庫は10年前、洗濯機は8年前のものをリサイクル処理している[写真9]。有価物回収は、鉄、銅、アルミニウム、ポリウレタン、フロンガスなどであり、処理費用は、有価物回収で65%、メーカー負担35%で賄ってあり、同センターの月間維持費は2億ウォンである。なお、テレビとパソコンのリサイクルは、大邸(テグ)市のサムソンと梅香里付近のオリオン電気に委託している。


11.ソウル市景福宮(キョンボックン)・昌徳宮(チャンドックン)・国立中央博物館・ソウル大学訪問
 8月26〜30日の5泊したソウルのBIWOMホテルは、昌徳宮やソウル大学付近にあったので、調査の合間に昌徳宮やソウル大学、少し足を延ばし景福宮と国立中央博物館を訪れた。 李氏朝鮮王朝初代国王・李成桂が1395年に創建した王宮・景福宮は、1592年の豊臣秀吉による朝鮮侵略で全焼したが、第26代国王・高宗の父が再建し、1868年から王宮として再使用された。しかし、1895年に高宗の明成皇后が日本のヤクザにより宮内で暗殺され、高宗はロシア公館に避難した。1910年の日韓併合後、日帝によりほとんどの建物が取り壊され、宮殿の正面に朝鮮総督府庁舎が建設されたが、1990年代から朝鮮総督府庁舎は取り壊され、大部分の建物が復元された。
[写真10] ソウル大学医学博物館として残される京城帝国大学本館跡
 李氏朝鮮時代の1405年に景福宮の離宮として建設された昌徳宮は、1615年に国王がここに移り、以来約270年に渡り、王宮として使用された。建物の大半は原型のまま残され、1997年に世界文化遺産に指定された。日本の皇室から政略結婚で朝鮮国王に嫁いだ梨本宮(李)方子が暮らした建物も残る。
 国立中央博物館は、景福宮の正面西方にあり、韓国の歴史的文物を収蔵している。玄関ロビーには、日帝支配前後のソウル市模型が常設展示され、日帝がいかにソウルを作り替えたかがよく分かる。常設展示物には、先史時代から古代日本と関わりが深い百済・新羅・任那の三国時代、高麗や李氏朝鮮時代までの遺物があるが、日韓併合時代にかなりの遺物が日帝に掠奪されたと聞く。
 ソウル大学は、日本植民地時代に京城帝国大学として作られ、日本が作った本館跡は医学博物館として現存する[写真10]朴軍事政権は、ソウル大学の学生運動に手を焼き、郊外に大学を移転させたため、現在、医学部と付属病院のみが残される。




【注】本稿は、『びわ湖通信』114、115、116(2004年9−11月)に連載されたものである。


*畑 明郎プロフィール

大阪市立大学大学院経営学研究科教授・環境政策論
1946年兵庫県加古川市生まれ、1976年京都大学大学院工学研究科博士課程修了、1976〜1995年京都市役所勤務(衛生公害研究所・環境保全室など)、1995年大阪市立大学商学部助教授、1997年〜経営学研究科教授(環境政策論)。
主要著書は、『イタイイタイ病』(1994年、実教出版)、『金属産業の技術と公害』(1997年、アグネ)、『土壌・地下水汚染』(2001年、有斐閣)、『拡大する土壌・地下水汚染』(2004年、世界思想社)。
役職に、環境学会副会長、環境会議理事、科学者会議公害環境問題研究委員会委員長、びわ湖の水と環境を守る会代表委員など。

[連絡先]
 〒588−8585 大阪市住吉区杉本3−3−138
 TEL:06−6605−2239 FAX:06−6605−2244
 E-mail:hata@bus.osaka-cu.ac.jp

*びわ湖の水と環境を守る会
滋賀県の環境NGOで会員約100人。その月刊紙が『びわ湖通信』。


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