山荘だよりVol. 14


<Vol. 14の内容>

○東京デザインセンター 桜の宴 & デンマーク木製家具職人展゛WHITEOUT″

○小海町高原美術館 ゛フインランドと日本の生活デザイン展『木の椅子』″

小海フインランド協会設立  会員交流会

○小海フインランド協会設立1周年 (12/17 '11)

○見て触れて体験して学んでよくわかるデザイン展 於:小海高原美術館(11/26 ’11)

○フインランドのくらしとデザイン 於 宇都宮美術館

○第11回フインランド夏至祭 於 小海松原湖(長湖)

○文人墨客が愛した富士見高原に、足跡と風景を訪ねる。昼食は感嘆のイタリアン
“Osteri agiato" (11/9 '11) 

○島崎信+織田憲嗣が選ぶ ハンス・ウエグナーの椅子展


<御上りの東京見て歩き>

○島崎信+織田憲嗣が選ぶ ハンス・ウエグナーの椅子展

○フインランド独立記念レセプション 於フインランド大使館

○森と湖の国 フインランド・デザイン展 於サントリー美術館

○フインランド色に染まる東京ミッドタウン ガレリア


マリメッコ展 Bunkamura ザ・ミュージアム(12/19 ’16)






   東京デザインセンター  桜の宴   Cherry Blossom Party 2011April 8(Fri)18:00〜21:00      
 &
 デンマーク木製家具職人展 ゛WHITEOUT" 
 
    

例年4月に五反田駅前の東京デザインセンター裏手の堤にある桜を愛でる観桜会を兼ねた宴が開催される。
昨年は参加できなかったので、新たなデザイン発見を求め出かけることとした。

これに先立ち、折角の上京とあって、渋谷Bunkamura ザ・ミュージアム
フェルメール<地理学者>とオランダ・フランドル絵画展へ。

ここまで来たら、近くの神山町で印刷会社を営むN君に昼食を一緒しよう、出てこないかと連絡するも、家にお邪魔することに。
夫人の歓待に甘え、大きな海老天が3尾も盛られた天ぷら盛り合わせでお昼を頂く。
久しぶりの近況交換に花が咲き、予期せぬ楽しい時間を持つ。

フェルメールの゛地理学者"は本邦初公開。ドイツフランクフルトのシュテーデル美術館所蔵の逸品。
この美術館は、ネーデルランドに近いこともあり、17世紀のオランダ絵画とフランドル絵画の見事なコレクションを所蔵。
今回は95点が選られ、東京初上陸、二度と見られないと思われる貴重な機会を得ることができた。
平日の幸運で、比較的ゆっくりと鑑賞することができた。

東京デザインセンター桜の宴では全館が、「生活を豊かに彩るラインアップ」を掲げ、この春の最新情報を公開。
各階とも飲食が準備され、多くのバイヤーが歓談、賑わいをみせた。

  

     
N君宅でご馳走になった天ぷら盛り合わせ昼食  仰ぎ見るシンボル金属馬彫塑 イタリアのモダン彫刻家
ミモ・バラディノ 作
ベランダからの桜の眺めと宴 
     
     
PP130Circle Chair, PP124Rocking Chair、
PP19Teddy Bear Chai
 ペンダントライト 
CaravaggioP by CecilieManz
 PP124 Rocking Chair 
by Hans J.Wegner
 1984
     
     
Sinope P by Strand+Hvass  6階のFREDERICIA社コーナー  ペンダント CaravaggioPシリーズ
 by Cecilie Manz
     

 
デンマーク木製家具職人展
                       ホワイトアウト WHITEOUT  2011年4月2日〜8日(金)

デンマークでは1981年から毎年秋に、木製家具職人たちによる新しい椅子の展覧会が開催されている。2010年(秋)にデンマークで
公開された展示が、初めて海を渡り、東京デザインセンターで1週間だけ公開された。


今回のテーマカラーは「白」です。「ホワイトアウト」と言うテーマには、白い色という意味だけでなく、雪や霧、もやの中で周囲が白一色になり、視界が幻惑される気象現象という意味もあります。しかし38脚の80x80x120cmの白い椅子が一堂に展示される様は、幻惑されることなく見事な光景となるでしょう。

協会のメンバーとゲスト展示者は、スノーホワイトというコンセプトから、技術的なチャレンジ、デイテールへのこだわりなどを凝縮し、遊び心に満ちた38脚のプロトタイプ(作品)を生み出しています。

世界的に高い評価を得ている、ナナ・ディッツルのトリニダード・チェアー、ポール・ケアホルムのPK24、ハンス・J ・ウエグナーのサークルチェアーも、みな[
デンマーク木製家具職人展」に実験的な試みとして発表されたものです。

「デンマーク木製家具職人展」は、組織や政府機関、出資者から独立した家具メーカーとデザイナーによる非商業的組織として1981年に設立され、年に一度、革新的な家具のプロトタイプを創作し、発表することを目的としています。

この展示会に発表された作品が、デイッツエルやケアホルム、ウエグナーの椅子のように名作として評価されるかどうかはわかりませんが、商業的な規制を受けることがない「デンマーク木製家具職人展」が、長年にわたりデンマークの現代家具デザインの最高峰であり、これからもそうあり続けることは確かです。

{ホワイトアウト」をテーマにした「デンマーク木製家具職人展」は2010年10月にデンマークで開催されたものです。
東京は、アジアのデザインの中心地。また、デンマークの家具が高く評価される都市であることから、デンマーク家具デザインの新しい可能性を発表するのに最もふさわしい場所として選ばれました。

展示会場を提供してくださった東京デザインセンター様はじめ、このエキサイティングな展覧会の開催を支援してくださったたくさんの関係者の皆様に心から感謝いたします。

「デンマーク木製家具職人展」は、デンマーク皇太子フレデリック殿下の後援を受けています。

●お問合せ
 デンマーク大使館広報担当:イェンセン・イェンス(Tel 03‐3496‐3001E-mail:jensje@um.dk) 詳細:www.se-design.dk  
-開催にあたってより−




     
07 CHRISTIAN FLINDT CO. DESIGN STEFFEN SVENDSEN
   ‐LIGHTBLOCK CHAIR‐ 


左より
37 MONIQUE ENGELUND & MATHILDE WITT MOLHOLM
   ‐THE WOODEN CHAIR‐
38 ASA ALM‐ EDDY‐
34 KR/KNUT BENDIK HUMLEVIK CO-DESIGNER KROJGAARD
   ‐LEEWARD‐
33 JONAS LYNDBY JENSEN TEXTILE JACOB BILLE
   ‐SNOWSHOE‐
 
左より
25 STEEN DUEHOLM SEHESTED‐∞ INFINITY‐
28 TROELS GRUM-SCHWENSEN ‐SNOWMUSE‐
35 MARIE BERRI ‐HAVE A SEAT‐
     
左より
21 MOGENS TOFT‐LOGCHAIR‐
04 BENANDSEBASTIAN‐THE INSIDER‐
01 ALEXSEJ ISKOS & BORIS BERLIN ‐FINANCIAL CRISIS OR
   !000 STRIPS‐
 
右より
20 MIA GAMMELGAARD‐HIPPO‐
19 LOVORIKA BANOVIC‐BELO‐
14 HOLMBACKNORDENTOFT‐KINBAKU‐
13 HANS SANDGREN JAKOBSEN‐STRECH-OUT‐
12 HANNES STEPHENSEN‐ASK/ASH WOOD‐
30 CLAUS JAKOBSEN‐LEVELS‐
32 JAKOB JORGENSEN‐GRID‐
15 JEREMY WALTON‐WE LOVE FREEDOM‐
 
右より
24 POUL CHRISTIANSEN‐HOLY HUG‐
05 CARLO VOLF‐RUDOLF‐
09 CLAUS BJERRE‐BLASTED‐
31 DOGG GUDMNDSDO & RIKKE RUTZOU ARNVED‐WOOLLY‐ 
27 TORBEN SKOV‐MINIMALIST CHAIR‐
03 ANDREAS LUND & JACOB RUDBECK‐CONUS CHAIR‐
02 ALEKSEJ ISKOS & BORIS BERLIN‐BRIDE‐
11 ERLING CHRISTOFFERSEN TEXTILE/HANNE VEDEL‐EASY
   CHAIR‐
 
     
左より
06 CECILIE MANZ‐LOTS OF PAPER‐
15 KAREN KJERGAARD‐WHITETUBE‐
25 THOMAS E. ALKEN ‐MELT‐
23 PETER JOHANSEN‐DISSOLVING CHAIR‐
17 KNUD HOLSCHER & PER KRISTIAN DAHL‐EASY CHAIR ‐
 
右から一つおいて
29 CHRISTIAN LILJENBERG HALSTROM‐COVER-UP‐
35 LINE DEPPING‐PIP=SQUEAK‐
18 LISE & HANS ISBRAND TEXTIEL/HANNE VEDEL‐JUMP‐
22 NIELS JORGEN HAUGESEN‐SECRET‐
08 CHRISTINA STRAND‐BLIZZARD‐
10 DITTE HAMMERSTROM‐OUT OF FOCUS‐
 
 







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フインランドと日本の生活デザイン展『木の椅子』 
於:小海町高原美術館 2011年4月16日(土)〜7月3日(日)

フィンランドと日本の生活文化

主催:小海町高原美術館
共催:小海フインランド協会(The Koumi Suomi Association)
企画協力:NPO東京・生活デザインミュージアム(Lidem TOKYO)
企画監修:島崎信(武蔵野美術大学名誉教授)
協力:織田憲嗣、吉野宗裕、守屋晴海、Artek,北欧家具talo,株式会社コアド、株式会社永野製作所
後援: フインランド大使館
        北欧建築・デザイン協会
            社団法人日本フインランド協会
            日本フインランドデザイン協会
 

                                  

                               ― 開催にあたって―

日本から遥か西に位置するフインランド。実は日本に意外に近いということをご存知ですか?
国土の広さは日本とほぼ同等の小さな国、隣国である大国ロシアの脅威、敗戦国となった先の世界大戦での境遇、どん底からの驚異的な経済発展、豊かな自然に育まれた穏やかで控えめな国民性、日本人にとって親近感を抱かせる共通要素がいくつもあります。

文化的な側面からみても、国土の大半を占める森林が、木の文化を生み、古くから人々の生活に密接に関係してきたことも同じです。
また、デザインというものが日常生活に根付いてきた20世紀半ばからは、数多くの木による生活デザインが生み出されてきました。
ハイテク産業が発達し、生産性、効率性が求められる現代においても、木製品が消えることなく生み出され続けているのは、
工業製品に取って代わることのできない価値があるからです。

本展覧会は、日本人も当たり前のように使ってきた<木>の日用品、特に<椅子>にフォーカスし、フインランドと日本両国の名作といわれる椅子から今日のデザインまで、生活者の視点でご紹介します。

会場では、『フインランドと日本の:生活文化』から始まりますが、日本人にも馴染みの深いサンタクロースやムーミン、小海町のシンボルキャラクターであるプティリッツアも登場します。

次に『フインランドの名作から今日までの木の椅子』、『日本の木の名作椅子』と続きます。
そして、本展覧会のメインとなる『日本の今日の木の椅子』では、次の時代を睨んで様々なアプローチをしている作家達の、新しい哲学をご紹介します。
                                               −企画監修 武蔵野美術大学名誉教授 島崎信− 


 
<展示内容−出展目録・冊子より>


○フインランドと日本の生活文化  

フインランドの糧は森、 日本の"自分流"文化、 サウナ好きと風呂好き、 フインランドと小海町、 愛されるキャラクターたち 


○フインランドの木の名作椅子 
20世紀初頭、バウハウスによる機能主義が近代デザインの潮流となり、コンクリートや鉄骨、ガラス、金属パイプなどの新素材を用いるデザインが注目されていました。

当然、フインランドもその流れの影響を受けましたが、1930年代を境に、アルヴァ・アアルトがフインランドの伝統と風土が生んだカバ材を用いて、金属パイプが見せるミニマルな家具を木材でつくるようになります。

簡素で機能主義的なデザインでありながら、金属やガラスなどの冷たく無機質な質感とは異なる温かさがあるのは、「木」が自然の素材であり、長い間親しんできた素材だからに違いありません。

デザインされてから半世紀以上経た今でも、生産され続けているのは、優れた造形力も去ることながら、人に対する優しさ、温かさを持った、「木」という素材そのものが、デザインをタイムレスなものにする大きな要因の一つといえるでしょう。

Alvar Aalto: Stool60, StoolX600, Chair65, Chair612 ,  Antti Nurmesniemi: Sauna Stool,
Ilmari Tapiovaara: Pirkka Chair, Pirkka Stool, Domus Chair 以上3作家。


○日本の木の名作椅子
1950年代、第二次世界大戦で敗戦国となった日本をなんとか復興させようと、国民全体が経済発展のためにエネルギーを費やしてきました。
そんな偏った時代の中、まだデザインという言葉もほとんど知られていない日本に、質の高い生活を送るためにはデザインが必要だという
信念を持った若い先駆者達が乏しい材料に思いを込めて、デザインを生み出しました。

世界各地で学び、影響を受けた当時の若いデザイナー達も、帰国後、日本の生活に合うデザインを試行錯誤しながら研究、開発を繰り返しました。
その結果、彼らによってデザインされた商品群は、生活者の使用する質の高いプロダクトとして売られ続けています。
時代が流行に流される社会環境に変わっても、今も昔も人々の生活の本質は変わっていないのです。

川上元美: CCC、 佐々木敏光: 森のことばSN220A、 長大作: 低座椅子、 豊口克平: スポークチェア
ジョージ・ナカシマ: コノイドチェア,  松村勝男: イージーチェア、 水之江忠臣: チェア、 柳宗理: バタフライスツール 以上8作家。


○フインランドの今日の木の椅子
エリエル・サーリネン、アルヴァ・アアルト、イルマリ・タビオヴァーラといった偉大なデザイナーを持つ、フインランドの今日のデザイナーにとって、それらを超えることは至難の技かもしれません。

一見、不遇の時代に生まれてしまったかのような印象を覚えますが、逆に考えれば、良いお手本が身近に存在するわけです。
ミニマルな中にも有機的な雰囲気を持って居るデザインは、フインランド特有のものと言っても過言ではありません。

半世紀以上に渡り蓄積された伝統と技術は、今回展示している椅子をご覧いただければ、確実に現在のデザイナーに受け継がれていることが
わかるでしょう。

Kari Asikainen: Pikku Kari、 Harri Koskinen: Lento、 Juhani Manne: Child Chair,Child Stool
Kari Virtanen: KVJ1 Jakkara,KVLT1−2−3 Nalle, KVT1Periferia, KVT2Periferia, KVT3Periferia, KVTT1Terassi, KVTT2Terassi
以上4作家。


○日本の今日の木の椅子
今日までに、効率や消費を優先して作られる量産品は、数え切れないほど産み出されてきました。
それとは対照的に、作家と言われる、工房単位でこだわりを持って椅子作りをしている作り手たちがいます。
作家という言葉からはアーティストというイメージを連想しがちですが、ここでフォーカスするのは、必要以上の芸術性や趣味性からは距離を置き、
量産品とは異なる角度から社会に関わろうとしている、新しいタイプの作り手たちです。
それぞれが独自の工夫と努力を重ね、十分に日常の生活の中で機能し、人の手によって作られる上質な家具は、使う人の心を育て、日々の生活を
豊かにしてくれるでしょう。そして、木を愛する作り手達が、ものづくりを通して、積極的に社会に放つメッセージを感じとってもらえれば幸いです。

朝山隆: コンパス、 伊藤嘉康: YHT-21、 猪俣一博: Wood crystal チェア、 上山隆久: ラウンドアームチェア、 木内明彦: ベンチ
坂本茂: YURAGI、 杉村徹: 板足スツール、 須田修司: ouranos chair、 高村徹: ハイバックベンチ、 永野智士: TNT1
野木村敦史: WAVE(ノックダウンスツール)、 藤井慎介: 欅拭漆片肘椅子、 古谷禎明: 欅拭漆椅子、 法嶋二郎: Beetle Chai
迎山直樹: T-chair、 森明宏: 桜竹籐スツール、 守屋晴海: ロッキング座椅子、 吉野崇裕: zenチェアー 以上18作家。


○小海町近隣のWood Workers
井出正、高橋敦、峰尾勝巳 以上3作家。


     
島崎先生が作品と作者を一人づつ紹介  家具研究所設立 武蔵美の講師でもある朝山隆さんのコンパス。 座面は籐、背笠木明るい皮がポイント、繊細で上品な雰囲気。 氏の作品は繊細なテイストのものが多い。開いた時に見せる、一見不思議な足の形は、折り畳んだ時の姿を美しくする為の工夫と言う。 
http://www.kaguken.com
     
構造エンジニア野木村敦史さんのWAVE(ノックダウンスツール)
氏は構造エンジニアの技術を、もっと身近なところで活かしたいと考え、家具作りを始めたと言う。 デザイナー、家具職人、構造デザイナーと、意欲的な活動をされる建築士である。
 http://www.smaut.net

   
     


 
   
     


 
館は安藤忠雄作品 正面入口から入った右が館入口 
     


 
正面入口を入った左手にCafe花豆  館全体を見渡す展望塔屋 
     
    Cafe花豆において出展者達との交流パーティー

小海町高原美術館http://www.koumi-town.jp/museum/

美術館レストランCafe花豆
Tel 090‐7171‐8526 有山
 




                     小海フインランド協会 The Koumi Suomi Association−

去る2010年12月18日に設立総会を開催し、活動を開始。
日本で16番目となるフインランド協会で、今後6月の夏至祭、フインランド映画会、ノルディック・ウオーク、
アート・デザイン関連イヴェントなどが計画されています。


                                      小海フインランド協会では会員募集中
                                      E-mail: koumi.suomi@gmail.com
                                      URL:http://koumisuomi.theme-site.com

                                   
 会員数 個人:67名、団体:6団体、協賛企業:1社(2011年10月20現在)  
                                      

               − フインランドと日本の生活デザイン展『木の椅子』のオープニング交流会−

     
  フインランドと日本の生活デザイン展『木の椅子』のオープニングのセレモニーのあと美術館内
Cafe花豆で交流会を開催、楽しく有意義な話題で夜遅くまで歓談。
 
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小海フィンランド協会設立1周年  12/17 '11


昨年の12月18日に設立され、丁度1年経過の今日、小海高原美術館内レストラン花豆において、理事会が開催され1年の活動を回顧し、
今後の活動方針が話し合われ、会議の後、忘年懇親会が開かれた。 
飲み物は会員が飲みたいものを持参、レストラン花豆の有山夫人のオリジナル色強い美味しい料理に舌ずつみ
加えて、会員から差し入れられたサーモンや
ほうずきジャムがテーブルに華を添える。

  
     
  会員丸山さんから送られたノルウエーサーモン   花豆特製の野沢菜の柚子味漬け
     
     
白菜のブルーチーズ、バルサミコ、クランベリー 漬け 
レストラン花豆オリジナル 白菜漬けとは違った爽やかな
酸味にクランベリーの仄かな甘味が美味しい
メインディシュは花豆のシンボル材料花豆のワイン煮が入った
 ハッシュドビーフ
  
篠原理事特製の食用ほうずきジャム 酸味も香りも十分

過日町並み歴史遺産見学ツアーで訪れた富士見町はじめ当地小海町でも食用ほうずきが栽培されている。
富士見駅前の井筒製菓では餡に食用ほうずきやサルナシを入れた大福が、予約をしないと買えない程の人気。
地元で町おこしでほうずき栽培をしている鈴木さんの農園ではデリケートな栽培手法を確立し、地元のフレンチレストランやケーキ屋へ納入していると言う。
鈴木さんは大手電機メーカーを中途退職し、自然を相手にする夢を実現、農園でほうずきやルバーブを栽培されている。
食用ほうずきは一年草と理解していたが、栽培条件が満たされれば多年草であると言う。
我がナーサリーでも来年4月以降に苗を購入し、試験栽培に着手したいと考えている。
<理事会協議事項>
1.2012年フインランドデザイン展
2.ムーミン展
3.ワミ谷地埋め立て計画に対する対応
4.夏至祭
5.フインランド訪問
6.その他
 
     
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 見て・触れて体験して学んで よくわかるデザイン展 於:小海町高原美術館
         〜宇都宮美術館所蔵品による〜 (11/26 ’11〜1/15 '12)

小海町高原美術館では、デザインを扱った展覧会を数多く開催してきました。
今回は改修中閉館の宇都宮美術館のご協力のもと、収蔵品からの企画展を開催することとなりました。

現在も生産されている20世紀の名作椅子に座ったり、学習キットを使ってインダストリアル・プロダクツに触れて学ぶなど、この展覧会の趣旨は「体験を通じてデザインをりかいすることにあります。

また、館内の展示と関連事業にとどまらず、学校でのワークショップ形式のポスター授業を行い美術館がポスターに仕上げ、展示する事業、また、現在活躍中の日本のデザイナーによる東北支援チャリティーポスターの展示、地域のデザイン活動の紹介等、デザインを通じて、子どもはじめとする、地域との幅広い連携を模索します。

デザインとは何か。「よくわかる」楽しいデザイン展です。 −案内冊子より−

     

宇都宮美術館主任学芸員の橋本優子氏による解説  手前からアルネ・ヤコブセン蟻/1951〜52、シャルロット・ぺリアン
ぺリアンチェア/2003,一つおいてマルセル・ブロイヤーのワシリー
/1925〜26、一つおいて黄色のアームチェアワルター・グロビウス
/1920 
ル・コルビジュエ+ピエールジャンヌレ+シャルロット・ぺリアン/
アームチェアLC1(スリリング・チェア)/1928
     
     
エーリッヒ・ディ−クマン/ラウンジチェア/1926〜27  ヘリット・トーマス・リートフェルト/赤と青の椅子/1935  人体工学から作られたアントニオ・チッテリオのサイドチェア/1989
奥は原形となるイルゲン・ラスムッセンの回転椅子
モデル「R]シリーズ 
     
     
     
     
     
    エットレー・ソットサスジュニア/ポータブルタイプライター
「ヴァレンタイン」/1969 
     
     
「ヴァレンタイン」のポスター  倉俣史朗/ランプオバQ/1972 
     
     
同時開催 11.3.11−東北支援チャリティー ポスター展 JAGDA会員デザイナー有志による  館内レストラン「花豆」での懇親パーティー 

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フインランドの暮らしとデザイン


ムーミンが住む森の生活展 2012年6月10日〜8月26日 於 宇都宮美術館
 

   
 


近・現代の建築・デザイン史のなかで、フインランドのモダンデザインは、独自の位置を確立しています。
それは、フインランドの自然と風土に根ざし、自国だけでなく、世界の「ものづくり産業、人々のくらし、そして多様な社会に還元されるデザイン」を結実させたところにあります。

言い換えると、本当の意味での「ユニバーサルデザイン」(すべての人々にとって、あらゆる観点から「よい」デザイン)の達成です。また、今も昔も、「スオミの森」(スオミ:フインランド語で「フインランド」の通称)をキーワードに、美術や音楽など、領域を超えた創造活動と結び合いながら、常に「豊かで幸せな生活」の実現を目ざしてきました。

今回は、このような特質を持つフインランドの美術・建築・デザインについて、19世紀末から20世紀初頭、ミッド・センチュリー、そして2000年代の三つの時代、それぞれの時代を代表する作家、作品・取り組みに焦点を絞り、約350点の作品群により展観いたします。
―The Essence of Finnish Design and Culture―より
 


小海フインランド協会の会員12名が鑑賞ツアーにバスを仕立てて参加。

小海フインランド協会の会員でもある橋本優子主任学芸員のご好意と氏自らの解説付きで大変有意義な鑑賞会となった。
先ずは宇都宮市郊外の広大な森“うつのみや文化の森”に抱かれた一角にある立派な美術館に驚く。

本展は、開館15周年記念展として開催されたものであるが、新装なった館内は周囲の緑が写り、木の香りも新しくフインランドの森の中で鑑賞している錯覚にさえ陥る。

1900年代初頭の絵画からアルバ・アアルトのデザイン作品、マリメッコの製品など様々なデザイングッツが驚くほどのボリュームで展示されている。
これだけの展示品を良くも集めたと、これらが橋本主任学芸員の淀みの無く微細な解説で次々に明らかにされ、観る者の興味を一層そそり、充実感に浸る。

鑑賞後の昼食は、市街地のM店で名物宇都宮餃子に舌鼓。
焼き餃子の天使の羽根のパリパリの食感と癖のない美味しさは噂に違わず満足感が満ちた。

 
   
   
   
   
   
   
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文人墨客が愛した富士見高原に、その足跡と風景を訪ねる。

小海フインランド協会・里山/まち文化研究所(もろずみ鉄木堂)共催
2011年11月9日(水) 
 
 
JR本線最高値956mの高原駅
中央本線富士見駅
明治37年12月開駅後101年
案内役両角さんの もろずみ鉄木堂
(てつもくどう 旧両角金物店) 
駅前商店街にある多くの老舗の一つ

会員の交流と親睦を兼ね、歴史遺産の宝庫富士見町の散策ツアーが秋晴れのもと開催された。

企画協力と案内は、富士見駅前で主に職人道具、刃物、木彫品などを扱うもろずみ鉄木堂(てつもくどう)を経営する両角修次さん。
氏は建築士でもあり、ふるさとの宝、歴史遺産をベースに町興しを行なっている。
もろずみ鉄木堂の店内は、獏とした店名を反映、珍品が所狭しとカオスの世界。  

 
 
〜富士見高原療養所〜

案内を頂いた両角さんが富士見駅周辺の初案内の時に手記された「富士見“駅から横丁めぐり”に思うこと」と題し、2006年に「富士見の自然と文化」に掲載され、療養所について書かれた「富士見高原療養所に心した人々から」を拝借しました。

かって十数棟もあったうち奇跡的にただ一棟残されている旧富士病棟とその二階にある資料室を訪れた参加者は、この結核療養所を舞台にした幾多の物語にかって胸を震わせたと言い、その源である療養所遺構という実物に来られたことを本当に喜んだ。

大正15年に設立され昭和56年に富士見高原病院となるまで荒波を越えて続いた旧富士病棟内部では木造の廊下、階段、病室などをそのまま資料室として保存していることにまず感嘆し、全体復元模型を見てかっての規模の大きさにも眼を見張った。

そして慶応大学医学部教員から初代医院長となった正木俊二(不如丘)と、ここに療養した堀辰雄、竹久夢二らの写真、書、「月よりの使者」や「風たちぬ」などの映画関係資料、院長の診察机と医療機器、当時のベットの上にさりげなく置かれた入院者名簿などを観て、療養所時代の歴史と悲しみに満ちた物語を実感することができた。

名簿には堀辰雄の婚約者「風立ちぬ」の節子のモデル矢野綾子、横溝正史、囲碁棋士の呉清源らの著名人の名が記されている。
異色な人では「バロン薩摩」こと薩摩治朗八の妻千代子の名がある。千代子は昭和12年11月に入院している。
この薩摩治朗八とは、戦前戦後にかけてパリを舞台に波乱万丈の生涯を送り、藤田嗣治など在パリの 芸術家を育てパリ日本館まで建てた。
しかし大富豪である東京の実家の資産をフランス社交界で湯水のように使いきり「宵越しの金は持たぬ」ような江戸っ子の極地をやった男だ。
妻の千代子も美人画家とモデルとして活躍したが、この富士見の療養所で最期を迎えたとは。ちなみに治朗八が千代子を見舞い看護するために建てたと思われる旧薩摩別荘は病院近傍に今も建っている。

かって私はこの高原療養所の建築とそこに心した人々のことを思い描いて、次のように書いたことがある。
「(風立ちぬ、いざ生きめやも)。堀辰雄は(風立ちぬ)の冒頭でこの文をポール・ヴァレリーの詩から引用して、託宣のようにそれから始まるドラマのように響かせた。

その響きはまた、かって信州の爽涼な高原の肺結核の療養の場にて不治の病だからこそ、切に生きたい、という希望のうちに生まれた悲しくも美しい愛が語られた(癒しの舞台)を思い起こさせる。
不治とされる病だったとき、その生と死の境界ではあっても病院と言う癒しの門をくぐることは、絶望と言う織物に希望と言う糸をなんとか力をこめて縫い込んでいくような切ないものだったに違いない。

今、富士見高原病院の真白い鉄筋コンクリート造現代建築の奥に、ひっそりと佇む木造二階の一棟はかって富士見高原療養所の「富士病棟」といって今は「風立ちぬ」を物語る最後の語り部となっている。

かっては堀辰雄が「鳥が翼を広げたようだ」と記したように、中央を一本の廊下が貫き、陽光と風を求めるようなテラスを備えた何棟もの木造病棟が平行配置で接続していく高原の療養所らしい姿が、そこにはあった。

初代院長の正木不如丘は在欧中に視た、スイスなどの明るく希望をめざしたサナトリウムの姿をこの日本にも実現したかったのかもしれない。
堀辰雄も昭和6年と10年に、富士見高原療養所にて院長かつ文人である正木不如丘を慕って療養滞在し、悲しい愛のドラマ「風たちぬ」などを著した。
そしてこの高原療養所という「癒しの舞台」には「宵待ち草」の竹久夢二、「月よりの使者」の久米正雄、など多くの文化人が登場し、いくつもの物語を著した。
そこに切に描かれていたのは、決して絶望のみではなく、高原のサナトリウムこそ、むしろ希望への光を待ち望む明るい癒しの舞台として、つまり新時代の医療施設として、生から死ではなく、生から生へと力強く患者を迎えてくれる現代の医療施設への先駆けの姿だったとも思えてくるのだ。」

私たちは外に出た。白樺や松が風に揺れる林の中に大きな自然石が横たわり、碑文が刻まれていた。歌人としての正木不如丘の俳句「雨空を 翔る鳥あり木の実植う」とその裏側に「療養所沿革史」を見た。

この見学会で正木という人物とその熱意、そして彼を慕ってこの求めて心した人々への思いがさらに慕った。
この貴重な富士病棟は幾度か取り壊し計画の危機に遭ってきたが、今年に至って保存会が設立された。関係者のご尽力に深く頭を下げたい。

私たちは病院に別れを告げ町役場のある尾根筋に上がった。役場隣にわずかに残された松林を見て遠く入笠山と釜無山方面を見やり、堀辰雄が「風立ちぬ」で節子が入院した直後のくだりで描いた、かって自然豊かだったころの療養所周辺の風景を思い出した。

「八ヶ岳の大きなのびのびとした代赭色(たいしゃいろ)の裾野が漸くその勾配を弛めようとするところに、サナトリウムは、いくつかの側翼を並行に拡げながら、南を向いて立っていた。その裾野の傾斜は更に延びていって、二、三の小さな山村を村全体傾かせながら、最後に無数の黒い松にすっかり包まれながら、見えない谿間のなかに尽きていた」 

現在、駅や役場の周辺には、森や林が本当に少なくなってきている状況を心切なく思うのは私だけではないだろう。 

   
駅から徒歩圏の富士見高原病院 右奥が旧サナトリウム  初代院長正木不如丘の歌碑「雨空を翔ける鳥あり木の実植う」  現存する旧富士病棟 2階は資料館 
     
     
初代医院長正木俊二(不如丘)  資料館にある旧療養所の正面玄関写真  療養所から徒歩圏の富士見町立図書館日本一の貸し出しを誇る 
     
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          〜 第11回 フインランド夏至祭  小海町松原湖((ちょう)湖畔)〜   Juhannus 2012. 06. 02 

自然豊かなフインランドに似た森と湖のある小海。ここにフインランドの人々が集まり夏至祭は生まれた。

フインランドの短い夏を自然の中で思い切り楽しむ夏至祭。

私達はこの夏至祭をとおして、自然と人・自然と自然・人と人の結びつきを大切にし、自然を知り、学び、感じ、楽しみ、 限られた資源、限られた生命の循環を考え、未来の創造につなげたいと願っています。−案内パンフより−


松原湖(猪名湖)の姉妹湖(ちょう)湖において、小海塾と小海フインランド協会主催による第11回フインランド夏至祭が開催された。

フインランド大使館から一等書記官はじめ小海町町長、フインランド協会理事長の挨拶があり、巨大コッコに点火され夜空に厄払いの火柱が舞った。

続いて小海だけと言う湖上コッコが静かな湖面を赤く染めた。

地元のバンドや合唱団、雲海太鼓、火踊りなどパフォーマンスが繰り広げられた。

賑わいの協力で我が”
暮らしのデザイン工房こぶしざわ”も森の雫軽井沢さんからテントをお借りし、ショップを開設。

売上高は、ぬきに夜9:00時まで値引き交渉や、品定めなど、お客様との愉快な交流を楽しんだ。





     
一人の釣り人のみの開催前の湖畔の静けさ  北海道の巨大なラワンブキには及ばないが湖畔の土手の野生のような大きな唐蕗 (トウブキ)近隣土手にはアマドコロ、ヤマオダマキなどの山野草が
     
     
釣り客用の桟橋(張り出しデッキ) 使用は入漁料に加算される  杉の製材端材の巨大コッコ(本国でもこの大きさは無いと言う 小海雲海太鼓が点火前の雰囲気を盛り上げる 
     
     
点火直後の黒煙と燃え盛る厄落としの炎 (さしずめ日本のどんど焼、どんどん焼きか)
     
     
点火前の湖上コッコ 湖畔には無数のキャンドルが美しくアレンジされて 
     
     
キャンドルデザイナーがアレンジしたキャンドルの灯りと湖上コッコ 花火も数発打ち上げられた 
     
     
湖畔に建つヤルビー音楽堂やフインランド人の山荘  フインランド人の山荘に美しい北欧照明   一番手前のブルーテントがショップ“こぶしざわ”
     
     
“暮らしのデザイン工房こぶしざわ”のテントショップ 地産木製のクラフト小物と野草苗など 
     
     
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  古民家イタリア料理
 Osteria agiato
今、田舎にありながら予約の取り難い人気の簡素な民家レストラン
で心に残るよろこび
の昼食時間を過ごす。
 

富士見出身の岡本歩シェフと奥さんの志保さんが2011年7月に開いた二部屋、10名程が限度の小さな店。 富士見町と県内の旬の食材を使う。

「地元の食材を使い、地元への愛を持って作るのがイタリア料理の基本。富士見で生まれ育った自分は、この町や長野県の食材をなるべく使ったイタリアンを作りたいと思って」と岡本シェフは言う。

ランチは1,500円〜2,000円、ディナーは3,000円と感激のフルコース。軽井沢の半値程度は何と言っても魅力。多くの支持を得るのはむべなるかな。
初期投資を抑え、地元民に還元、喜んでもらいたいとの思いは同業者も見習って欲しい経営理念と言いたい。
改めて、華美や高級志向の既製概念を考え直させられた好事例を目の当たりにした。

Osteria(カジュアルな居酒屋的雰囲気) ajiato(楽しい、ゆっくり)の店名に偽りのないお店だ。強いて言えばOsteriaは謙遜過ぎる。
“Trattoria agiato”がピッタリではないだろうか。


ディナーは奥さんが家事で不在となるため、シェフ一人でサーブ可能な厨房続きのメインルームのみのせいぜい5〜6名の予約となる。
まさに夫婦二人三脚で営むお店と言える。

古い民家の味を損なわず、できる限りそのままにのコンセプトから、敢えて外壁の塗装はせず、内部改造のホゾ穴などは剥き出しのまま。

感性のデザイン力で生まれ変わらせたのは建築家ユニット「ground line(グランドライン)」の徳永青樹さんと迫田英明さん。氏等の店「みやこし」は富士見駅前にある。
空き家を改造した店内には古道具、建築やアート関係の古書などが並びセルフカフェも併設。

徳永、迫田両氏は故木村二郎(1947〜2004)の主宰したギャラリートラックスに集まった多くのアーティストの一人だ。
木村二郎は、山梨県北杜市に築130年の農家を自ら改修し、"gallery trax”を1993年夏オープン、古材や古道具に独自の息吹を吹き込み、古材や古い鉄味でモダンと古さを合体させた手法で多くのギャラリーや店舗デザインを手掛けた。
将来が楽しみなアーティストであったが、肝臓癌のため57才の若さでこの世を去った。
この"osuteria agiato”の随所に氏のデザインコンセプトを引き継いだ息吹が見て取れる。

     
     
築70年の下見張りの質素な民家をそのままに  150坪程の敷地隅に11月の秋色に染まるモミジと欅がシンボル的に  出入り口ドアはベランダから 右はサブルーム 
     
     
サブルームから外の紅葉と欅の秋色を望む  我々11名で“本日は満席”予約なしの遠方からの老夫婦が入れず残念がる 予約なしでは先ず無理とのこと 出入口ドアの鉄板ノブ 渋い古材とのマッチングが美しい 
     
     
入口ドア脇にルバーブに似た鬼蕗の鉢植え  建て付けからみて機密性は劣る 補助暖房に古いアラジンとメインの鉄板に溶接跡が生々しい大型薪ストーブ 真っ赤なLE CREUSETが 
     
     
出入口に置かれた鋼板で作られたバードバスに紅葉葉が映えて  本日のランチ 前菜、自家製パン、パスタ (旬の大根とパルミジャーノのトマトソース又は地元椎茸と青菜のパスタ(ガーリック)) 
     
     
富士見椎茸と青菜のパスタ(ガーリック)  メインデッシュ 信州福味鶏のソティー   一口デザートバルサミコソース
     
     
敢えてスサ壁様の味を 多数のホゾ穴はそのまま  天井を抜いたトイレに通じるスペース  サブルームに唯一の無名作家の油絵が 
     
     
厨房に続くメインルーム 厨房に立つ岡本歩シェフ  前の住人が残された古書がそのままに雰囲気を添える  ディナーのメニュー予告 
     
    agiato osteria  〒399-0214長野県
諏訪郡富士見町落合9942−1
Tel0266−62−7040
lunch: 11:30/cafe: 14:00〜15:00
dinner: 17:30〜22:00


デザインユニット みやこし 090・6111・9307
もろずみ鉄木堂 0266・55・5121  
     
     
  〜2012年6月18日再訪〜   
今回の再訪は、イニシャルコストを抑えた古民家再生の実践例を再生ビジネスの参考とするため仕事仲間の修景デザイナーHさん、工務店Yさんのお二人を連れ立って、コースランチを予約、ドライブがてら出掛けた。

軽井沢の事務所こぶしざわから片道91.6km、おまけに主要幹線道路から入った富士見駅周辺、ポータブルナビをYさんにお願いし、凡そ2時間掛けて無事到着。
「近隣農家からの採り立て野菜」を売りにするランチに舌鼓。

帰路は、軽井沢星野リゾートの星野佳路氏が全国で展開する再生で話題の一つ、「リゾナーレ八ヶ岳」を見学。
両者の全く異なるコンセプトを目の当たりに有意義な長旅であった。
 
     
   
     
     
     
     
     
   
     
  星野リゾートRISONARE八ヶ岳”〜   
     
     
     
     
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  旧犬養毅別荘「白林荘」とその森庭園

犬養毅(犬養木堂)はこの山荘を愛した。
12,000坪ほどの邸内は犬養自らが植えた白樺、ハナノキ、朝鮮五葉松、白松、龍爪柳などが大きく育ち美しい森林庭園をなしている。
 
 
     
     
     
     
     
 敷地内に点在する山荘の一つ老栗亭     
     
     
     
     
     
中国より取り寄せた白松 中国で見たものはもっと白さが際立っていた印象がある  
     
     
近隣の道路拡幅や開発で移され、安住の地を得た石仏群た  一万余坪の広大な庭園は白樺に紅葉が映えて美しい 町で一般公開の準備中と聞く すばらしい宝の遺産が公開される日を望む 


 
   
  〜美しい八ヶ岳連峰の眺め〜   
     
高原のミュージアム庭から見た八ヶ岳の8(八)連峰 右から富士山の様な編笠山、奥に権現岳、手前に裾野を広げる西岳、奥に最高峰の主峰赤岳
(2,899m)、
阿弥陀岳、少し離れて硫黄岳峰の松目、一番左の天狗岳は木の陰でここでは見えない。
高さでは富士やアルプスに劣るが、裾野の景観の壮大さにおいては群を抜く。
この眺望に感嘆して、田山花袋は、「この高原は、日本でも稀に見る高原で、他にこれだけのところはちょっと見出すことが出来ない」と、大将年5月に
富士見に遊んだ時の新鮮な印象を述べている。 
八ヶ岳連峰は、見る場所から大きく表情を変えるが、ここ富士見高原からの眺めが一番と言われている。
中央に建つ大きなビルは富士見高原病院の新館
現在は総合病院として、JA系の県厚生連が運営にあたっている。
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〜御上りの東京見て歩き〜  
新しい知識の息吹を求め浅間山麓の山荘を離れ都会に出る。
東京駅に着くやら人ごみの中をぶつからないようすり抜けながら歩くのは何とも疲れる。
若かりし頃20年近くもこの状況の中で良くも暮せたなと、今更ながら信じ難い。
今となっては一日が限界だ。早く静かな森暮らしに帰りたくなる。  
 


中国明代の椅子 「圏椅」
島崎信+織田憲嗣が選ぶ
ハンス・ウエグナーの椅子展
自平成25年9月27日(金)至10月14日(月・祝)
於:青山 スパイラルガーデン

オープニングレセプション9月27日 19:00〜21:00
島崎信氏+織田憲嗣氏によるトークイベント 9月27日16:00〜18:00
  
 
「圏椅」掲載書籍の紹介
 

Design Tree of Hans J. Wegner 15C〜18Cの明、ウインザー、シェィカー、チッペンデールの4脚をルーツに1940年初頭に代表されるチャイナチェアから1990年のConference chairまで57脚の系譜ツリー  −Spiral-より−
 



 
       
       
   
    ウエグナーの椅子に使用された5種類の笠木  ウエグナー邸の1/5スケール模型 
       
       
   
ミニチュア模型 出品強力 浜田由一氏  台座に乗っていないものは試座OK   
       
   
"17. Hans J. Wegner"ウエグナー邸の見取り図と1/5スケールのミ二チュアが並ぶ部屋 ウエグナーはこのモデルを用い、構造や仕口の検討を行ったと言う。
       
       
   
 −島崎信氏+織田憲嗣氏によるトークイベント− 

ウエグナー氏との出会時(島崎氏は1959年秋、織田氏は1980年代初頭)の印象や数多くの興味深いエピソードが語られ小さな部屋に満席の25名ほどの聴衆を沸かした。

マイスター資格試験について触れ、デザイン性は問わないこと、ウエグナーは箱物課題であった。
ウエグナーが未だ売れる前の不遇時代、インガ夫人曰く1950年代になってから食べていけるようになったこと。

ウエグナーと同い年のボーエ・モーエンセンとの親交、ウエグナーの不遇時代にはモーエンセンは陰ながら支援し、モーエンセンに息子ペーターの誕生に際してはウエグナーは親権者ともいえるゴットファーザーになったこと。
ウエグナーはぺーター誕生の祝いとして1943年に手作りの子供用家具「ペーターズテーブル&チェア」を作成贈った。
モーエンセンはこの家具をF.D.B.(デンマーク共同組合連合会)のコレクションに加え、そのロイヤりティーを不遇時代のウエグナーに支払ったという。
2人の友情はモーエンセンが1972年に亡くなるまで続いた。


島崎氏に対する興味深い質問では、「ウエグナーの椅子ではなにが一番好きか?」に1脚を選ぶのは非常に難しいがと前置きし、PP701を選んだ。
PP701には材料の効率性や機能性とともに美的要素を高めることに成功、さらに脚部にスチールを採用することで軽快さを生み出しているというのが理由という。

妻インゲもお気に入りで、自宅のダイニングで愛用しているという。
    本展の要覧は「島崎信+織田憲嗣が選ぶハンス・ウエグナーの椅子展」
著者:島崎信+東京・生活デザインミュージアム 発行スパイラル/株式会社ワコールアートセンター
пF03−3498−1171 
       


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  フインランド独立記念レセプション
2012年12月6日(木)18:00−20:00
於駐日フインランド大使館
 
 
フインランドは、1917年12月6日独立宣言 帝政ロシアからの独立と完全自治を宣言した。
駐日大使館では毎年12月6日を記念日として、祝日に定め祝いの行事を催している。 
当日は300名ほどの招待客で賑わった。
     
   
     
     
     
     
     
ワイングラスホルダーが付いた立食パーティー用皿   
     
   
   
玄関ロビーに飾られた紙のツリー   
   
  来賓を歓迎する大使ご夫妻 
   
大使ご夫妻を囲んで 小海フインランド協会の皆さん   
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   時代を超える生活の中の美
森と湖の国フインランド・デザイン展

風土豊かな国フインランド。 
自然が溶け込むデザインを、約150件のガラスの名品で。

於 サントリー美術館 六本木東京ミッドタウン ガレリア
   2012/11.21−2013/1.20


サントリー美術館の企画展に合わせて、ガレリア全館がフインランド色の飾り付け一色に!!

     
     
     
     
  アルバ・アールとの花瓶のためのガラス塊と吹き竿 
   
     
  口をカットする前のアールトの花瓶 
   
     
オイバ・トイッカの鳥シリーズ 現在も商品として作られている 
 
     
  モミのリースを白樺の枝に掛けて ガレリア内店 MUJI 
     
     
フインランドからの輸入素材で作られたクリスマスオーナメント ガレリア内MUJI 
     
     
  沢山の小さなサンタで巨大ツリーを造る 鳩時計のように時間で踊りだす者がいて愉快な仕掛け  
   
   
  ドライリーフを数百枚重ねたリース 樹種は特定できず    
 
     
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マ リ メ ッ コ 展 
デザイン、ファブリック、ライフスタイル
marimekko - Design,Fabric, Lifestyle

Bunkamura ザ・ミュージアム 2016 12/17〜2017 2/12

主催者:フインランドデザインミュージアム&朝日新聞社及び巡回展を開催する各美術館など
後援:フインランド大使館

 
北欧フインランドヘルシンキのフインランド・デザイン・ミュージアムのコレクションからフインランドを代表するデザインハウス、マリメッコの歴史と全貌にせまる、国内初の大規模な巡回展。
2016年1月の高知県立美術館を皮切りに、4番目会場として東京に巡回。
今後2017年9月のふくやま美術館を最後に全7会場で展覧される。

フインランド語で「マりーのドレス」という意味をもつマリメッコ、1951年ヘルシンキで創業され、優れたデザインと広報の成功により、1960年代には世界的なブランドへと成長し、我が国でもそのデザインは夙に知られ、近年北欧ブームを背景に注目の的となっている。

特に布地の柄は、多くがフインランドの伝統的なモチーフや自然に着想を得つつ、大胆でカラフル、抽象的なデザインに象徴される。
本展では、フインランドデザインミュージアムの所蔵作品からファブリック約50点、貴重なヴィンテージドレス約60点、デザイナーのスケッチ、資料などでマリメッコの60年にわたる歴史をたどる展覧で、デザイン性豊かな国フインランドらしい魅力にあふれた、鮮やかで心躍る展覧と主催者は自負している。
 
   
1964年マイヤ・イソラ(1927〜2001)がデザインし、マリメッコを代表するデザインとなったファブリック柄=ウニッコ(ケシの花)  2009年マイヤ・ロウエカリのデザインによる食器用のデザインであったものが、後にファブリックに転用されたシィールトラプータルハ(市民菜園) 
 

              tea break

       〜山荘暮らしの御上りが久し振りに東京へ〜  
                      
                                          12/19 ’16
売地に関わる調印依頼で新宿から京王新線初台に出張、山暮らしで滅多に無い上京機会と、渋谷で商売する友人N君に会うため渋谷へ、その前に気がかりなマリメッコ展へと決めていた。
会場の混雑ぶりには驚き。マリメッコの人気に加え、日本での初の大規模展とあってか?さらに流石大都市東京の賑わいが拍車を。

マリメッコを代表するビビットな色使いのウニッコから、ジャクリーンケネデイが1960年に着用し話題となったピンクのサマードレス、マリメッコの今を語るテーブルウエア―など多彩な展覧は見応えあるものとなった。

また、スクリーンにはマリメッコ工場での大掛かりなファブリックのプリント柄印刷ラインなどが映しだされ、別のコーナーでは、1968年日本人デザイナーとして1968年に図案画家の脇阪克二に続いで、1974年にマリメッコに入社した石本藤雄、プリントデザインにおいて、抑制の効いたグラフィカルなアプローチで活躍し、今は陶芸家としてヘルシンキに暮らす氏への自宅でのインタビューの映像が映し出される。

会場で、隣に年配のご婦人とその弟子か生徒と思われる若い女性お二人の会話、この人気と賑わいの程でか、婦人「日本人はこういったものが好きよね」
弟子「そうですね」、婦人「ほらミナさん・・・?も似ているわね」、弟子「ミナ・・・・?,ああ皆川明ですか」、婦人「そう」、ついぞお二人の会話からは思い出せなかったのか、皆川明のブランド、フインランド語のミナペルホネン(mina perhonen=私 蝶々)の言葉は聞くことはなかった。
確かに自然の題材やドットのデザインは共通するものと言えるが、ビビットなマリメッコにパステルカラーのミナペルホネンは異質なものに見える。
しかし、皆川氏が言う「主流とは違うところに価値があるのではないか、慣例や流行に捕らわれない姿勢」といったコンセプトに共通項を見出せるのではないか?

北欧に関わる細やかな物販と小海フインランド協会の会員として、フインランドのライフスタイルをも想起させる展覧は大いに勉強となり印象的なものとなった。久しぶりの東京は異国の人らしい人と、ファッションが溢れ、どこか異国の国へ迷い込んだ錯覚に陥る。
特に渋谷駅周辺の再開発で騒然とした中の世界にその名を知れた「スクランブル交差点」はさながら混沌としたカオスで、御上りには心身共に疲労の極みであった。
あゝ、もう東京は懲り懲りだ。
 




 
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