筆者 独白

弊≪環っ波≫の前身と言える《さうすウェーブ》で《宇井純物語》を発信したのは1999年6月の第1回<特別鼎談>と第2回<軌跡―その1>だった。いまだから告白すると、その頃からこの企画に手をつけたことに後悔の念が強まった。その時点で50人を越える人にインタビューをしていた。そういう中で、「我が能力ではとても扱える人物ではない」と思い始めていた。そこに、自分自身が3本の心臓バイパス手術を余儀なくされ、途端に気力・体力、なによりも集中力が著しく欠如し始め、宇井さんご本人に「まああまり無理しないでくださいよ」と慰められる始末。元来、怠惰な人間なので、“一休み”は早晩“大休憩”となり、親しい人からは「ついに幻の《宇井純物語》か」と揶揄される。

しかし、取材だけは歯を食いしばって続けた。数々の写真はその成果と秘かに思っている。初期の頃からあの報道カメラマンの桑原史成さんには公私共にお世話になっているが、宇井純逝去の際も、この≪新・宇井純物語≫の場合も快く貴重な記録を提供してくださっている。感謝申し上げたい。

そして、誰よりも度重なる訪問・問い合わせ・古い資料の掘り出し、記憶の呼び戻し、さらには≪新・宇井純物語≫の題字の揮毫などをいやな顔一つせずご協力くださった紀子夫人初め美香・正之・修の家族のみなさんに感謝するところ大である。

弔辞、弔文の掲載・転載をお許しくださった柴田徳衛、宮本憲一、宇沢弘文、西村肇、菅井益郎の各先生、先鞭を切った「偲ぶ会」の【ルポ】を寄稿してくださった大牟田の藤木雄二さん、同じく「出前」の感動的な様子を知らせてくださった田嶋いづみさん、貴重な写真を提供してくださった竹馬の友の阿久津幸彦さんら多くの方々に支えられてのスタートでした。

支えられたといえば、(本人が書かないと仕事を進めないと脅すのでいやいや書くが)このホームページのレイアウトは気鋭のデザイナー、河村裕行君が持てる才能を発揮してくれた。それだけでなく、作業上ものすごいしわ寄せをさせてしまったことに率直に感謝する。因みに、彼には≪環っ波≫のほか日本環境会議(JEC)のホームページのレイアウトもやってもらっている。

―はじめに―で書いたように、この≪新・宇井純物語≫が完結するかどうかははなはだ心もとないが、気力・体力の続く限りゴールしたい。あるいはどこかで宇井さんに“追加インタビュー”をすることにならないように心したいと思っている。

最後に、より多くの方々から率直なご意見・ご指摘を寄せていただけることを期待して、今回の「独白」としたい。