2004年7月は「天草の環境」にとって一つの転機になるかも知れない。月初と月末、同月内に2度天草を訪れた環ラスのカメラは“いろいろな顔を持つ天草”を撮る結果になっていた。
2004年7月の天草 〈上〉       ※下の写真をクリックして下さい。
東京/大阪から天草に入るのは福岡か熊本からの天草航空が最速。福岡からは30分という時間だが、スチュワーデスさんの手作りの機内紙は日本一ユニークでは? (福岡空港で)
天草にはなぜか、先端(?)エネルギー源が揃っている。その一つは悪名高き苓北火力。20年以上前に狭い島に反対運動を起こさせた。しかし、昨年、増設が行われた。 (苓北町)
もう一つは風力発電。これは五和町の町営で、近くの温泉施設へ送電している。いまのところ1基なので、遠目には景観の破壊は感じられないが………。 (五和町)
その昔、外国人との会話のための通訳(通詞)が住んでいたことから付けられた通詞島へはこの「通詞橋」を渡らなければ行けない。 (五和町)
通詞橋を渡って、すぐ西側へ折れたあたりには無数の漁船がもやっていた。岸壁ではアジやイワシのみりん干しが漁村風景を構成していた。 (五和町)
ちょうど400年前に築城され始めた富岡城だが、天草・島原の乱では一揆軍の攻撃を受けて破城。そしていま、白無垢の姿で生まれ変わった。 (苓北町・富岡城址)
国道324号線を西へ向って走り、通詞島を右手に過ぎたあたりに“おっぱい岩”の看板が目に入る。多くのドライバーは急ブレーキを踏むが、実は特定するのが難しい。 (苓北町)
「天草」とキリシタンは“弾圧”という悲惨な結果となるが、その代表的なメモリアルがこの町山口川にかかる祗園橋。一揆勢と唐津軍の死闘で橋が血に染まったといわれる。国指定の重要文化財で優美なアーチだが、秘めた物語は悲しい。 (本渡市)
その一揆軍を指揮したのが神童・天草四郎時貞。1637(寛永14)年、弱冠15歳で総大将に推され、農民などキリスト教信者に信任された。一体、天草に何体の四郎像があるのだろうか? (五和町・鬼池港で)
天草下島の国道389号線、いわゆるサンセットラインの景色は一級品だ。その代表格の「白鶴浜」はアカウミガメの上陸産卵地であった。しかし、海水浴場として整備された結果、それは過去形でしか表現できなくなってしまった。 (天草町)


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