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新本登場
生前最後の『水俣』、後世への“遺産”に
写真のみならず、解説文も一流の文章

桑原史成写真全集1 『水俣』
桑原史成


いまさら「桑原史成」をつたない表現で紹介する必要はない、と思ったものの、最近、接した若い人の口から「クワバラシセイってだれ?」と言う言葉を直接聞いたので、あえて蛇足と思いつつ紹介する。


表表紙
裏表紙
1936年に島根県津和野市の農家に生まれ、1960年3月、農業を継ぐために東京農業大学を卒業、帰郷する際、見送りに来てくれた友人が差し入れてくれた「水俣病」の記事が出ている『週刊朝日』を車中で読み、啓示というか、衝撃をうけ、農業でなく、大学時代に通っていた東京綜合写真専門学校でマスターした「写真」を生きる糧にしようと決心。両親を説得し、同年7月に初めて水俣入りした。当時、水俣病や水俣病患者を撮るという発想も、実行者もいなかった。熊本大学医学部の先生に連れられて初めて訪ねた市立病院の大橋という院長に面会した時も「写真で何ができるのか!」と一喝された。その時、桑原はとっさに公害の告発などという“キレイゴト”を言わずに、「生きていくための職業にしたい。その材料は水俣病以外に考えられない」と言ってしまった。しかし、それが事実上の突破口になり、以後、病院の出入りも、患者との接触・撮影も“認知”され、後出の多くのカメラマンの追随を許さない存在となり、つれて40年以上経過したいまも“水俣の桑原史成”というトレードマークを得ている。

その桑原史成が「自分が生きている間に出す最後の“水俣”でしょう」と語る写真全集(全4巻)の第1巻(第3回配本)がここに紹介する『MINAMATA 水俣』である。
全篇がモノクロ写真で貫かれている。桑原のモノトーンの世界の真骨頂である。通読すると、どれも馴染みのカットと思ってしまうが、氏によると、「3分の1くらいは初めて世に出すもの」とのこと。
それぞれは史実としても貴重な記録であるが、やはり桑原の写真はヒューマニティで貫かれていると改めて思わざるを得ない。あまり知られていないことだが、プロカメラマンとしては致命的と思われる片眼である。それゆえに、一つの目で二つ分、否、事象の奥に隠されている情念のようなものも見えたのかもしれない、とただ惰性で両方の目を開けている筆者は思ってしまう。

この写真集を紹介するのに、こんな駄文は必要としない。ただ、こういう写真集が出ましたよ。より多くの人たち、とりわけ若い人たちにぜひ見て欲しい―と呼びかけるだけでよいのだろう。しかし、「いま、この種の本は売れない。当初計画では全6巻だったけど、出版写真の意向もあり、4巻になる」との述懐を聞いて、思わず取上げさせてもらった次第だ(第4回は10月に『筑豊・沖縄』として刊行される)。

水俣病は1956年5月1日が公式発見日とされている。それから起算してもすでに48年。間もなく半世紀だ。にもかかわらず「解決」はされていない。第7章に「水俣で開かれた環境の国際会議」としてまとめられている。その悼尾は胎児性患者たちが表情豊かに踊る「水俣ハイヤ踊り」で締められている。解決への希望の灯と見るのは楽観的すぎようか。

中身はもちろんだが、表紙のレイアウトも印象的だ。表表紙は代表作の一つである、ある少女の瞳のクローズアップで、これだけならよくある本だが、何気なく裏表紙が上になっていたのを見た時、これまた著名なある患者のひん曲がった指と拳の写真がレイアウトされているではないか。表も裏もないという意図なのだろうか。

最後に、かねてからの想いであるが、カメラマンには写真はもちろんだが、文章も一流の人が多い。桑原史成の文章も一流である。じっくり読んで欲しい。写真と文章の総合芸術を桑原史成は完成しつつあると思う。


    ▼版型:菊4版/215ページ。
    ▼発行所:株式会社 草の根出版会
           〒112−0012 東京都文京区大塚3−4−13
           TEL 03−3943−9393
    ▼価 格:¥10,000(本体)

《お知らせ》
お申し込みいただいた方先着20名様に特典があります。
特典に関するお問い合わせ及びお申し込みは草の根出版会(担当:梶原)まで下記アドレスへ必ずE-mailにてお願いいたします。
gra@violin.ocn.ne.jp


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