独特の語り口で多くの人に感動与える

自らの水俣病患者としての体験を水俣病資料館で、語り部として独特の話術で語り継いできた杉本栄子さん(社会福祉法人「さかえの杜」理事長)が2008年2月28日、脳腫瘍のため水俣市の協立病院で死去した。69歳だった。
杉本さんは1939(昭和14)年、水俣市茂道の網元の一人娘として生まれ、3歳の頃から父・進さんに漁業を教え込まれ、最年少の網元になった。1959年、母・トシさんが「マンガン病」と報道されてから約15年、周囲からいじめを受け続けたが、網子として唯一残った雄さんと結婚、5人の男の子を授かった。
写真:環境被害救済日中国際ワークショップで水俣を訪れた宇井さんと談笑する杉本さん(左)=2004年3月19日、水俣・茂道で
69年、水俣病第一次訴訟原告団に加わったが、70年頃からは自らも発症、夫婦ともども入退院を繰り返し、74年に水俣病患者として認定された。その後も3年間の入院生活を余儀なくされたりした。
95年には水俣市立水俣病資料館で語り部として語り継ぐとともに、地元小学校などに「ファイア節」の指導に当たったり、胎児性患者・障害者の共同作業所「ほっとはうす」を運営する「さかえの杜」の理事長を務め、幅広い活動を展開した。「のさり(賜物)」や「もやい直し」などの水俣弁を駆使した語り口は多くの人たちに感動を与えた。時として、自らも感極まることもままあった。
2006年2月、上京の際、宇井純さんの入院先を訪れ、見舞った。そして11月、宇井さん死去の際は「無常を感じる。先生にはもっと生きて、ご指導を仰ぎたかった」と涙ながらに語った。
写真左:病室から出てきた宇井さんに飛びつく杉本さん(右)
写真右:談笑する(左から)桑原さん、杉本雄さん、栄子さんと宇井夫妻
=いずれも2006年2月18日、東京・港区の慈恵医大病院で