1 那覇空港

2 オリックスレンタル

3 嘉手納基地周辺

国道58号線沿いの米軍基地

4 真栄田岬
1945年 アメリカに軍事占領
1969年
(昭和44年)
私事ですが  学生時代 友達三人で神戸港から関西汽船に乗って2日間かけ沖縄に.
パスポート・何本かの予防注射を受ける
1ドル=360円の時代でした。私もまだまだ元気がよく若かったなー
1972年 日本に返還    当時の総理大臣 佐藤栄作は後にノーベル平和賞を受ける

58号線沿いに北に向かって走り、長いながーいフェンスの内側はすべて米軍基地
嘉手納基地は極東最大の米空軍基地
町の83%を基地が占めている
米軍基地は犯罪・騒音・生活への規制と沖縄の人々は巨大迷惑施設とも考えられている
しかし一方では大きな地場産業であることも事実です
嘉手納町の基地関連収入は町の歳入収入の約三分の一を占める

サトウキビ畑を抜け真栄田岬へ、真っ黒に日焼けした若者たちがダイビングポイントに集まっている
私達もここで洞窟シュノケリングを体験することに
安全の為にとライフジャケットを着せられ、私 泳ぎ得意なのよと言いたいところでした・・・?
しかし 規則なので仕方がないか。
でも 今度は自由に潜ってみたいな。
ダイビングショップサザンリーフにお世話になりました。とても親切でさわやかな若者たちでした

停止  開始

岡山空港発 9:20→那覇空港着 11:15(岡山発は 一日一便)
JTA・B737−400 150席と小さい機種の飛行機で揺れが大きく少々怖かった。


憧れの沖縄に到着
まずはレンターカーのお迎えを探す
レンターカー利用者が多いのだろうレンターカー会社の多いこと

インターネットで調べた結果 オリックスが一番安かったので申し込みました
 3泊4日 ホンダ・フィット 18900円(免責含む

5 琉球村

旧花城家(築120年)
久米島より移築されたもの

のんびりと水牛が働く昔ながらの製糖風景

国王・大妃と記念撮影

おふざけチョンダラと
どこか間の抜けた顔・動作の獅子

沖縄風の口笛を吹きながら
最後はみんな参加しての踊りになる

6 瀬良垣ビーチ

今日のダイビングのポイントは瀬良垣ビーチで
ダイビングポイントはその日の潮・天候によって異なってくるようです

まずはプールで注意事項を聞きながらの練習
たくさんのことを一度に教えてくれるので、全部覚えられるかしらと心配しながら、
まずまず 一応のことは出来たが、しかしまだここはプールの中

主人は子供のころから、海に潜って魚捕って遊んでいたからか、案外と余裕のように見えた
私ときたら、水が入った時はどうすればよかったのかな などと復習をしながら泳いでいたので、
思い出さないと気になり、息まで出来なくなるような気がして
インストラクターに上がりたいと合図をしてしまいました。
這うように海の中を移動していたので、どのぐらいの深さを潜っていたのかハッキリしませんが,どうも私の身長ぐらいのところかな・・・?
今考えると もう少しリラックスしてもよかったかなと思う。まあ初めての体験だから仕方がないか、
なんとなく欲求不満のまま終わってしまいました。 

7 かりゆしマリオットホテル周辺

町の青年団のエイサー

沖縄各地の旧盆に行われる盆踊り「エイサー、エイサー」と言う念仏歌がその名の起こり
祖霊の供養を目的とした青年による躍動的な踊り

民謡酒場

万座毛

かりゆしマリオットホテル

8 首里城

隆起サンゴ礁の大きな断崖で、断崖の上には天然芝が広がっている。
18世紀初頭に琉球の王 尚敬がこの地を訪れた際に「万人が座するに足りる毛(野原)」称したので、

「万座毛」と名づけたという

万座毛のシンボル象の鼻を連想させる隆起サンゴ

隆起サンゴ礁の上に見られる常緑低木

58号線をホテルに向かい走っているときに見つけた小さな民謡酒場
外から見たら休みかなと思うような店だが、覘くだけでもと思い,覘いて見ると満員で今日はもうダメですと断られた
しかしそんなことで,くじけることは出来ません。遠くから来たんですから座れなくてもいいですから、見せてくださいと頼み込み、
嫌がる主人をつれて,あつかましく隅に立って見ることにしました。
そのうちワンステージが終わり、空き席が出来、座ることが出来ました。
そこからは主人の出番 泡盛を飲むこと飲むこと、近くにいた若い女の子をつかまえて楽しそうに、話に盛り上がっていました。
やっと 沖縄の人たちと触れ合うことが出来て、沖縄に来た実感が湧いてきました。

2005年4月オープンの新しいホテル
ホテル代の高いのとレストランの夕食代の高いの以外は合格点です・・・

円比屋武御獄石門(そのひゃんうたきいしもん)
国王が各地を巡行する際に安全祈願をした拝所

首里森御獄(すいむいうたき)
首里内に100の御獄があるがここだけは男子禁制である
その日 御獄の前で若い女性がお払いを受けていた。

守礼の門を抜けて、いくつもの門をくぐり、本殿まで1時間20分ほどゆるい坂道を歩いていく

9 識名園

10 ひめゆりの塔

11 国際通り

首里城は琉球王国が統一(1429年)し、1879年の琉球処分による王朝破壊に至るまで、国王の住まいとして
国王の政治・外交・祭祀の中心地としていくつもの歴史の舞台となった。

             育徳泉
池の水源のひとつ。
琉球石灰岩を「あいかた積」にした
美しい曲線の石垣で囲まれている

琉球石灰岩で造られた石垣

御殿

六角堂

琉球王朝の別邸

琉球石灰岩で造られた中国風の石橋

小さな島に浮かぶ六角形のあずまや

中国の影響を受けながらも
琉球独自のデザイン持っている

県立第一女学校・沖縄師範学校女子部の生徒222人と教師18人が動員されたのは、
1945年3月 終戦5ヶ月前だった彼女らは南風原陸軍病院に配置された。
しかし戦況が悪化すると負傷兵はは増え続けて学徒達はその世話に追われて寝ることも出来なくなる。
さらに衛生用品や薬も足りなくなり、傷ついた兵士には自決を促す青酸カリや手榴弾が配られた。
5月下旬に陸軍病院を出たひめゆり部隊は最南部へと移動し、
現在のひめゆりの塔がある伊原第三外科壕で看病を続けるが、
アメリカ軍の砲弾により219名の学徒と教師が犠牲となった。

ひめゆりの塔には多くの花が供えられ
神妙な顔をして若い子らがお参りしていたのが、印象的でした。

伊原第三外科壕 この小さな壕の中で負傷した兵士や看病していた
女学生たちがいたのかと思うと・・・・・・・

蛇皮線を弾きながら沖縄民謡を聴かす

琉球ガラス店

角満漆器店 (只今バーゲン中)

民謡酒場

国際通りから一本入った道に
おみやげ物やら日常の食料品が売られていた。
有名な公設市場は
この日 お盆休みでお店が閉められていた。
近頃は庶民の市場と言うより、
観光地になって値段も高くなったので、
沖縄の人たちはここでは
あまり買い物をしないそうです。

   3泊目の ナハテラス
こじんまりとして清楚で静かなホテル

国際通りにある居酒屋で
前の店より、本格的な民謡を聞かすのだが
居酒屋は和気藹々として
ざわざわとした雰囲気のほうが面白い

世界遺産

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大きな地図に

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