はじめに

宇井純が逝った。それも、「予想」を遥かに上回る速さで。
そして、その死は多くの人たちに衝撃を与えた。宇井純が病んでいたことを知っていた人にも、まったく知らなかった人にも………。

ある意味であっけない死であった。また、別の意味では止むを得ない旅立ちであった。

不十分ながら、宇井純の“追っかけ”として、けじめをつけざるを得なくなった。宇井が亡くなったことで多くのマスメディアが彼の業績に賛辞を惜しまなかった。それらに登場した多くの識者の追悼文もその類いが多かった。しかし、“追っかけ”として冷静に考えてみると、人間・宇井純にも虚像と実像が並存していたことに気づく。それらに触れる時は、ある時は多くの宇井ファンのイメージを損ねることもあるかも知れないが、取材した限りの宇井純の虚像と実像を荒削りだが描いてみたい。正直なところ、何回でまとめることが出来るかはわからない。ゴールに辿り着くかもわからない。しかし、宇井純に捧げるバラード(小叙事詩)になれば幸いである。敬称略。文責は筆者にあることはいうまでもない。

宇井純 死して5ヵ月経過した2007年3月
【司 加人】
写真:自主講座「公害原論」の最終講義のときの宇井純さん。遺影に使われた。
=1986年2月5日  【撮影・提供:桑原史成】